写真:ハノイでの日本まつりでのショット(2008年11月 with ミーリンさん(歌手))
宇根先生よりお便り届きました!お元気の様子でなによりです。元気があれば、なんでも出来ますから・・・。実は、今年の3月頃に、宇根先生に越南ネットへの寄稿をお願いした際、体調を崩されていて心配した事を思い出します。でも、お便りの内容から安心しました。現在は、府中の警察大学の教壇にて活躍されています。この警察大学のカリキュラムは、先生からのお便りにも書かれていますが、スバ抜けています。凄いっす。想像するに、(私の想像の範囲も、自分の経験知より想像する為、かなり狭く浅いですが・・・)、社会人生徒を相手に、しかも、上級幹部にも教えるであろうから授業は真剣モードだと思われます。「先生!隣の東京外大ベト科と合コンをセッティングして頂けないでしょうか?」とは皆無だと思われます。今後も、楽しいお便りお待ちしております!(文責.竹山 正人)
<宇根先生からのお便り>
昨年3月には盛大な送別会を開催していただきました。事務局の皆様をはじめ皆々様に心から感謝致します。あのような送別会をしてもらえるのは大学教官ぐらいなものだと想います。淡々と34年間勤め上げることができたことを幸せに想っております。
退職後は警察大学の語学研修で相変わらずベトナム語を教え続けています。また、昨秋には2ヶ月間ハノイ国家大学で日本語教授のお手伝いをしてきました。今年2月に高血圧から大量出血しましたが、幸い鼻から外に出たために特に大事に至ることなく、その後の諸検査もパスし、現在は降圧剤で元気にしております。
現在、高校野球が行われていますが、私は小学校3年の時から一人で甲子園に行っていました。家から約2時間かかるのですが、おにぎりを作ってもらい電車賃と飲物代をもらって丸一日野球を観ていました。話変わりますが、実は私小学生の時、結構どもっていました。ところが、不思議なことに中学生になって英語を勉強するようになり、根が単純で素直なもので(本当ですよ)暗記したりしていい成績をとっている内にいつの間にかどもりは治っていました。団塊世代で中学時代は一学年900人位いました。中2の秋までは成績は大体150番前後でした。で、その秋になぜか必死に勉強したら何番位になれるのかと思い、頑張った結果15番に急上昇しました。また、中2のある時期に雑誌に「男はめったなことで笑うんじゃない」と書いてあるのを読んで、2-3ヶ月みんなが大笑いしている時にも一人ぶすっとしていました。(変なヤツです)男3人兄弟の末っ子で兄2人が理工系だったし、英語が好きだったもので、一人位文科系がいてもいいだろうと決めました。神戸市外国語大学の英米科を受験しましたが、意に反して不合格。かなりへこみましたが、翌年東京外国語大学のタイ語科に入学。でも、入学したらいきなりベトナム語が開設されその一期生となりました。翻ってみると、神外大不合格、オリンピックのため東京への針路変更、そして偶然なベトナム語開設と全てがベトナム、ベトナム語に通じていたように想われます。縁ですかね。神外大に合格していたら全く違った人生になっていたし、みなさんと会うこともなかったと思うと感慨深いものがあります。警大の語学研修は今年はI課程とII課程があり、週2回教えております。学生は8人と9人です。私以外にベトナム人が5人います。驚くのは研修の時間数です。週5日、一日6時間で年間1050時間位、2年間で2100時間以上の多さです。内容も充実していて、一年目で基礎から中級レベルまで、2年目は警察関連の実務を中心に学習しています。ちなみに、ハノイ国家大学では週5日、一日4時間位専攻語の授業があります。年間650~700時間位で、しかも3、4年生でも同じくらいの授業時間数があります。語学の殿堂である東外大の場合はというと、専攻語でもベトナム語の場合週7.5時間で年間225時間位でしょうか。しかも、専攻語の授業は1,2年の時が中心で、後期になるとかなり少なくなっています。変ですよね。いつも違和感を覚えております。いろいろと規定があって仕方ないのでしょうが。どこで教えても同じことは、良質の基本を身につけた人は250時間位勉強すると学力が急上昇します。良質の基本というのは個々の事項をバラバラに知っているだけでなく、総合的に立体的に活かすことができるということです。その上で良質の文章をある程度大量に読んでいくとベトナム語感覚が身につくわけです。仕事でも同じでしょうが、語学でも一定の壁を越えていろいろと分かってくると面白くなってくるものです。みなさんの中にはベトナム語の面白さを感ずることなく卒業された人もいるかと思いますが、それはある意味私の、また、時間数の少ない外大のせいかもしれません。Xin loi! va
。