2008年6月1日日曜日

お便り-北嶋誠士(V00卒)


いやぁ~、参りましたよね。今回は、JETRO(日本貿易振興機構)に勤務する2名のベト科卒業生を特集する訳ですが、御両名ともに、ホットなベトナムに駐在しています。冒頭の何が参ったかって、学生時代から経済学に興味を頂き、ベトナム語の勉強の傍ら、コツコツと夢を目指して、ミクロ&マクロ経済を勉強しているあたりが尊敬に値します。私は、当時、何に興味を持っていたかなぁ~?敢えて言うなら、人生学かなぁ~。。。私を初め、卒業生の中には、学生時代を振り返りたくても、振り返るほどの実りがない人も多いかと思います。今回は、刺激ビンビン提供者の2名を紹介いたします。まずは、今春よりホーチミン駐在を始めた北嶋誠士さん。君の一挙手一投足が、日越貿易均衡を左右し、更には、ベトナム社会主事共和国のGDPを押し上げ、結果、日本のGNPも押し上げることとなります。ガンガン、押し上げちゃって下さい!(文責.竹山)

<北嶋誠士さんからのお便り>
皆さん、こんにちは。2000年卒の北嶋と申します。私は今、日本貿易振興機構(ジェトロ)ホーチミン事務所に勤務しています。ジェトロと言うのは日本企業の海外ビジネスを支援する国の機関です。ご存じのとおり、ベトナムは、2007年1月にWTO加盟を果たし、高度経済成長を続けていることなどから、日本企業から大きな注目を集めています。そのため、当ホーチミン事務所は世界中にあるジェトロ事務所の中で、最も日本からの来客数が多いホットな場所となっています。こうした日本から来る企業にビジネス情報を提供したり、或いは、ベトナムに進出している日本企業向けに商談会や各種セミナーを開催するのが私の仕事です。


いま振り返れば、学生時代、自分がベトナムに駐在するなんて思いもしませんでした。当時の私は、ベトナムが嫌いと言う訳ではなかったのですが、大学1年の時に取った経営学や経済学の授業が面白くて、その勉強に熱中していました。他にも、貿易実務や通関士試験の勉強をしたりして、ベトナム以外の知識を身につけようと努力しました。ゼミも経営史と国際経済のゼミに入って、卒論も東南アジア経済について書きました。就職先にジェトロを選んだのは、大学で勉強してきたことを活かし世の中の役に立てると思ったからです。私にとって「大学で勉強してきたこと」とは、(ベト科の先生に怒られそうですが)ベトナム語ではなく貿易や経済の知識でした。

しかし、会社の人は、私のことを経済の人でも貿易の人でもなく、やはりベトナムの人として見ていたようです。これはもう外語大卒の宿命たるものです。入社したての頃は、何とかベトナム色を薄めようと努力していたのですが、仕事はベトナム関係のものを主に任されます。そうするうちに、ベトナムこそが自分の強みであり、他人と差別化できる点なんだと気付きました。経済を勉強してきたと言っても、しょせんは独学の域を出ず、専門教育を受けてきた人には勝てません。その頃になって「あ~、もっとベトナムのこと勉強しとけば良かったー」と後悔したものです。

そんな中途半端な私にチャンスが訪れたのは2004年のことです。お恥ずかしいことに、ベトナム語ができるはずのベト科卒にもかかわらず、会社の留学生として1年間、ベトナムに行く事になったのです。留学先のハノイではベト科の現役生たちと一緒に学校に通って、「いい年して何やってんだろ俺?」って思うこともありましたが、このとき初めて、ベトナムと正面から向き合い、ベトナムの面白さに気付きました。社会人になってベトナムデビューしたベト科卒業者も少ないと思いますが、その分、学生のような新鮮な気持ちを持って、ベトナムに取り組むことができていると思います。

そんなこんなで、私は、20082月からジェトロホーチミン事務所に勤務しています。赴任前、歓送会をしてくれた同期は「この年になって大変だね」と言った具合に心配してくれましたが、これは多分、学生時代の私の姿からは、ベトナムに行くなんて、信じられなかったからでしょう。3年ぶりにベトナムに戻ってきて、その変化には驚くばかりです。まずもって驚いたのは物価の上昇です。昨年のインフレ率は12.6%と、日本人にはちょっと想像ができない物価の上がりかたです。ちなみに、今日の私のランチは、ホットドックとフライドポテトで8万ドン!でした。何もかも安い時代はもう過去のものとなりつつあります。その分、ベトナム人も豊かになってきているとも言える訳ですが、これまでベトナムは人件費の安さを武器に外資を呼び込み、経済発展を遂げて来た訳ですから、そのモデルにも限界が見えつつあります。

これからベトナムがどのような発展経路を辿るのか非常に楽しみでありますが、日本との経済連携を強化することが、更なる成長に向けたカギになると考えています。そうした中、ジェトロが貢献できることは沢山あり、このタイミングで駐在できたことは非常にラッキーだと思います。ベト科卒の強みであるベトナム語を活かして、現地の生の情報源に直接アクセスし、よりリアルな仕事をやってゆきたいと考えています。



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お便り-小林恵介(V01卒)


続いてのMr.JETROは、2001年卒業の小林君です。彼は、お便りの中でも紹介ありますが、熊本駐在時代に書籍を出版しています。当然、私、購入済&熟読済でございます。小林君のお便りの後に、誠に勝手な書評を付加しますので、ご興味ある方は、私の書評を読まず、本の御購入を優先願います。さて、北嶋君に続き、小林君もマクロ経済学で言うところのマンデルフレミングモデル(IS-LM-BP曲線のこと、フレミングの左手の法則とは違うらいしい・・・!)の線上を歩く男なのです。彼が、動いたら、冗談抜きで、IS-LM-BP曲線は、彼のシナリオ通りに動くのでは・・・っと思いました。確かに、国家レベルでは難しいかもしれないが、彼が熊本で興した功績は、熊本県におけるBP曲線を移動させた事は事実。ちょっと、大げさかもしれないけど、watch him! であることは、“間違いない!”(ちょっと古い?)。。。(文責.竹山)


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小林恵介さんからのお便り>
この度、竹山さんからご依頼をいただき、原稿を書かせていただきます小林恵介と申します。よろしくお願いいたします。現在、日本貿易振興機構(ジェトロ)という組織の在ハノイ事務所で働いております。私事で大変恐縮ですが、学生時代から現在まで、どのように過ごしてきたのかを書かせていただきます。

【学生時代】

外語大一年目はほとんど講義に出席していなかったと思います。一年間大学浪人していたため、「もう勉強はしたくない」と考えていたような気がします。それでも、二年目からは真面目に講義を受けるようになりました。勉強という面で最も注力したことを挙げると経済学になります。ベトナム語については、もちろん自分なりに語学力を向上させるよう努めていましたが、同等もしくはそれ以上に経済学に関心を持って勉強していました。理由は3つあります。一つは、ベトナム語に加え、他のツールや考え方を身に付けたいという想いがあったため。二つ目には、大学浪人時代に毎日英語を勉強し、大学入学後にさらにベトナム語を勉強していましたが、経済学での考え方、論理の組み立て方が非常に新鮮に感じたことため。三つ目には、他大学の大学院へ進学し、経済学というツールをもう少し深く知りたいという想いがあったためです。外語大を卒業した後、一橋大学経済学研究科(修士課程)に進学しました。周りの同期生と比べ、授業の理解度もかなり遅れ気味で苦労しましたが、それまであまり感じることがなかった「勉強が楽しい」と思える瞬間がいくつもありました。

【ジェトロを選んだ理由と、ジェトロでの業務内容】
ジェトロでの経歴を簡単に説明させていただきます。
・20034月 ジェトロ東京本部 貿易開発部アジア支援課
(担当業務:東南アジア諸国を対象としたODA事業)
・20051月 ジェトロ熊本貿易情報センター
(担当業務:管理系業務、貿易・投資に係る相談業務、輸出促進事業、調査業務
・20083月~現在 ジェトロハノイセンター
(担当業務:ODA事業、ベトナム関連情報の収集・提供)

就職先としてジェトロを志望した理由はいくつかあります。一つには、学生時代に学んだ「ベトナム(語)」と「経済学」の双方を使える可能性が高いと考えていました。二つ目には、故郷である北海道にも事務所があり、北海道で仕事ができる可能性もあるためです。三つ目には、若干大げさな表現ですが、日本のために何か役に立ちたいという想いがあったからです。ジェトロは公的機関であるため、お客様は日本の企業・個人の方々です。ジェトロはODA事業も実施していますが、当該事業も、ベトナム政府・企業だけではなく、日本(企業)にもメリットがある事業を組み立てることが求められます。

ジェトロに入って良かった点としては、ジェトロが、日本企業のニーズ、または政策ニーズに応えるためであれば、様々な支援ツールを構築できる組織だったことだと考えています。例えば、私は昨年、ジェトロから本(タイトル名=「世界に羽ばたく!熊本産品~一次産品の輸出成功事例から学ぶ~」(リンク先⇒⇒⇒)を出版しました。日本各地で、食品輸出の機運が高まっており、従来取り組みをしてこなかった企業が海外販路の開拓・拡大に関心を持ち始めています。ジェトロ地方事務所発の有料出版物はこれまでなかったと思いますが、私自身は、食品輸出のノウハウやケーススタディに係る情報ニーズがあると考え、組織内での承認を得、熊本県内で食品輸出に成功した企業への取材内容を本にすることができました。お客様のニーズと自分のアイデアで多様な事業・調査ができるということは、幸運なことだと考えています。

【今後の夢、外語大生へのメッセージ】
私はそれほど大きな夢を持つことはないのですが、今後も日本、ベトナム両国のお客様に対し、地道に情報提供できればと考えています。ただ、社会的、経済的に大きな変動があり、また日本企業からの注目を集めている国に身をおいていることは、他の社会人と比較して有利な点と考えています。この優位性を活かしつつ、お客様の情報ニーズと自分の視点というものを軸に、情報発信していければと考えています。

外語大の現役学生の方々には、ベトナムに限らず、世界へ目を向けながら楽しく日々を暮らしていただければと思います。当然のことかもしれませんが、外語大生の特長は、海外へ出ることに抵抗がないことだと思います。異なる環境にどんどん身をおき、広い視野を持って勉強、就職活動を行ってください。


<竹山の読書感想文>
小林君が出版しました“世界に羽ばたく!熊本産品 published by JETRO”を読んだ感想を書きます。まず、ネットで注文後、受け取るまでに10日を要しました。昨今のAmazonに慣れっ子の私としては、配達の遅さに苛立っていましたが、本を受け取るやいなや、度肝を抜かれました。JETRO BOOKSは、注文を受けた後に、印刷&製本工程に着手するらしいのです。こっ、これは、DELLのビジネスモデルをJETROがベストプラクティスとして真似ているって事です。要するに、JETROは、在庫ゼロでの書籍販売をしている訳です。On demandです。Greatです。さて、そろそろ、本の書評に入ります。熊本県の農業(第一次産業)について、統計を用い、日本国内におけるシェアの高さ、県経済に与えるインパクトの高さを立証した後、JETROとして熊本県の農業活性化への取り組みを数点のケースを紹介する形で構成されています。日本は工業国故に、第一次産業は軽視される傾向にあるが、いや、本来ならば、食料自給率の観点からも注目されるべき産業であるが、注目を浴びない。そんな環境の中で、小林氏の書籍は、熊本県農業従事者に希望を与えるだけでなく、非農業従事者にとっても、がんばる農家の姿を知ることで、なぜだか、応援したくなる。その気にさせられたのは、彼の功績かと思います。また、豊富な海外輸出ビジネスのケースを紹介する事で、JETROの仕事をアピールするだけでなく、日本農業の世界の中でのポジショニング(戦略)が見えてくる。ひとつの例として、畳に使用されるい草。熊本は、日本生産シェア97%。しかし、安価な中国製品の台頭、また、違法での熊本県産品種の中国からの逆輸入により、生産量はピーク時の26%まで落ち込む。そんな試練続きの熊本県のい草農家(組合)は、どんな手に打って出るか?この回答は、是非、本を御購入して頂けたら解説されています!(プロモです!)本の末尾には、小林君の優しさが伝わってくるような分かり易い輸出成功要因が纏められています。コスト削減/付加価値の付与/海外出張での試食イベント/フットワーク/熱意等々。小林君の許可無く、本当に勝手だが、竹山的にひとつ追加したいと思います。熊本県を初めとする九州地方は、知らないうちに農業競争激戦区になっているのです。競争激戦区(産業集積地)は、工業で言うならば、大田区、TOYOTA城下町、浜松市が有名だが、その中で切磋琢磨して生き延びることが企業の競争力の源泉と言えます。これは、ニッチ戦略やブルーオーシャン戦略とは逆行しますが、敢えて激戦区の中で、時に切磋琢磨し、時に同業者が情報交換する。それが、競争力強化につながっている気がします。熊本県も立派な農業クラスター地域ですし、JETRO熊本は、その競争力確保の為に、いい仕事してますね!どう、小林君、この視点、30点くらい貰えそうな分析でしょうか?やはり、可っすか?



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お便り-五島文雄先生(V77卒)を囲む会

ベト科東海支部活動報告
(写真は左から、田中直史V02、小島周V02、五島先生V78、鵜沢寛太郎V02、樋川俊之V98、撮影者竹山V98

東京外大ベト科東海支部という組織があります。静岡県&愛知県で働いている、在住している、その他、なんだか知らないが関連するバックグランドを持つベト科卒業生を中心とした組織です。(最近、できました。) 今までは、数名での忘年会、癒し飲み会程度の企画で終了しておりましたが、規模を16名まで拡大させ、更に、よりアカデミックに活動領域を拡大すべく、静岡県立大学国際関係学部の五島文雄教授を訪問し、楽しい時を過ごしました。今回は、活動報告として、その内容を越南ネットに投稿致します。

510日(土)の小雨降る中、五島文雄先輩(V78卒)の最大のご協力を頂き、静岡県立大学キャンパスをツアーして歩き、その後、五島教授研究室にてベトナム討論会を実施しました。討論のテーマは多岐に及び、五島先輩が過ごした学生時代の東京外大の様子、その後の大阪外大での教員時代の研究内容、また、御専門であります政治・経済に関するベトナムの変貌について、五島先輩のホーチミン留学時代(1974年)から現在に至るまでを時系列に沿って御講義をして頂きました。


(途中合流者=諸井未来V06、内山夕輝V98、近藤真澄V00

夕方からは、静岡駅周辺の居酒屋に場所を変え、終電ギリギリまで、お酒を飲みながらの座談会となりました。2軒もハシゴしたので、会話した内容は覚えていません!それでも、昨今のベトナム証券市場での暴落要因、ベトナム企業での労働争議問題、日本国内でのベトナム難民問題と、講義メモを取りながら飲みたい!と感じる座談会となりました。私のようなベトナム語と疎遠な卒業生は、「はぁ、私は、ベト科卒業生だったなぁ~」と改めて認識をし、また、バリバリにベトナム関係の仕事に従事している卒業生は、「今のベトナムは・・・なんだ!」と更に、越南への想いを加熱させる有意義なイベントとなりました。これもすべて五島文雄先輩のオープンハートな性格に、我々が、どっぷり甘えさせて頂くことで実施することができました。五島先輩、ありがとうございました!

五島先輩は、千葉より駆け付けて頂き、また、遠くはハノイ(またか?鵜沢V02!)、愛知県豊田市、岡崎市からも這って来てくれた同志の熱い思いにより開催する事ができ、みんな、大好きです!次も、やるぞ!(文責.竹山正人V98


PS
2007
年秋頃に、本当に、暇なメンバーでベト科東海支部(同窓会)を結成しました。今では、16名まで拡大しておりますが、私共の連絡の取れる範囲内でメンバーを増やしてきました。大変、申し訳ございませんが、静岡県&愛知県に関連したベト科卒業生全員に、連絡できていないのも正直な処です。東海支部の活動目的は、ただの飲み会だけでなく、社会人における異業種情報交換の場として、個々の視野拡大を第一目的としております。不定期ですが、メンバーには、出欠席に係らずご案内を発行致します。ご興味ある方は、竹山(takeyama555@gmail.com)まで御連絡頂けましたら幸いです。

ベト科東海支部加入条件は 1)愛知県、静岡県で働いている、住んでいる、戸籍がある、実家があるベト科卒業生、2)愛知県が好きな人、以前、静岡県出身者と恋愛していた人、ごめんなさい!引っ越してください!

【現在の東海支部メンバー(08.05.10時点での16名)】

五島文雄(V78)/深澤加恵(V96)/樋川俊之(V98)/内山夕輝(V98)/竹山正人(V98)/渡利裕一(V99)/近藤真澄(V00)/野崎佑介(V00)/田中直史(V02)/鵜沢寛太郎(V02)/小島周(V02)/椎谷徳子(V02)/太田真由子(V04)/郷土有希乃(V05)/諸井未来(V06)/鈴木明芽(V07

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2008年5月1日木曜日

お便り-三浦愛(V00卒)


ハノイ在住の三浦愛さんより、編集部にお便りが届きました。彼女は、心優しく、アセアン各国の発展の為に、日々、汗を流しています。東京外大を卒業後、夢の実現の為に大学院へ進み、現在、国際協力の最前線で働いています。夢の実現に向けて、コツコツとステップアップしている彼女の努力(過程)が、私にとって、とても刺激的です。お便りを読むと、彼女が国際関係の仕事を目指した動機でもある“幸せ(Happiness)”って何かなぁ~~っと、改めて、考えさせられました。日本は、GNP至上主義で発展を遂げてきましたが、最近、躓きつつあります。一方、アジアの小国ブータンはGNH(Gross National Happiness)という独自指標で経済発展との両立を図ろうと世界の注目を集めています。三浦さんからのお便りから、国の幸せって何かなぁ~、個人の幸せって何かなぁ~、っと考える機会を頂きました。今後も、彼女の活躍をウォッチ要です。(文責.竹山正人)


<三浦愛さんからのお便り>
(写真:後方左端が三浦さん(職場でテトにお寺巡り@バクニン)

私は現在、国際協力銀行(JBIC)ハノイ駐在員事務所で専門調査員をしています。JBICは、日本のODA(円借款)を通じ、途上国のインフラ、電力、教育、医療、環境整備等の支援を行っています。私の仕事は、インフラ整備(道路・橋梁建設)と、専門である教育/人材育成事業(道路維持管理体制確立支援、交通安全、省庁組織改革等)の運営監理です。

1997-98年のハノイ留学中に国際協力に興味を持ち、国際開発系大学院修了後、国際協力機構(JICA)にてベトナム・カンボジア教育案件担当、2004年からカンボジア教育省(日本の文部科学省)で日本政府支援による教育案件(教育政策策定・理数科教育支援等)の形成・監理専門家を2年間しました。

教育専門家を目指したのは、留学時代、ベトナム人に「日本は裕福で、ベトナムは貧しい」とよく言われる一方、日本では神戸小学生殺害事件等、殺伐としたニュースが増え、経済的な豊かさが心の豊かさと必ずしもイコールではないのではないか、ドイモイブームのベトナムで経済発展と心の幸せを満たすにはどうすればよいか、「自ら考え、選ぶ力」を身につける教育が重要だと感じたからです。

援助依存度の強いカンボジアと比べ、ベトナムは一度決定が下されると物事が進むスピードは速く、自分の国は自分達で作る、という意識が非常に高い国です。ベトナムの実力・潜在能力を見極め、いつまでに、どのように成長することが望ましいか、相手と共に議論を積み重ね、実を結び、喜びを共有出来た時に、この仕事の面白さを強く感じます。専門家とは現状を適格に判断し、共に考え、時に適切な情報とアドバイスを与え、その国に一番合った仕組みを作れる人のことだと思います。私はまだ一緒に学びながら考えている段階です。

久々のベトナムで驚いたのは、物凄い勢いで進むインフラ整備。留学時の通学路と同じ場所?と驚くこともしばしば。インフラネットワーク開発(道路・橋梁・港湾等)による工業団地の進出、地域経済の活性化を目の当たりにします。ただ、急速な発展の影で、先進国が時間をかけて積み上げたことを短期間で達成しようとしているため、制度・法律整備面で課題が多く、長期的・包括的な人材育成が必要です。
私が順調にキャリアを積めたのは、偏にベトナムのお陰です。自分は拘りませんでしたが、実際はベトナム語専攻ということで関心を持ってもらえたことが多かったです。「ベトナムにちょっと詳しい」だけでは不十分ですが、「分野だけ」でも人と差がつかないのだと思います。

今後は、活動範囲を拡大、地域や組織を超えてグローバルに活動する専門家になり、多くのチャンスをくれたベトナムへの恩返しのため、修行を積み、もっと強力になって戻ってきたいと思っています。





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お便り-鵜沢寛太郎(V02卒)


ハノイで奮闘する鵜沢君よりお便り届きました。彼がベトナム語を話している姿を見たことありませんが、「モッ、ハイ、バーァー!」っと大声を発する彼を目撃したことはあります。先日、たまたま国際電話で会話した際も、彼は、呂律が回っていませんでした。「こいつ、大丈夫か?」って心配しましたが、さすが、ベト科遺伝子を継承している。泥臭いドブ板周りの営業も臆することなく、それを楽しんでいるかのように振舞う。出張が多いようで、ダナン、ホーチミンっとベトナム国内を走り回っているようです。当然、府中キャンパスでの宇根先生パーティーにもハノイから駆けつける。そのフットワークの軽さが彼の魅力。話せば話すほど、彼の知られざる魅力は無限に沸いてくるかも・・・。彼は、確実に、「モッ、ハイ、バァー」対決から逃げない。自信ある現役(Young)は、挑む価値あるかもね・・・(文責竹山正人)

<鵜沢寛太郎さんからのお便り> (写真中央が鵜沢君)
2002年卒業の鵜沢寛太郎です。現在、INAXという会社でハノイに駐在して3年になります。仕事は、トイレ・タイルなどを国内向けに売る営業で、ベトナムにより良く快適な住環境の提案をする仕事をしています。日本人がベトナムで駐在してする仕事は、会社・業種・職種によっていろいろと違いますが、私のようにベトナム現地にドップリはまって仕事をしている日本人は、なかなか少ないかと思います。

と言うのも、私の仕事はベトナム国内市場での営業です。ベトナム人のお客さんを相手に、どんな商品が喜んでもらえるのか?どうやったら買ってもらえるのか?どうやったらベトナム人のウケがとれるのか?と、常にベトナム人とベッタリ触れ合いながら考える仕事なのです。ベトナム人と同じ目線で話をして、同じ飯を食べ、一緒に酒を飲み、ベトナム人になりきった気分で物事を考えるのです。

さて、ここで大学時代に修得した、私の2つの武器が力を発揮するのです。

1つ目は、言わずもがな、ベトナム語ですね。でも、私は大学時代あまり勉強をしませんでしたので、ベトナムに来た当初はかなり苦労をしたものです。仕事が終わってから、ベトナム語の学校に通うなど、なかなか涙ぐましい努力をしたものです。「ああ、学生時代にもっと勉強しとけばよかったなぁ・・・」と思っても後の祭りですね。現役生の皆さん、学生のうちにしっかりと勉強しておきましょう!

2つ目は、これは私の大の得意技、ビールの一気飲みです。こちらは、大学時代に非常によく頑張りました。ベトナム人のお客さんはお酒を飲むのが大好きで、毎日のように一緒にビールを飲みに行くのですが、そこで必ず、私は誰よりも早く、誰よりもたくさん飲むことができるのです。ビール大好きのベトナム人から、いつも賞賛のまなざしで見られます。そして、これがきっかけで深い付き合いになっていくお客さんも、いっぱいいるのです。飲みニケーションも、ベトナムでは非常に大事な仕事の一つなのです。

こんな感じで、いつも半分酔っ払いながら、なんちゃってベトナム語を話しながら、ベトナム人とのビジネスをしているのです。ベトナム語は相変わらずまだまだですが、ベトナム人の心をつかむ術だけは、かなり身につけられたと思います。今後もこの強みを活かして、ベトナムの住空間をさらに快適で住み心地の良いものにしていくよう、仕事に取り組もうと思っています。

あと何年かはこちらにいる予定ですので、みなさまベトナムにお越しの際は、ぜひご一報を!一緒にビール一気飲みに行きましょう!また、なにか最近のベトナム事情で知りたいことがあったら、何でも聞いてくださいね。酔っ払っていない限り、お答えいたします・・・。



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お便り-中嶋良和(V06卒)


私(竹山)が、卒業した1998年頃は、バブル崩壊後の空白の10年真っ只中であり、住専不良債権の焦げ付きに公的資金を導入するか?っが、村山内閣での悩みの種でした。世間では、金融ビックバーンの再編の嵐。シティーやトラストバンクが日本本土に進出し始め、北海道拓殖銀行(97)、山一證券(98)が破綻したのが橋本内閣の時でした。97年には、バンコク発のアセアン通貨危機が始まっていましたから、都市銀行の中には、アセアン拠点を引き上げる大手もありました。金融業を取り巻く環境はまさに、大嵐の時代だったかと思います。当時も今も、根強く都市銀行に就職したベト科卒業生が大勢します。今回は、入行3年目の中嶋君(V06)の生き様を特集します。ナカシマ君、寝てる場合じゃないですよ!彼は、荒波から脱出できるのか?その予感ありです。(文責.竹山正人)


<中嶋良和さんからのお便り>
皆さん、こんにちは。2006年卒の中嶋良和と申します。現在は、みずほ銀行に勤務しています。成果も上がらず、辛いなぁと悩んでいた社会人生活も早くも3年目となりました。

昔から海外への「憧れ」があり外語大へ入学した訳ですが、学生時代は極めて不真面目な学生で、かなりの時間を酔っ払って過ごしていました。1年間のホーチミン留学を経て、就職活動を開始し、当時は商社やメーカー、海運業界を志望していて、金融機関で働きたいとはあまり感じていませんでした。それではなぜ今、銀行で働いているのか。銀行の窓口は3時になれば閉まってしまいますし、預金や融資以外には銀行が(銀行員が)どんな仕事をしているのか、当時はほとんど何も知りませんでしたが、プロジェクトファイナンスに携わっている先輩銀行員の話を聞いて、金融の大きな可能性を感じたことが銀行で働くことになった決め手です。

当初は海外でプロジェクトファイナンスに携わることを夢見てみずほ銀行に入りましたが、現在は中堅中小企業RM(Relationship Management)として活動しています。融資はもちろん、デリバティブにインターネットバンキング、取引先の従業員向けに住宅ローン・運用商品のセールス、ジャンボ宝くじだってセールスします。出来ることはなんでもする、いわば「何でも屋さん」です。

つい最近まで朝1時間、昼30分、夜1時間、課長の隣で毎日叱られ、先輩に怒鳴られて泣いてしまい、またある時は取引先の部長の前で泣いてしまうという冴えない毎日を過ごしていましたが、この頃は取引先で「一生懸命やってくれたね」なんて褒めてもらえるようにもなりました。

今は日本国内で中堅中小企業RMとして働いていますが、昔からの海外への「憧れ」やベトナムで仕事をしたいという思いが無くなった訳ではありません。それどころか、思いは強まる一方です。どんな国、何をするにも金融の仕組みは不可欠!将来は金融の仕組みで、ベトナムの発展に貢献できるような仕事をしたいと思っています。それが近い将来であれば文句無しですね。今年度で3年目に入りました。今までは、確かに、効率悪く叱られる場面もありましたが、石の上にも3年!の格言通り、そろそろ軌道に乗ってきましたしので、次は、テイクオフしたいと思っています。運が良いことに、4月に着任された支店長は、ハノイ支店の元支店長です。自分も、そのようなキャリアを積める様に、がんばりたい!と思っています。

就職活動中のみなさんは面接のピークを迎えた頃かもしれませんね。がんばってください。卒業生の皆さん、先輩方には日本で、ベトナムで、お会いできればと思います!その時は、決して叱らず、褒めて下さいね!



これが、記者が見た 3.8ドキュメント!


1984年卒業の数土修さんが、3月8日の宇根先生パーティーの写真を、越南ネット編集部へ届けてくれました。みなさん、既に、数土さんは、ご存知ですよね?パーティーへ参加された方は、あの青空の下での全体写真の際に、デジタル一眼レフカメラにてバシッっとシャッターを押してくれた方です。あの時、若僧どもは、小さなデジカメで分割撮影に必死でしたが、数土さんが一眼レフを抱えて前の現れ、ドシッと構えた瞬間の「おぉ~~ぉ」のみなさんの歓声は、タイガーウッズのドライバーショットを生で見た観客の歓声以上でした。

数土さんは、現在、札幌にお住まいで、北海道新聞社に勤務されています。要するに、メディア業界に従事されており、新聞記者としてのプロであります。私としても、素人ながら、勝手に、越南ネット編集長と名乗っているのが恥ずかしいですが、優しく見つめてくれている数土先輩は大好きです。

今回、40枚ほどの写真をアップしていますが、解明度、アングル、光の量、シャッター速度すべてパーフェクトであります。既に、前回の若僧撮影写真の中から、お気に入り写真をプリントアウトして額縁に入れて玄関に飾っている人は、申し訳ないですが、数土先輩の写真を再度、カラープリント→高額額縁に保存のほど、よろしくお願い致します。見所は、全体写真&竹琴演奏シーンでの引き、宇根先生を見つめる奥様のショットは、いずれも涙モノです。

では、“プロが見た3.8ドキュメント”のフィルムをご覧下さい。

次のリンクをクリック下さい。⇒⇒⇒ 
(文責.竹山正人)
【注意】越南ネットに掲載した写真は、参加したみなさんからお寄せいただいたものです。ダウンロードして、個人の記念としてプリントアウトするのはご自由ですが、他のウェブサイトに転載、出版物への掲載、多量のプリントアウトを配布、あるいは販売するといった行為はご遠慮ください。著作権並びに肖像権に関する問題が発生する場合があります。問題発生時は、直ちに、掲載写真をCLOSE致します。(竹山正人V98)

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