2008年7月1日火曜日

お便り-山口隆之(V77卒)


東京医療センター外科病棟 にて
協賛:当センターきっての売れっ子看護婦 (匿名希望)

山口先輩から、お便りを頂けたのは嬉しい限りです。3月8日(土)は、ベト科卒業生が“いざ、府中!”を目指した訳ですが、遠くから駆け付けてくれたOB、仕事を休んで這って来たOG、バイトシフトを調整して合流した現役生と、参加者それぞれのドラマがあったはずです。山口先輩は、闘病中の身でありながら、医師から外出許可を得て、駆け付けてくれた一人です。少し哲学的になりますが、個々の人生は、当然、それぞれ異なるのですが、共通して言える事は、「みんな、Happyになりたい!」と願っているはず。Happyって何かは、誰も決めてくれないから、自分でHappyになれるように頑張るしかないし、馬鹿みたいに単純に頑張るのも疲れるから、自分のHappinessとは何か?と定義する必要がある。山口先輩のお便りを読んで、「竹山なんか、もっと、My happinessに対して頑張らんといかん!」って思ったし、そんな動機を与えてくれた先輩に感謝です。では、私の前置きはサテ置き、まず、山口先輩製作のホームページ⇒⇒⇒を見てから、お便りの熟読へとステップして下さい。一風変わったHPに、度肝抜かれますよ。(文責.竹山正人)


<山口隆之さんからのお便り>
ホームページ 「絵で翻訳するベトナム」作成までの道

3年前に癌で大腸を半分切り取られたとき、人間五十年、そろそろ人生の卒論の提出期限かと, 各地で画いたスケッチと目にしてきたベトナム関係の古書をまとめたホームページ<絵で翻訳するベトナム  ⇒⇒⇒> を作成した77年卒の山口です。いまも抗癌剤治療のため入退院を繰り返しており、今年の3月8日の宇根先生の退官パーティーには、病棟の外出許可を得てもらって参加しました。当日集まった卒業生、在校生は総勢150名。西ヶ原時代は先輩諸氏全部集めても50人とはいかなかったでしょう、今回の人数、華やかさには圧倒されました、幹事の皆様ほんとうに御苦労さまでした。この便りでは、最初から作ることを目指した訳でなかったこのホームページが、出来てしまったまでの話を御紹介します。

70年代、当時の辞書と言えば、ベトナム戦争の米兵相手の<越-英>と、中国の <越-漢>辞書くらいでした、竹内先生が辞書を完成されたのが卒業後何年かしてからでした。辞書が無かったことは自分自身への格好のさぼりの理由でした。音楽好きの私は、授業には目もくれず、ひたすらオーケストラでチェロやコントラバスを弾いてました。今でも<チェロ弾き豪酒>名でメールを送ると、当時を思い出してくれる人々がいます。音楽三昧の当時、絵はまったく画いてませんでした。卒業後、ベトナム出張時、楽器を持っていくより軽いスケッチブックがきっかけでした。

とは言うものの、卒業時の1977年は、その2年前にサイゴンが解放されたばかりでハノイの街には公安の目が光り、人々は夕方になると通りに面した灯を消し、夜はひっそりと真っ暗。ぼくら外国人、日本の商社仲間はホータイに突き出たタンロイホテルに詰め込まされ四方八方から、さらには真下の湖面からも監視されていました。街中でカメラのシャッターをきるのもいちいち付添いの公団の通訳に確認し公安の目を気にしていた時代で、絵を描くなんてなんかとんでもない時代でした。

そのうち、ドイモイの少し前だったでしょうか....街中で、外国人相手と言わないまでも、トイレも一応あり片言のベトナム語で通じる飲食店が出来始めました。ホテルの部屋で日本人町の角屋七朗兵衛や茶屋七郎次郎の話を肴に呑のんでいた酒瓶をかかえ、おそるおそる街中に出始めました。コムビンザンも少しずつきれいになり一人でもビールを呑みに行けるようになってきました。またそのころ、仕事上も面倒な手続きだった“移動許可証”がなくなり、地下資源など重要なサンプルを持ち帰るときに必要な“見本品輸出許可証”が消えて行きました。鉱産物なども担当している私にとっては地方出張の仕事などずいぶん楽になりました。現在とちがってメールなどなくリアルタイムで日本から縛られてはいないので、一度地方に出れば、土日以外ウィークデーでも自由な時間ができるようになりました。出張した地方の先々で歓迎の酒宴に招かれ、ひたすら呑んでは返礼に、帰り道などでスケッチするのが楽しみになりました。

例えばバクダン河のファズンのフェリー乗り場。ハロン湾に伸びる奇岩群の間に落ちてゆく夕日は、キャンファの町で泥まみれでの顔で出迎えてくれた炭鉱の幹部たちと呑んだあと、ハノイまで帰る途中で絶好のスケッチポイントでした。しかし、いつのまにか台湾のセメント会社が絶景の地点にプラントとを建て楽しみをぶちこわしてくれました。

変わってしまったと言えばサイゴンのレックスホテルから見えるマリアカテドラル。味のある周辺の木が消えてビル群が立ちならびました。さらにはレックスの宿泊料。昔、フランス語とベトナム語だけのレストランのメニューを日本語に訳していたころ一泊US50前後だったのが今はUS200以上。1984年のリニューアル以降20年近く定宿としてましたが、敷居が高くなりすぎました。

一方、古書について言えば、たまたま勤めていたのが三菱系の共産圏専門会社が丸の内にあり、日比谷公園の都立図書館のすぐ近く。 帰国中は、周りの目を盗んでは中央区の月島図書館などに足を運び <朱印船> <安南> <仏印>と検索して出てくる本を読み漁ってました。商社マンだったので、朱印船時代の尾張、松坂商人がホイアンと行き来し富を築いた話は興味深く、大航海時代の資料を求めて伊勢神宮の徴古館にも足を運びました。

振り返って見ると、絵も古書もひたすら勤務時間から自分の趣味の時間を盗みだしてきた賜物のようです。30年くらい我慢して一つの世界にいるとボーっとしていても結構そこそこのものがたまるのかな? と言うのがホームページが出来た後の実感です。

余談ですが、今の癌治療は大したもので、かなり進んだ癌ですが、外観上は写真の通りちゃんとします。ただ体力が落ちているので会社勤務は少々つらく、昨年9月から休職扱いにして頂き病室に送受信が出来るE-mobile付ノートパソコンと、サイゴンで買い込んだ辞書を持ち込み、昔覚えたビジネス用語を思い出しながらで知人や翻訳会社からの原稿を翻訳してます。

もと勤務していた三菱系商社が日本の基幹産業、業界とベトナムとの窓口になっていたのでいろいろな業界、産業の言葉を覚えるチャンスはあったのがここにきて少し幸いしているようです。おかげで、気を紛らしながらの日々を過ごせている今日このごろです。皆様のご健勝とご活躍を祈りつつ。朱印船、日本人町、そして大航海時代の本を肴に呑みすぎた大後悔の人生の卒論でした。 





お便り-小嶌周(V02卒)


小嶌君と私は、因縁の関係にて均衡しています。私が、西ヶ原4年生だった時に、彼は、新入学生として西ヶ原に登場しました。その頃は、私も先輩顔して、「かわいい後輩だなぁ」くらいの認識しか持っていませんでした。詰めが甘かったです。あの時、芽を摘んでおけば・・・と悔やまれます。小嶌君が、ベト科を卒業し、私と同じヤマハ発動機㈱に入社してきたのは、2002年4月のことでした。その頃の私は、V科先輩として、ヤマハ本社にて、ベトナム営業を担当していました。見栄張りな私は、世間的には、バリバリ猛烈デキル社員を演じていましたが、社内では、東外大越語学科卒の履歴を隠しきれず、ボロボロ社員でした。出張する度に、駐在員の期待をザクザクと裏切り続けた訳です。「おい、竹山君!先月から一緒に住むようになった女房の方が、ベトナム語うめぇ~ぞぉ!」その時、既に、反論する余地なしです。入社4年目にして、デキル後輩(Mr.小嶌)の入社を契機に、私は、海外営業の職を捨て、調達課への異動を懇願し、逃げ切る!っといった行動をとった訳です。小嶌君が入社式を迎えた日、私は、“飛ぶ鳥、跡を濁さず”の格言の如く、調達統括部へと異動しました。それだけ、私は、彼の存在に脅え、留学経験の有るベト科後輩の内定ゲット情報にQuick Responseをとった訳です。今、振り返っても、自分の即決判断に後悔はなく、彼にベトナム営業を譲ったのは成功だったと思っています。それ程、小嶌君は、私の人生を左右させた存在なのです。小嶌君のWeapon(脅威、武器)に関して、彼は、お便りの中でも一切語っていません。「脳ある鷹は、爪を隠す」ということか?(文責-竹山正人)


<小嶌周さんからのお便り>
越南ネットをご覧の皆様、こんにちは(はじめまして)。2002年V科卒の小嶌周(コジマアマネ)と申します。現在、静岡県磐田市在住、同市に本社を持つ、ヤマハ発動機に勤務しております。私の大学時代から現在に至るまで、以下駄文となりますが、お付き合いをいただければ幸いです。

昔から、「大きな夢に向かって努力」とは縁遠い性格ですので、大学受験時に、ベトナム語学科を志望した動機が、特別あったわけではありません。ベトナム語選択は“"縁”でしょうか・・・。ただ振り返って思えば、漠然と抱いていた外国への憧れ、とはいえ、当時の私の頭の中の世界地図といえば、東は日本、西はインドまでが、せいぜい想像力の及ぶ範囲でしたので、経済成長著しいASEAN諸国ののびやかな空気に憧れを抱いていたような気がします。これが、ベトナム語を選択した理由です。

このような感じで入学したものですから、学生時代は、西ヶ原の学生たちの国際的な雰囲気(帰国子女、留学生etc)にカルチャーショックを受け続けた4年間でした。学業に関しては、ベトナムに対する物珍しさもあり、楽しい学生生活を送ることができました。先日、宇根先生の退官パーティに出席させていただき、貴重な先生の経験を伺い、「できの悪い学生ほどかわいい」「卒業して数年後、教え子たちは誰も見違えるほど、立派に成長している」という一言一言に、お世話になった先生方への感謝の気持ちを感じました。

学生時代に、1年間のハノイ留学をしました。2001年の事です。正直、初めての海外生活でしたし、その経験を通して、「まぁ、海外でも、何とかなるぁ~」という自信を持つことが出来た点が、留学で得た財産です。いろいろな国の友達、また社会人との出会いは、帰国後に控えていた就職活動に大きな影響がありましたし、自分の個性をアピールする上でも、非常に助かりました。最終的に、就職先として、竹山大先輩が勤務するヤマハ発動機㈱にしました。その当時は、竹山さんのことは、知りませんでしたが・・・。ヤマハ発動機に決めた理由は、ご存知のとおり、ベトナム=バイクと言える程、輸送手段としてバイクを利用するお国柄です。ベトナム→バイク→製造業→モノ作りの自然の流れで、日本経済を支えてきた、モノ作り大国の中枢に身を置きたかったためです。

入社後の簡単な経歴ですが、 バイク同様、走りっぱなしです!
2002年4月 入社
2002年6月 ヤマハ発動機 営業部ベトナム担当
2004年7月 ヤマハモーターベトナム赴任(2年間)
2006年11月 現職(ヤマハ発動機 営業部インドネシア担当)
入社以来、東南アジア畑一筋に、外大V科として王道を歩んでいると思っています。

現在の仕事内容は、愛着あるベトナムからは外れ、インドネシアを担当しています。本社海外営業の仕事内容は多岐にわたります。インドネシアには製造・販売拠点がありますが、現地市場に向けた商品の企画~開発~製造~販売~アフターサービスまで、本社としてできることはすべて目を向けなければなりませんし、すべてにタッチしています。インドネシアは世界最大のバイク市場(2008年6月現在)であり、幸い、当地において弊社のブランドイメージは非常に高く、商品、サービス、プロモーションともに多くの方に愛されております。現在、弊社は最大手のホンダさんに次ぐポジションにおり、今後ますますの市場シェア拡大・最大収益の確保を目指しております。入社以来、営業の仕事に携わっていますが、ヤマハ仕事の面白い処は、経済発展の著しいアジアマーケットに於いて、自分のアクション(施策)が、販売量の伸びとなって反映されることが、最もダイナミックです。例えば、私がベトナム赴任開始した2004年は、10,000台/月の販売規模が、赴任最後の2006年には、40,000台/月と伸長しています。そして、今も、伸長を続けています。すべてが、自分のアクションでないのは確かですが、そういった市場(環境)にて、営業マンを遂行できることに仕事の醍醐味を感じます。

今後の夢ですが、仕事とプライベートをともに楽しみ、自分らしく歩んでいきたいと思っています。最後になりますが、先月号で活動が紹介されました、ベト科東海支部に私も参加させていただいています。今後ますます、盛り上がりをみせる(?)ベト科東海支部をよろしくお願いします。Don't miss it! 


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お便り-市川絵里(現役4回生3年)


←中央赤シャツピースっ娘が市川絵里さん
←最上段左は、今井先生!

今日、この時に、東京外大ベトナム語学科を目指している高校生はどのくらいいるのかな?まだまだ、先の話になるけど、秋になり、年を越えてセンター試験が近づくと、受験生も進学先を真剣に考えるだろうし、その御両親も息子、娘の進学先の情報を収集する時がくると思うのです。彼らは、きっと、Google検索で、「東京外大 ベトナム」って入力するだろうし、この越南ネットを見つけると思うのです。越南ネットは、現役生&卒業生のネットワーク構築に主眼を置いてきましたが、未来の後輩達へのメッセージにも成りえるツールであると確信しました。そんな越南ネットに今回、登場するのは、なっなっなんと、現役生なんです。元気◎の市川絵里さん。通称、イッチー。裏の世界では、ヨコヅナと崇められ、今、OBOGが最も恐れる核弾頭娘なんです。彼女からのお便りの末尾に、近々、ベトナムに行くよ!との宣言がなされています。分かるよね?ハノイのみんな!今から酒盛りの準備をしといたほうがいいよ!(文責-竹山正人)


<市川絵里さんからのお便り>
ベトナム語科四回生三年の市川絵理です。越南ネット在校生初ということで緊張していますが、少し私の話をさせていただこうと思います。

どうしてベトナム語を選んだのか?先輩方をはじめ、友人や初対面の人に必ず聞かれる質問です。正直言って、いつも返答に困っています。私は、ベトナムに興味があってベトナム語を始めたわけではありませんでした。外語大を選んだのも、ベトナム語を選んだのも、先生に薦められて“なんとなく”というのが本音です。“なんとなく”で選んだベトナム語でしたし、実際大学一・二年はあまり真面目には勉強していませんでした。旅行でベトナムに行っても結局英語で会話という、情けない状況でした。さすがにその後すぐは反省して、ベトナム語真面目に勉強するぞ!と思うのですが、結局その場だけ。そんな私でしたが、せっかく外語大に入ったし、もともと留学や外国での生活に漠然とした憧れがあったので、ベトナムへの留学を二年生の夏ごろから真剣に考え始めました。留学したらしゃべれるようになるのではないかという安易な考えもあり、結局去年度一年間ハノイに留学しました。

ベトナム留学中は週5回、ハノイ国家大学のベトナム語科で、個人レッスンを午前中に2時間から3時間受けていました。週3回は会話と文法を、週2回は自分の興味のある新聞記事や雑誌の記事を解説してもらっていました。つまり学校は午前のみ。留学経験のある先輩方に聞いてはいましたが、驚くほどに暇でした。あまりにも暇だったので、ベトナム人にならって、ムダにホアンキエム湖のまわりをぐるぐる回っていました。友達もなかなかできず、頼れる人も近くにいなかったので、不安になり寂しくてホームシックにかかってしまいました。そんな私を救ってくれたのは、ハノイで働いている外語大の先輩方でした。日本食をご馳走していただいたり、ハノイに暮す日本人の方々を紹介していただいたりしました。また、外語会を開いて私達と同年代の大阪外語や神田外語の留学生とつながりを持つ場をつくってくれました。そういった出会いの機会をつくってもらったおかげで、だんだんとハノイでの生活にも慣れていきました。

慣れてしまった後は、ハノイでの生活を満喫しました。ベトナム人の友達にホーチミン廟・旧市街、といったハノイの名所を案内してもらったり、ベトナム家庭料理を教えてもらったり、日本人の友達と食べ歩きをしたり、カフェでおしゃべりしたり、ビアホイにいったり、ハノイウォッカやサソリ酒をのんだり、犬肉を食べたり・・・・。もう食べて飲んでばかりをくりかえしていました!その結果留学中に5キロも太ってしまいました。

留学をして、感じたこと。それは、言語の大切さです。その国の言葉で、その国の人と付き合うことは、本当に難しくおもしろいものでした。言語を習得して初めて、そこに住む人の文化や考え方がわかるのだと思いました。留学をしたことで大切な人たちと出会い、様々な経験をして、外見だけでなく中身も一回り大きく成長できました。留学を考えている後輩は、ぜひ留学して欲しいです。でも食べ過ぎと飲み過ぎには注意してくださいね。

ベトナム語を選んでよかった。きっかけは“なんとなく”でしたが、今は本当にそう思っています。ときどき嫌なこともありましたが、私はベトナムが大好きです。将来はベトナムと関われる仕事に就ければと考えています。そしてベトナム語科も大好きです!楽しい同期と優しい先輩方、かわいい後輩と素敵な教授に囲まれて、充実した毎日をすごしています。

日本も楽しいのですが、やはりベトナムが恋しくてしょうがありません。なので、9月の始めにはハノイに行こうと思っています。ハノイにいらっしゃる先輩方、そのときはぜひお会いしましょう。


そして、ここで宣伝をひとつさせてください。11月の外語祭で、3・4・5回生の有志で料理店を出します。東京近郊に住んでいる先輩方、ぜひ遊びに来てください!1年生の料理店、2年生の語劇のほうもよろしくお願いします。日にちは11月20日(木)~24日(月・祝)です。

府中市の多磨駅前というへんぴなところに大学が移転した後も、私達学生は教室で飲み会をしたり、先輩・後輩と縦飲みをしたりと楽しく過ごしています。先輩方、そんな後輩達をこれからも見守ってくださいね。

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2008年6月1日日曜日

お便り-新妻東一(V88卒)

私は、新妻さんが卒業されてから、ジャスト10年後に西ヶ原を超低速助走の末、離陸(卒業)したことになります。年齢がいくつ離れているとかの話ではなく、私が、あと10年早く、西ヶ原に出没できていたら、新妻先輩と仲良く過ごしたのでは・・・。っと勝手にイメージを膨らましています。新妻さんからのお便りを読んで、80年代の西ヶ原も、ある意味、私好みの環境だったかっと想像します。越南ネット連載以降、私より先輩の方を特集するのは、初めての企画であります。80年代を知らない我々にとって、非常に、面白い内容となっています。先輩、寄稿ありがとうございます。新妻さんは、ハノイ駐在の傍ら、日本ベトナム友好協会(リンク先⇒⇒⇒)の全国理事も務めてらっしゃいます。残念ながら、まだ、お会いしたこともないのですが、きっと、写真のように豪快で、愉快な方なんでしょう。なんか、お会いしたら、こっちも笑顔になっちゃいそうですよね。(文責.竹山)

<新妻東一さんからのお便り>
ベトナム語科出身のみなさん、こんにちは。現在、私は三進交易という貿易&旅行会社の駐在所長としてハノイに赴任し、暮らしています。当地にきて今年4月で丸4年になりました。

東外大に入学したのは1981年。当時は、ベトナムは中越国境紛争、カンボジア侵攻と戦争が引き続き、経済的にも非常に苦しい時代で、「ボートピープル」が命からがら逃げ出していた時代でした。ですから、ベトナム語を学ぼうとする人は限りなく少なく、専攻語の選択でも、結局ベトナム語を選んだのは私を含めて3人だけでした。先生は竹内先生と宇根先生に加え、ベトナム人の先生が2名いらっしゃいましたから、学生3人に先生4人という、なんともぜいたくな時代でした。

授業も教室ではなく、先生の研究室で行うことも多く、授業も半ばぐらいになると、諸先輩方や研究者の方が研究室にやってきて、授業が終わると、竹内ヨノスケ先生が、「おい、新妻、これでビール買ってこい」とお金を渡され、私が居酒屋に走ってビールとつまみを買い込み、研究室で宴会をしょっちゅうやっていた覚えがあります。少数の教室ですので、語学を学ぶには最適だったはずですが、私は外語祭の実行委員会やら自治会活動を理由に授業をさぼりにさぼり、全く不真面目な学生でした。

2年の留年を経てやっとこさ卒業したのですが、知人の紹介で今の貿易会社に入社しました。当時はベトナムもまだドイモイ政策をスタートしたばかりで、ベトナムと取引のある企業は限られていましたので、渡りに船とばかりに就職を決めました。僕などよりベトナム語ができたクラスメートや先輩が、ベトナム語とは全く関係のない就職先にいったのに、落第劣等生の私がベトナム語に関係する職種についたのも皮肉なものです。

以来、22年間まがりなりにもベトナムとの貿易業で飯を食べさせてもらったうえに、今はベトナム人の妻を娶り、一人娘ももうけていますので、公私ともにベトナムとは一生離れられなくなってしまいました。

今回の赴任にあたって、日本にいる友人・知人と関係が切れてしまうのもつまらないので、「ベトナム便り」というウェブサイト⇒⇒⇒ を立ち上げました。私の近況報告として、友人たちにみてもらうことで、関係がきれずにつづき、たいへん重宝しております。また、このウェブサイトをきっかけにお友達になった方もあり、インターネット時代のよさを実感しています。

今後とも長くハノイに滞在することになると思いますので、ハノイにお越しの際にはぜひお声をかけてください。今後ともよろしくお願いします。



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お便り-北嶋誠士(V00卒)


いやぁ~、参りましたよね。今回は、JETRO(日本貿易振興機構)に勤務する2名のベト科卒業生を特集する訳ですが、御両名ともに、ホットなベトナムに駐在しています。冒頭の何が参ったかって、学生時代から経済学に興味を頂き、ベトナム語の勉強の傍ら、コツコツと夢を目指して、ミクロ&マクロ経済を勉強しているあたりが尊敬に値します。私は、当時、何に興味を持っていたかなぁ~?敢えて言うなら、人生学かなぁ~。。。私を初め、卒業生の中には、学生時代を振り返りたくても、振り返るほどの実りがない人も多いかと思います。今回は、刺激ビンビン提供者の2名を紹介いたします。まずは、今春よりホーチミン駐在を始めた北嶋誠士さん。君の一挙手一投足が、日越貿易均衡を左右し、更には、ベトナム社会主事共和国のGDPを押し上げ、結果、日本のGNPも押し上げることとなります。ガンガン、押し上げちゃって下さい!(文責.竹山)

<北嶋誠士さんからのお便り>
皆さん、こんにちは。2000年卒の北嶋と申します。私は今、日本貿易振興機構(ジェトロ)ホーチミン事務所に勤務しています。ジェトロと言うのは日本企業の海外ビジネスを支援する国の機関です。ご存じのとおり、ベトナムは、2007年1月にWTO加盟を果たし、高度経済成長を続けていることなどから、日本企業から大きな注目を集めています。そのため、当ホーチミン事務所は世界中にあるジェトロ事務所の中で、最も日本からの来客数が多いホットな場所となっています。こうした日本から来る企業にビジネス情報を提供したり、或いは、ベトナムに進出している日本企業向けに商談会や各種セミナーを開催するのが私の仕事です。


いま振り返れば、学生時代、自分がベトナムに駐在するなんて思いもしませんでした。当時の私は、ベトナムが嫌いと言う訳ではなかったのですが、大学1年の時に取った経営学や経済学の授業が面白くて、その勉強に熱中していました。他にも、貿易実務や通関士試験の勉強をしたりして、ベトナム以外の知識を身につけようと努力しました。ゼミも経営史と国際経済のゼミに入って、卒論も東南アジア経済について書きました。就職先にジェトロを選んだのは、大学で勉強してきたことを活かし世の中の役に立てると思ったからです。私にとって「大学で勉強してきたこと」とは、(ベト科の先生に怒られそうですが)ベトナム語ではなく貿易や経済の知識でした。

しかし、会社の人は、私のことを経済の人でも貿易の人でもなく、やはりベトナムの人として見ていたようです。これはもう外語大卒の宿命たるものです。入社したての頃は、何とかベトナム色を薄めようと努力していたのですが、仕事はベトナム関係のものを主に任されます。そうするうちに、ベトナムこそが自分の強みであり、他人と差別化できる点なんだと気付きました。経済を勉強してきたと言っても、しょせんは独学の域を出ず、専門教育を受けてきた人には勝てません。その頃になって「あ~、もっとベトナムのこと勉強しとけば良かったー」と後悔したものです。

そんな中途半端な私にチャンスが訪れたのは2004年のことです。お恥ずかしいことに、ベトナム語ができるはずのベト科卒にもかかわらず、会社の留学生として1年間、ベトナムに行く事になったのです。留学先のハノイではベト科の現役生たちと一緒に学校に通って、「いい年して何やってんだろ俺?」って思うこともありましたが、このとき初めて、ベトナムと正面から向き合い、ベトナムの面白さに気付きました。社会人になってベトナムデビューしたベト科卒業者も少ないと思いますが、その分、学生のような新鮮な気持ちを持って、ベトナムに取り組むことができていると思います。

そんなこんなで、私は、20082月からジェトロホーチミン事務所に勤務しています。赴任前、歓送会をしてくれた同期は「この年になって大変だね」と言った具合に心配してくれましたが、これは多分、学生時代の私の姿からは、ベトナムに行くなんて、信じられなかったからでしょう。3年ぶりにベトナムに戻ってきて、その変化には驚くばかりです。まずもって驚いたのは物価の上昇です。昨年のインフレ率は12.6%と、日本人にはちょっと想像ができない物価の上がりかたです。ちなみに、今日の私のランチは、ホットドックとフライドポテトで8万ドン!でした。何もかも安い時代はもう過去のものとなりつつあります。その分、ベトナム人も豊かになってきているとも言える訳ですが、これまでベトナムは人件費の安さを武器に外資を呼び込み、経済発展を遂げて来た訳ですから、そのモデルにも限界が見えつつあります。

これからベトナムがどのような発展経路を辿るのか非常に楽しみでありますが、日本との経済連携を強化することが、更なる成長に向けたカギになると考えています。そうした中、ジェトロが貢献できることは沢山あり、このタイミングで駐在できたことは非常にラッキーだと思います。ベト科卒の強みであるベトナム語を活かして、現地の生の情報源に直接アクセスし、よりリアルな仕事をやってゆきたいと考えています。



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お便り-小林恵介(V01卒)


続いてのMr.JETROは、2001年卒業の小林君です。彼は、お便りの中でも紹介ありますが、熊本駐在時代に書籍を出版しています。当然、私、購入済&熟読済でございます。小林君のお便りの後に、誠に勝手な書評を付加しますので、ご興味ある方は、私の書評を読まず、本の御購入を優先願います。さて、北嶋君に続き、小林君もマクロ経済学で言うところのマンデルフレミングモデル(IS-LM-BP曲線のこと、フレミングの左手の法則とは違うらいしい・・・!)の線上を歩く男なのです。彼が、動いたら、冗談抜きで、IS-LM-BP曲線は、彼のシナリオ通りに動くのでは・・・っと思いました。確かに、国家レベルでは難しいかもしれないが、彼が熊本で興した功績は、熊本県におけるBP曲線を移動させた事は事実。ちょっと、大げさかもしれないけど、watch him! であることは、“間違いない!”(ちょっと古い?)。。。(文責.竹山)


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小林恵介さんからのお便り>
この度、竹山さんからご依頼をいただき、原稿を書かせていただきます小林恵介と申します。よろしくお願いいたします。現在、日本貿易振興機構(ジェトロ)という組織の在ハノイ事務所で働いております。私事で大変恐縮ですが、学生時代から現在まで、どのように過ごしてきたのかを書かせていただきます。

【学生時代】

外語大一年目はほとんど講義に出席していなかったと思います。一年間大学浪人していたため、「もう勉強はしたくない」と考えていたような気がします。それでも、二年目からは真面目に講義を受けるようになりました。勉強という面で最も注力したことを挙げると経済学になります。ベトナム語については、もちろん自分なりに語学力を向上させるよう努めていましたが、同等もしくはそれ以上に経済学に関心を持って勉強していました。理由は3つあります。一つは、ベトナム語に加え、他のツールや考え方を身に付けたいという想いがあったため。二つ目には、大学浪人時代に毎日英語を勉強し、大学入学後にさらにベトナム語を勉強していましたが、経済学での考え方、論理の組み立て方が非常に新鮮に感じたことため。三つ目には、他大学の大学院へ進学し、経済学というツールをもう少し深く知りたいという想いがあったためです。外語大を卒業した後、一橋大学経済学研究科(修士課程)に進学しました。周りの同期生と比べ、授業の理解度もかなり遅れ気味で苦労しましたが、それまであまり感じることがなかった「勉強が楽しい」と思える瞬間がいくつもありました。

【ジェトロを選んだ理由と、ジェトロでの業務内容】
ジェトロでの経歴を簡単に説明させていただきます。
・20034月 ジェトロ東京本部 貿易開発部アジア支援課
(担当業務:東南アジア諸国を対象としたODA事業)
・20051月 ジェトロ熊本貿易情報センター
(担当業務:管理系業務、貿易・投資に係る相談業務、輸出促進事業、調査業務
・20083月~現在 ジェトロハノイセンター
(担当業務:ODA事業、ベトナム関連情報の収集・提供)

就職先としてジェトロを志望した理由はいくつかあります。一つには、学生時代に学んだ「ベトナム(語)」と「経済学」の双方を使える可能性が高いと考えていました。二つ目には、故郷である北海道にも事務所があり、北海道で仕事ができる可能性もあるためです。三つ目には、若干大げさな表現ですが、日本のために何か役に立ちたいという想いがあったからです。ジェトロは公的機関であるため、お客様は日本の企業・個人の方々です。ジェトロはODA事業も実施していますが、当該事業も、ベトナム政府・企業だけではなく、日本(企業)にもメリットがある事業を組み立てることが求められます。

ジェトロに入って良かった点としては、ジェトロが、日本企業のニーズ、または政策ニーズに応えるためであれば、様々な支援ツールを構築できる組織だったことだと考えています。例えば、私は昨年、ジェトロから本(タイトル名=「世界に羽ばたく!熊本産品~一次産品の輸出成功事例から学ぶ~」(リンク先⇒⇒⇒)を出版しました。日本各地で、食品輸出の機運が高まっており、従来取り組みをしてこなかった企業が海外販路の開拓・拡大に関心を持ち始めています。ジェトロ地方事務所発の有料出版物はこれまでなかったと思いますが、私自身は、食品輸出のノウハウやケーススタディに係る情報ニーズがあると考え、組織内での承認を得、熊本県内で食品輸出に成功した企業への取材内容を本にすることができました。お客様のニーズと自分のアイデアで多様な事業・調査ができるということは、幸運なことだと考えています。

【今後の夢、外語大生へのメッセージ】
私はそれほど大きな夢を持つことはないのですが、今後も日本、ベトナム両国のお客様に対し、地道に情報提供できればと考えています。ただ、社会的、経済的に大きな変動があり、また日本企業からの注目を集めている国に身をおいていることは、他の社会人と比較して有利な点と考えています。この優位性を活かしつつ、お客様の情報ニーズと自分の視点というものを軸に、情報発信していければと考えています。

外語大の現役学生の方々には、ベトナムに限らず、世界へ目を向けながら楽しく日々を暮らしていただければと思います。当然のことかもしれませんが、外語大生の特長は、海外へ出ることに抵抗がないことだと思います。異なる環境にどんどん身をおき、広い視野を持って勉強、就職活動を行ってください。


<竹山の読書感想文>
小林君が出版しました“世界に羽ばたく!熊本産品 published by JETRO”を読んだ感想を書きます。まず、ネットで注文後、受け取るまでに10日を要しました。昨今のAmazonに慣れっ子の私としては、配達の遅さに苛立っていましたが、本を受け取るやいなや、度肝を抜かれました。JETRO BOOKSは、注文を受けた後に、印刷&製本工程に着手するらしいのです。こっ、これは、DELLのビジネスモデルをJETROがベストプラクティスとして真似ているって事です。要するに、JETROは、在庫ゼロでの書籍販売をしている訳です。On demandです。Greatです。さて、そろそろ、本の書評に入ります。熊本県の農業(第一次産業)について、統計を用い、日本国内におけるシェアの高さ、県経済に与えるインパクトの高さを立証した後、JETROとして熊本県の農業活性化への取り組みを数点のケースを紹介する形で構成されています。日本は工業国故に、第一次産業は軽視される傾向にあるが、いや、本来ならば、食料自給率の観点からも注目されるべき産業であるが、注目を浴びない。そんな環境の中で、小林氏の書籍は、熊本県農業従事者に希望を与えるだけでなく、非農業従事者にとっても、がんばる農家の姿を知ることで、なぜだか、応援したくなる。その気にさせられたのは、彼の功績かと思います。また、豊富な海外輸出ビジネスのケースを紹介する事で、JETROの仕事をアピールするだけでなく、日本農業の世界の中でのポジショニング(戦略)が見えてくる。ひとつの例として、畳に使用されるい草。熊本は、日本生産シェア97%。しかし、安価な中国製品の台頭、また、違法での熊本県産品種の中国からの逆輸入により、生産量はピーク時の26%まで落ち込む。そんな試練続きの熊本県のい草農家(組合)は、どんな手に打って出るか?この回答は、是非、本を御購入して頂けたら解説されています!(プロモです!)本の末尾には、小林君の優しさが伝わってくるような分かり易い輸出成功要因が纏められています。コスト削減/付加価値の付与/海外出張での試食イベント/フットワーク/熱意等々。小林君の許可無く、本当に勝手だが、竹山的にひとつ追加したいと思います。熊本県を初めとする九州地方は、知らないうちに農業競争激戦区になっているのです。競争激戦区(産業集積地)は、工業で言うならば、大田区、TOYOTA城下町、浜松市が有名だが、その中で切磋琢磨して生き延びることが企業の競争力の源泉と言えます。これは、ニッチ戦略やブルーオーシャン戦略とは逆行しますが、敢えて激戦区の中で、時に切磋琢磨し、時に同業者が情報交換する。それが、競争力強化につながっている気がします。熊本県も立派な農業クラスター地域ですし、JETRO熊本は、その競争力確保の為に、いい仕事してますね!どう、小林君、この視点、30点くらい貰えそうな分析でしょうか?やはり、可っすか?



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お便り-五島文雄先生(V77卒)を囲む会

ベト科東海支部活動報告
(写真は左から、田中直史V02、小島周V02、五島先生V78、鵜沢寛太郎V02、樋川俊之V98、撮影者竹山V98

東京外大ベト科東海支部という組織があります。静岡県&愛知県で働いている、在住している、その他、なんだか知らないが関連するバックグランドを持つベト科卒業生を中心とした組織です。(最近、できました。) 今までは、数名での忘年会、癒し飲み会程度の企画で終了しておりましたが、規模を16名まで拡大させ、更に、よりアカデミックに活動領域を拡大すべく、静岡県立大学国際関係学部の五島文雄教授を訪問し、楽しい時を過ごしました。今回は、活動報告として、その内容を越南ネットに投稿致します。

510日(土)の小雨降る中、五島文雄先輩(V78卒)の最大のご協力を頂き、静岡県立大学キャンパスをツアーして歩き、その後、五島教授研究室にてベトナム討論会を実施しました。討論のテーマは多岐に及び、五島先輩が過ごした学生時代の東京外大の様子、その後の大阪外大での教員時代の研究内容、また、御専門であります政治・経済に関するベトナムの変貌について、五島先輩のホーチミン留学時代(1974年)から現在に至るまでを時系列に沿って御講義をして頂きました。


(途中合流者=諸井未来V06、内山夕輝V98、近藤真澄V00

夕方からは、静岡駅周辺の居酒屋に場所を変え、終電ギリギリまで、お酒を飲みながらの座談会となりました。2軒もハシゴしたので、会話した内容は覚えていません!それでも、昨今のベトナム証券市場での暴落要因、ベトナム企業での労働争議問題、日本国内でのベトナム難民問題と、講義メモを取りながら飲みたい!と感じる座談会となりました。私のようなベトナム語と疎遠な卒業生は、「はぁ、私は、ベト科卒業生だったなぁ~」と改めて認識をし、また、バリバリにベトナム関係の仕事に従事している卒業生は、「今のベトナムは・・・なんだ!」と更に、越南への想いを加熱させる有意義なイベントとなりました。これもすべて五島文雄先輩のオープンハートな性格に、我々が、どっぷり甘えさせて頂くことで実施することができました。五島先輩、ありがとうございました!

五島先輩は、千葉より駆け付けて頂き、また、遠くはハノイ(またか?鵜沢V02!)、愛知県豊田市、岡崎市からも這って来てくれた同志の熱い思いにより開催する事ができ、みんな、大好きです!次も、やるぞ!(文責.竹山正人V98


PS
2007
年秋頃に、本当に、暇なメンバーでベト科東海支部(同窓会)を結成しました。今では、16名まで拡大しておりますが、私共の連絡の取れる範囲内でメンバーを増やしてきました。大変、申し訳ございませんが、静岡県&愛知県に関連したベト科卒業生全員に、連絡できていないのも正直な処です。東海支部の活動目的は、ただの飲み会だけでなく、社会人における異業種情報交換の場として、個々の視野拡大を第一目的としております。不定期ですが、メンバーには、出欠席に係らずご案内を発行致します。ご興味ある方は、竹山(takeyama555@gmail.com)まで御連絡頂けましたら幸いです。

ベト科東海支部加入条件は 1)愛知県、静岡県で働いている、住んでいる、戸籍がある、実家があるベト科卒業生、2)愛知県が好きな人、以前、静岡県出身者と恋愛していた人、ごめんなさい!引っ越してください!

【現在の東海支部メンバー(08.05.10時点での16名)】

五島文雄(V78)/深澤加恵(V96)/樋川俊之(V98)/内山夕輝(V98)/竹山正人(V98)/渡利裕一(V99)/近藤真澄(V00)/野崎佑介(V00)/田中直史(V02)/鵜沢寛太郎(V02)/小島周(V02)/椎谷徳子(V02)/太田真由子(V04)/郷土有希乃(V05)/諸井未来(V06)/鈴木明芽(V07

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