2009年2月6日金曜日

お便り-石井良佳(V96卒)


いやぁ~、越南ネットに石井良佳(ヨシカ)さんの登場です。Mixi世代のヤングにとっては、ベトナム語科コミュニティーのメンバーでもあります石井先輩のプロフィールを見て、「何者だぁ?」っと思われた方もおられるかと思います。その先輩が、ここに、(祝)参上です。なんせ、石井さんは、世界中を飛び回ってますので、追っかけも大変です。原稿執筆の件で、コンタクトを試みた過去数ヶ月間でも、東欧だのアメリカだのアセアンだの駆け巡ってました。更に、本を出版したり、会社を興したり・・・。そのバイタリティーには脱帽ですし、尊敬に値します。圧巻なのは、今回、原稿を依頼した際に、「何文字で纏めたらいい?(石井さん)」の質問に対し、「石井先輩は長いストーリーお持ちですが、2,000文字で纏めてください!(竹山)」って依頼したんです。見事、2,000文字±2%の文字数で2日で戻ってきました。脱帽。白旗大振りっす。多忙な中、ご協力ありがとうございました。では、石井さんの原稿をお楽しみ下さい! 待って!その前に、石井さんの書籍に御興味ある方は、次をクリック⇒⇒⇒。2008年10月に出版された本が、「らくらくベトナム語 文法+会話 CD付き」です。では、Enjoy it. (文責. Masato TAKEYAMA)


<石井良佳さんからのお便り>
旧正月おめでとうございます。皆さんはどのようにお過ごしになりましたか?

卒業後あっという間に十数年。「光陰 矢の如し」「少年老いやすく学なり難し」という言葉が切実にわかるようになって来たこの頃です。時が経つのは本当に早いものですね。卒業後10年くらいまで、連絡を取り合っていた友達もどんどん疎遠になってしまって連絡先がわからない人も多くなってしまいました。この場をお借りしてお世話になった先生、先輩、同級生、後輩たちに近況報告をさせていただければと思います。

大学卒業当時まで時を戻してお話しすると、卒業後、私はベトナムに工業団地を作る商社のプロジェクトに入りました。ベトナムの国防省との合弁でビエンホアにある米軍の基地跡地に400ヘクタールの工業団地を作るというプロジェクト。会社の片隅に机が二つぽつんと置かれたところ、まず文房具を買ってくるということから始まりました。投資ライセンスを取得した後は事務所を契約したり、開発地区の荒れ野にある不発弾の処理をしたり、住民の立ち退きなどがあわただしく進みました。もう一人の駐在員が工業団地発電所や浄水施設、設計業者、建設業者の入札などインフラ建設担当。一方私はお客さんへのパンフレットやプロモーションビデオ、広告用のポスター、ビルボードの作成。ベトナムの法律を調べて投資許可や操業許可証をもらうためのフィージビリティースタディーや定款の作成など投資に関する全ての手続きを一括で請け負うサービスを作成したり、お客さんの税金や法務の相談窓口をしていました。当時は液晶メーカーや携帯IC関連、自動車部品メーカーの社長さんなどを現地に案内したりご説明したりする仕事で目が回るような毎日でした。ところが97年にアジア通貨危機でせっかく進出してきた企業も相次ぐ撤退。世界中から来ていた投資家が一気に引き上げ、ベトナムの町はがらーんと信じられないくらいに静かになってしまいました。

その後、ベトナムの法律について色々疑問点があったため、日本で大学院に入りなおして法整備や、法社会学を学んだ後、総研にてベトナムの法整備支援や、国営企業改革、WTO加盟支援、などのプロジェクトに入りました。その後はフリーランスで通訳、翻訳をしたり、本の原稿を書いたり、通訳や翻訳のほかマーケティングリサーチをはじめとする様々な調査やコンサルティングなど、いろんなお仕事をさせていただくようになりました。

そもそもベトナム語を専攻することになったきっかけは「冒険的な人生を歩みたいなら 利権の固まっていないベトナムだ」という父の言葉からでした。その言葉のとおりベトナム留学時代は本当に 毎日が冒険のような生活で、あちこちのベトナム人に家に招待されたり、建築家のフランス建築や、文化人類学者の少数民族宗教行事の調査に同行したり、日本食レストランの開店を手伝ったり、料理研究家を案内して全土の料理のレシピの聞き取りをしたり。新聞記者の取材に同行したり、様々なテレビのドキュメンタリーや雑誌の取材のコーディネーションをしたり。

振り返ってみると、大学時代にベトナムとかかわってきてから今まで毎日が社会科見学のよう。昨日はスパイスの植え付けと収穫について今日はレントゲン機器の納入説明、明日は鉄道についての研修で線路を歩く、というようにいろんな分野の現場の『今』に立ち会える、知的な好奇心を存分に満たしてくれる仕事ばかりです。

90年代前半からのベトナムという東と西、資本主義と共産主義、近代と現代、善と悪、虚と栄、光と影。いろんなものが混在する場所で、世界中から来たいろいろ人に出会い、考えたことは一生の財産だと思っています。最近ではベトナムだけでなく、ラオスやカンボジアなど周辺諸国からインドネシアや中国、インド、アメリカ、東欧まで様々な国でのお仕事の依頼を頂くようになりました。

昨年 株式会社化させていただいたのですが、その名も東京外国語コンサルティンググループ(会社HPは次をクリック⇒⇒⇒)。東京外国語大学時代からめぐり合ってきた多くの優秀な方々の力を結集させお世話になってきた方々に恩返しをしたい。という願いが込められています。東京外国語大学卒業の通訳者や翻訳者、研究者はもちろんのこと在学中の学生や海外に住む留学生、育児で休職中の方などそれぞれの方がそれぞれのスタイルにあった形で、できるだけ多くの方にかかわって頂き、より多くの人々に喜びと感動を与えるサービスを提供することを目標にしています。

ベトナム語だけでなく、様々な言語の第一線にかかわっていらっしゃる方、様々な海外経験をお持ちの方が回りにいらっしゃいましたら是非ご紹介ください。これからも東京外語の輪をどんどん大きくして、もっと多くの方々の役に立てるようになればとおもっています。是非皆さんのお力もお貸しいただけると本当にうれしく思います。

最後に、今までお世話になってきた先生方、先輩、同級生、後輩の方々をこうやってしっかり繋ぎ止めてくれる竹山君 本当にありがとう!




お便り-藤中里絵(V06卒)


←写真:プライベート活動の1コマ。バンドライブで万歳です!右側のファンキー娘が藤中さん。


来ました!越南ネットに道産子娘の登場です。藤中さんは、お便り読んだら分かりますが、入社3年目を激走中で、今春、4年目に突入しようとしているヤングです。写真見ても分かるように、エンジョイライフしてそうですよね。っが、しかし、お便りの中では、趣味で活動しているバンド(バンド名=ジェシカ)のことには一切、触れていません。また、これが、興味をそそらせますので、このバンド活動秘話は、別途、取材依頼したいと思っています。さて、話題は、360度変わりますが、実は、私、藤中さんとは面識がないんです。会った事がないんです。年齢的なギャップとして、私が中学生の時に、藤中さんは幼稚園児かと思いますので、世代間GAPもありますし、DISTANCEの視点でも、札幌と磐田ですから簡単に会うわけにも行かず、共通点は、ただのベト科卒ってことだけなんです。出会いは、Mixiっ酢。改めて、東京外大ベト科卒というカテゴリにーに運良く属していたことを幸せに思います。(文責. 竹山正人)


<藤中さんからのお便り>
皆さん、こんにちは!2006年卒の藤中里絵と申します。現在は、北海道の第二地銀である北洋銀行に勤務しています。銀行カラーに全く染まらず浮きっぱなしで丸3年働いてしまいました。
外語大への入学は、当時は強く志望していた訳ではなく受験上の成り行きのような感じでしたが、もし今の私があの頃に戻るなら迷わずベト科を第一志望に張り切って勉 強することでしょう。ベト科で過ごした5年間は私の人生の中でももっとも輝いていた時間の一つだとしみじみと感じています。不真面目でハチャメチャな学生でしたが、小さな出来事に心痛めたり、文化の違いや人との出会いに魂を揺さぶられたりと、かけがえの無い思い出がいくつも生まれた日々でした。

さて、そんな私がなぜ今銀行で働いているのか。それは大学入学と全く同じでまさに「成り行き」であります(笑)。大学3年の冬、東京ビックサイトにて就活に疲れた私の目に止まったのは「Uターン就職ブース」。何気な〜く入ったブースがたまたま今の会社で、人事の方の熱ーい北海道への愛にすっかり心打たれホームシックだった私は急遽道内でその会社だけ受けようと思い立ち、そしたら面接はサクサク進み、気がつけば入行しておりました。うーん。ご縁ですね。

しかし銀行というのは皆様の想像通り非常に堅くて(私生活除く)、神経質で、保守的で息が詰まりそうな部分もなきにしもあらず。入行して2年がすぎ、肌の合わなさ・馴染めなさを感じていました。ただ、私の会社の中にもわずかに外大ブラッドが流れたOBがおりまして(3人くらい)励まされつつ、何とか外国為替というマニアックな分野で細々生息していました。ところが去年の7月、突然「本部の業務企画部で働け」という異動が出ていざ行ってみたら部長から「とりあえずマーケティングとかやってもらうから」と一言。「・・・え?昨日まで外貨両替とか、外国送金とかしてたんですけど・・・マーケティング???」と疑問を挟む余地も与えられないまま、去年10月に控えていた合併(当行は札幌銀行と去年10/14に合併しました)にむけて動き出していたプロジェクトの嵐に飲み込まれていったのです。

「マーケティング」とはAMA(アメリカマーケティング協会)の定義によると「組織とステークホルダー(利害関係者)の両方に取って有益になるように、顧客にとっての価値を創り、伝え、提供し、顧客との関係を管理するための組織的な機能とその一連のプロセスである」としています。つまり、世に言うマーケッターのような統計とかグラフとか睨んで商品開発するようなものだけがマーケティングではなく、一言で言うと「お客様に喜ばれる売れる仕組み作り」な訳なので、それに関連する広告宣伝、業務改善、人事評価、システム開発・・・あらゆることがマーケティングの一部なわけです。つまり「マーケティングやってもらうから=何でもやってもらうから」ってことで・・・。合併に絡んで色々やることあるから働け!ということだったのですね。という訳で、去年は死ぬ思いでしたがおかげさまで銀行らしい仕事とはちょっと離れて、転職したような新鮮な気持ちで日々働いています。

最近思うのは、私の人生ってちっとも思うように行ってないのですが、予想外のことが起こるというのは面白くて、案外幸せなことなんじゃないかなぁと。現役ベト科の学生さんも、そろそろ就職活動に入るのでしょうが、疲れた時は自然な流れに身を任せてみるのも悪くないかもしれません。でも、責任は持てませんが(笑)。では、ごきげんよう!