2009年7月4日土曜日

お便り-高野久紀(V99卒)

←写真:上段左から2人目がMr.Kono@India

20086月号の越南ネットで、2人のSuper Jetro Boysを紹介しました。経済学でいうIS-LM-BP曲線上を歩く男達(いや、IS-LM-BP曲線を動かす男達だったかな?)ってな感じで紹介しました。20093月号では、「なぜ、Harvard Business Reviewに遠藤君が載っているの?」というスクープを紹介しました。今回の寄稿者(Mr.高野)は、それらのキーワードに加え、マイクロクレジット(貧困者向け小額貸出)、HIV/AIDS問題を引っさげて、今回、越南ネットに登場です!

話は変わるけど、最近、私、軽いジョギングをするようにしています。ロンドンまで、あと3年しかないと他人には言っていますが、7月は健康診断があるので不安で溜まりません。このジョギングが継続できたらいいなぁ~と強く思っています。そんな折、刺激を貰おうと思って、「そうだ、大学時代の後輩にホノルルマラソンを走破した奴がいたなぁ~」と思い出し、そんな流れで高野君に越南ネットへの寄稿をお願い致しました。期待に反し、ホノルルマラソンのことは一切触れられていません。(後に聞く話では、3時間10分の完走ですって。) However、高野ストーリーには圧巻の一言。まぁ、私がツベコベ述べるよりも、是非とも彼からのお便りを読破して頂きたい。
読み終わる→末尾にYou Tubeリンクが貼られている→You Tube見ちゃう?→見ちゃう!→10分と思いきや45分見ちゃう→自分の中で化学反応が起きたことを感じる(続く・・・)。是非、皆さんの心の中で、どのような化学反応が起きるか試して頂きたい。参考までに、私の起きた化学反応は、「45分見ちゃう→興奮しまくる→24:30寝られない→そうだ、走ろう!と思った→いつもより速く長く走った→ゴールした時、新しい世界が見えた気がした→左足太もも後部肉離れ発生→本日休養5日目(全て事実)。 要するに、ローマは一日にして成らずってことです。高野氏も一日してならず。 ♪あと一歩だけぇ~前に~、進もぉ~♪by 竹山正人


<高野久紀(Kono Hisaki)さんからのお便り>
私がベトナムに関心を持ったのは、小学生の頃、ベトナムのボートピープルの特集をしていた24時間テレビ(だったかな?)を見てからでした。 まだ小さかった私は、24時間テレビで歌手が途上国に行って子供たちを前に歌を歌って「心のふれあい」みたいなのをしている姿を見て、貧困で苦しんでいる子どもたちの心を慰められる歌手になりたいと思っていました。 ついでに、第二志望は外大時代の同級生の小山くんのお父さんがやっているような途上国でのNGO活動でした。
高校には高校野球をやるために行き、大学には行くつもりはありませんでした。 しかし、高3の春に、進研ゼミかどこかからダイレクトメールが届き、東京外大の在学生の記事が載っていました。 「アジアやアフリカなどさまざまな国の言語を学べるのはここくらい」とあり、大学でそんなことも学べるんだと衝撃を受けました。 「歌手になって途上国に行って歌うにしても、NGOなどで途上国に行って援助事業をするにしても、言葉がわからなければ人々と交流ができないし、人々と会話ができなければ、彼らの抱えている問題も分からないじゃないか」と思って、小さい頃から関心を持っていたベトナム語を学ぼうと東京外大を目指すことにしました。
めでたく大学には入ったものの、つい、入学手続きの日に野球部の練習に参加して、入学前に野球部に入部することになってしまい、大学生活の大半は野球漬けで過ごすことになってしまいました。 今では、大学生のNGO活動も盛んで、国際協力のNGOに入っている学生もたくさんいますが、当時(1995年入学)は、そのようなNGO活動も(少なくとも東京外大では)なく、言葉は勉強しているけれど、実際何ができるかは依然として模索中で、結局野球に打ち込むという大学生活が続いていました。
そんな私に転機が訪れたのは、大学3年の春の自転車で家に帰る途中でした。言葉がわからなければ話にならないと思って言葉を学んではみたものの、言葉はあくまでコミュニケーションの手段で、コミュニケーションができるようになったからといって自分自身が何か彼らの役に立つスキルなり能力なりをもっていなければ、結局は彼らの問題も解決できないということを痛切に感じ、将来、何をしたらいいのかと悩んでいた時でした。 自転車をこぎながら、ふと、外交官がいいんじゃないかと頭をよぎりました。 「ベトナムのボートピープルにしても、カンボジアやアフリカの内戦にしても、政治が問題で人々が苦しみを味わっている」と思い、大学3年の春で野球を卒業し、外交官試験の準備に打ち込むことにしました。
東京外大でも、外交官を目指す人たちが一緒に勉強会を行っていました。 外交官の試験は、専門試験として憲法と経済学と国際関係の論述試験があり、毎週一回、過去の論述試験を解くということをやっていました。毎週の答案を作るために、憲法や経済学や国際関係の教科書をあれこれ読みあさり、大学受験なんかよりはるかに真剣に勉強しました。
外交官試験の勉強を進めていく途中で、次第に経済学に対する興味が強まり、一方で外交官としての可能性にやや疑問を持ち始めてきました。「ボートピープルや内戦、貧困の問題を一外交官がどうにかできるのだろうか。アメリカの国務長官でさえ限られた問題しか解決できていないし、そもそもその国の政治に対して口を出したら内政干渉なんじゃないか。 パスポートを無くした人の手続きとかもやらないといけないし。。。」と思うようになり、「外交官や政治は、内戦やめろとか国境問題がどうのとか、相手の政府に妥協を求める仕事がほとんどだけど、経済学だったら、こうしたら国が発展しますよ、貧困が削減できますよ、とポジティブなアドバイスができるので、相手も受け入れやすく、もっと力があるんじゃないか」と考えて、外交官はやめて、大学院で経済学を学ぶことにしました。
東大の大学院では、ミクロ経済学、マクロ経済学、計量経済学のコースワークをこなしつつ、開発経済学の勉強をしました。 コースワークでは数学的な知識が非常に多く必要とされ、最初はかなり悪戦苦闘し、本当にこんな数学を学ぶことが経済開発を研究するために重要なのかとも思いました。 大学院でコースワークをこなし、経済学の知識がついてくると(+シンクタンクから出向してきた人の話を聞いていると)、ナントカ総研など国内のシンクタンクが行っている経済分析がかなりいい加減なことに気づくようになり、博士課程に進んでもっと勉強することにしました。
博士課程で経済学を研究し、いろいろな論文を読み、また自分でも論文を書くようになってくると、「このまま数学モデルの構築や途上国の家計調査の分析を行っていて、本当に貧困削減に役立つようなことができるのだろうか、援助機関やNGOで実際に援助をしたり、民間企業に行って途上国でのプロジェクトを行っていく方が、貧困削減に役立つのではないか?」とも考えるようになりました。 経済開発や貧困削減について研究していながら、現実がどうなっているのか、その体験がなかったので、文科省のプログラムを使って、2年間ベトナムに滞在することにしました。 外大のベトナム語科に行っていながら、野球と外交官試験と大学院試験と大学院準備であまり時間がなかったこともあり、実はこの時までにベトナムには1回しか行ったことがありませんでした。
ベトナムでは、語学の勉強をしつつ、あれこれ研究テーマについて考えていましたが、なかなかこれといったものが浮かびませんでした。 物売りの調査をしたりもしてみましたが、結局、教育が大事だとか社会的関係も大事だとか、ほかの人が既に論文に書いている以上のことはなかなか浮かんできませんでした。 そんなこんなで、ベトナム滞在中はたいした研究もできなかったのですが、研究が進歩するようになったのは、ベトナムから帰ってきて、再びそれまでのように最新の論文をあれこれ読むようになってからでした。 ベトナムでの経験があったので、最新の研究の妥当性についてもイメージがしやすくなり、その研究のさらに先を行くにはどういう調査をしたらいいのかも、だんだんわかってくるようになりました。 現実だけ見ていても他の人がすでに考え付いたようなことしか浮かんできませんが、現実を知った上でいろいろと最新の研究をインプットしたり、最新の研究をインプットして現実を見ていくと新しい研究の方向性が見えてきます。
いろいろと研究の方向性が見えてくるにつれ、以前、「このまま数学モデルの構築や途上国の家計調査の分析を行っていて、本当に貧困削減に役立つようなことができるのだろうか、援助機関やNGOで実際に援助をしたり、民間企業に行って途上国でのプロジェクトを行っていく方が貧困削減に役立つのではないか?」と考えていたことも、結局は、言い訳を作っていたにすぎなかったと分かるようになりました。 経済学の研究が途上国開発に役立たないのではなく、自分の研究のレベルがそこまで到達していないので途上国開発に役立たないのだと。 そして新しくモチベーションを得て、研究を進め、国際的な専門雑誌にも論文を載せて、博士号も取り、アジア経済研究所という研究機関に就職しました。
現在は、貧困層向けの少額貸出(マイクロクレジット)や貧困層向けの少額保険(マイクロ保険)、HIV/AIDS問題について研究しています。 近年、開発経済学の分野では、Randomized Field Experiment というものが盛んになっています。 これは、ある政策が本当に効果があるのか、どれだけ効果があるのか、あるいは、ある政策に対して人々がどう反応するのか、その結果として経済にどういう影響があるのかを検証するためのツールで、原理としては、ある政策を行う対象をランダムに決めて、政策が行われたグループと行われなかったグループの違いを見るというものなのですが、世界銀行でも多くのプロジェクトでこれを組み込むようになってきています。 この手法を使って、マイクロ保険ではインドのNGOと、HIV/AIDS問題については南アフリカの日系企業と協力して、財政基盤を維持しつつマイクロ保険を普及させるための方策、および、HIVの感染率抑制、HIV検査率の向上を促すための方策について研究しています。
研究の良いところは、それによって背後にあるメカニズムを明らかにし、他の国や地域にとっても有用な知識を生み出せることです。 NGOや企業では、実際に自分が活動している地域の人々しか対象にできませんが、研究によって新たな知識を生み出したり、それまで常識と思われていた考えを打ち破ることによって、世界全体での貧困削減や経済開発に貢献することができます。 来年からは、おそらく2年間Harvardに滞在して研究を続けることになりますが、現実の貧困問題に対して実際にインパクトを与えられるような研究成果が生み出せるよう、がんばっていきたいと思います。
最後に、いつも疲れた時に見ている、MITの日本人教授を取り上げたNHKの「プロフェッショナル~仕事の流儀」の動画を紹介させていただきます。

仕事の流儀(石井裕教授@MIT) ⇒⇒⇒



お便り-平出江美(V02卒)


写真:著名な歴史学者Le Van Lan先生をインタビューする平出さん

200972日(木)、編集部デスクに一通のE-mailが届く。越南ネット原稿締切まで残すは48時間(結構あるねぇ~、結構てきとぉー)。編集部に走る緊張感。「編集長、原稿が間に合いません!」「バカ野郎!最後まで諦めるな!」と一人芝居を終え、今回は、NHKに勤務する平出江美さん(V02卒)とのEメール交換を元に、竹山が平出さんのこと&平出さん手掛ける番組の紹介をさせて頂きます。始まりは、平出さんから届いた一通のE-mailからでした。

まず、左上の写真。平出さんは、20089月から半年間、NHK派遣制度を利用してベトナム研修に行かれています。ベトナムのメディア事情を学ぶ目的で、VOV the Voice of VN , VTV, VNAベトナム通信社、HTVなどを訪問し、貴重な経験をされてきました。その時のワンショットが左上の写真となるわけだが、実は、ベト科先輩の新妻さんらハノイの日本人同志が開いた写真展を紹介するロケの模様なのです。つながってるね。
彼女は、NHK国際放送局で働いています。手掛ける番組は、NHK国際 “Radio Japan”ですが、その番組にはディレクターという立場でガチンコ勝負しているのです。番組の提案、取材、編集、収録などを行い、ベトナム向け番組だけでなく、18言語向けの共通番組も手掛けているのです。この”Radio Japan”は、18言語で日本のニュースや文化を世界に発信しているのです。また、海外で活躍する日本人を初め、日本の最新技術、日本の音楽など、日本に関する内容ならば扱うという全包囲網の戦略を取っています。対象視聴者はベトナムにいるベトナム人ですが、インターネット放送も併設していることからアメリカや日本からのアクセスも多いようです。
国際放送というと、BBCCNNを筆頭に、NHKは出遅れている感があります。昨今では、中国のCCTVはじめ、アジア各国が国をあげて力を入れてきているようです。NHKは、財政的、人員の面で他国と比較して見劣るのが実情の中、徐々に改革を進めていく計画で、そのダイナミックな動きの中で、彼女のディレクター奮闘記を今後も応援していきたいですね。
さて、ここに面白い話ですが、ベトナム語放送だけでいうと40年以上も前の1961年には放送が開始されているそうです。そのNHKベトナム語放送は、ベト科なしでは語れない縁の深い関係にあります。アルバイトはベト科の学生が歴代引き継ぎ、今も脈々と続いているそうです。(私には、そんな話は全く無かったですが・・・)。 極秘筋によると、今井先生も学生時代にアルバイトされていて、その時、作成した資料が今も残っているそうです。チャイン先生もアナウンサーとして登場されていた時期もあったそうです。
そんな我らのNHK、そして、平出さんが手掛けるRadio Japanの番組として、72日(木)に小栗久美子さん(V02卒)を特集しています。トルン奏者として御活躍の彼女のトルンへの熱い思いを纏めたものです。インターネットでの視聴は79日(木)まで可能です。それ以降ですと、新しい番組と切り替わってしまいます。とにかく、下記リンクをクリックし、トルンの音色、いきなり始まるベトナム語のナレーションをお楽しみ下さい。とにかく、クリック&受信料支払ね(NHK受信料未納の方は)!

NHK Radio Japan(ベトナム語のPage) ⇒⇒⇒
NHK Radio Japan (18カ国のトップPage)  ⇒⇒⇒


PS : 越南ネットは、NHK Radio Japanと方務的提携を結び、メディアとしての質を高めるぞ!と一方的なコミットメントを宣言しました。よって、越南ネット左側ピラーにRadio Japanのリンク先を貼付致しました。



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ベトナム広場が始まります!

岡空港(正式名称:富士山静岡空港)が国内98番目の空港として開港いたしました。今後の採算性課題、地権者との予定地調整、就航路線の確保など、開港に向けては賛否両論あったのも事実で、石川静岡県知事がこの空港問題で辞職したのも事実です。まぁ、いろいろありましたが、200964日に第一便(福岡行き)が離陸しました。現時点での国際定期便は、ソウル&上海の2都市。今後、北京、大連、杭州、広州、香港、台北、バンコク、シンガポール、グラム、ホノルルへの就航を航空会社に要請しているものの開通時期は未定です。今のところ、ベトナムへの定期便は考えられていません。

そんな荒れる静岡県を舞台に、とある企画が動き出そうとしています。五島文雄教授(V78卒、現静岡県立大学国際関係学部教授)が、静岡市を舞台に、「ベトナム広場」なるネットワークの創出を企画されておりますので、その紹介をさせて頂きます。


「ベトナム広場」
この企画は、静岡県とベトナムの交流拡大を目的に、静岡県立大学・短大の有志らで立ち上げられたものです。「ベトナム広場」では、老若男女、肩書きなど誰も気にせず気軽に集まってきて新しい出会いや会話が生まれ、そこから何かがさらに始まっていく。そんなイメージで「ベトナム広場」と名付けられています。ですから、静岡県とベトナムとの交流に関心のある方なら、どなたでも気軽に参加できる広場です。(静岡県在住でなくとも関心があれば、誰でも参加可)

ベトナム広場」では様々なイベントが企画されており、その一つとして、来年3月まで7回にわたる「静岡県とベトナムの交流の現状について」と題する連続セミナーが企画されています。早速、722日(水)には、キックオフ講演がありますので、御都合付く方は、「I am ベト科OBOG」プラカードを用意し、最前列の座席確保をお願い致します。下記に、6回の講演テーマを紹介致します。


開催場所:B-nest(静岡市産学交流センター)7階の会議室
開催時間:セミナーの時間は18302030

1回 : 722日(水) 「静岡県内の大学とベトナム人留学生」
2回 : 824日(月) 「静岡県内の日本語学校とベトナム人就学生」
3回 : 1028日(水) 「静岡県とベトナムとの経済交流の現状と可能性」
4回 : 1125日(水) 「ベトナム進出企業から見たベトナム・ベトナム人」
5回 : 127日(水) 「ベトナム人から見た日系進出企業・日本企業」
6回 : 224日(水) 「静岡市とフエ市との交流について」
7回 : 324日(水) 「浜松市のベトナム人社会」
※講演テーマ変更は有り得ます
※講演案内by静岡県国際交流協会(SIR)⇒⇒⇒

静岡市役所に勤務する諸井未来さん(V06卒)が、「静岡市とフエ市との交流について」の講演を担当し、浜松市国際交流協会に勤務する内山夕輝さん(V98卒)が、「浜松市とベトナム人社会」のテーマについて熱く語る予定です。なお、「ベトナム進出企業から見たベトナム・ベトナム人」 のテーマについては、樋川だろ!小島やれ!竹山は無理っす!と女性人ほど度胸が無く、キャーキャー言っているのが現状です。

いずれにせよ、是非とも、静岡発「ベトナム広場」 を盛り上げて、私個人が勝手に抱く「Some day a airplane will take off for Viet Nam from Shizuoka」へのポテンシャルを実感したいと思います。今後も、この「ベトナム広場」 Watch it でお願い致します。


PS:五島先輩!
NHK Radio Japanとの一方的提携を結んだメディア(越南ネット)として、はやり、ベト科卒生の講演模様は、YouTubeで世界発信すべきでしょうかね?DVD録画機あれば可能です!