2008年5月1日木曜日

お便り-三浦愛(V00卒)


ハノイ在住の三浦愛さんより、編集部にお便りが届きました。彼女は、心優しく、アセアン各国の発展の為に、日々、汗を流しています。東京外大を卒業後、夢の実現の為に大学院へ進み、現在、国際協力の最前線で働いています。夢の実現に向けて、コツコツとステップアップしている彼女の努力(過程)が、私にとって、とても刺激的です。お便りを読むと、彼女が国際関係の仕事を目指した動機でもある“幸せ(Happiness)”って何かなぁ~~っと、改めて、考えさせられました。日本は、GNP至上主義で発展を遂げてきましたが、最近、躓きつつあります。一方、アジアの小国ブータンはGNH(Gross National Happiness)という独自指標で経済発展との両立を図ろうと世界の注目を集めています。三浦さんからのお便りから、国の幸せって何かなぁ~、個人の幸せって何かなぁ~、っと考える機会を頂きました。今後も、彼女の活躍をウォッチ要です。(文責.竹山正人)


<三浦愛さんからのお便り>
(写真:後方左端が三浦さん(職場でテトにお寺巡り@バクニン)

私は現在、国際協力銀行(JBIC)ハノイ駐在員事務所で専門調査員をしています。JBICは、日本のODA(円借款)を通じ、途上国のインフラ、電力、教育、医療、環境整備等の支援を行っています。私の仕事は、インフラ整備(道路・橋梁建設)と、専門である教育/人材育成事業(道路維持管理体制確立支援、交通安全、省庁組織改革等)の運営監理です。

1997-98年のハノイ留学中に国際協力に興味を持ち、国際開発系大学院修了後、国際協力機構(JICA)にてベトナム・カンボジア教育案件担当、2004年からカンボジア教育省(日本の文部科学省)で日本政府支援による教育案件(教育政策策定・理数科教育支援等)の形成・監理専門家を2年間しました。

教育専門家を目指したのは、留学時代、ベトナム人に「日本は裕福で、ベトナムは貧しい」とよく言われる一方、日本では神戸小学生殺害事件等、殺伐としたニュースが増え、経済的な豊かさが心の豊かさと必ずしもイコールではないのではないか、ドイモイブームのベトナムで経済発展と心の幸せを満たすにはどうすればよいか、「自ら考え、選ぶ力」を身につける教育が重要だと感じたからです。

援助依存度の強いカンボジアと比べ、ベトナムは一度決定が下されると物事が進むスピードは速く、自分の国は自分達で作る、という意識が非常に高い国です。ベトナムの実力・潜在能力を見極め、いつまでに、どのように成長することが望ましいか、相手と共に議論を積み重ね、実を結び、喜びを共有出来た時に、この仕事の面白さを強く感じます。専門家とは現状を適格に判断し、共に考え、時に適切な情報とアドバイスを与え、その国に一番合った仕組みを作れる人のことだと思います。私はまだ一緒に学びながら考えている段階です。

久々のベトナムで驚いたのは、物凄い勢いで進むインフラ整備。留学時の通学路と同じ場所?と驚くこともしばしば。インフラネットワーク開発(道路・橋梁・港湾等)による工業団地の進出、地域経済の活性化を目の当たりにします。ただ、急速な発展の影で、先進国が時間をかけて積み上げたことを短期間で達成しようとしているため、制度・法律整備面で課題が多く、長期的・包括的な人材育成が必要です。
私が順調にキャリアを積めたのは、偏にベトナムのお陰です。自分は拘りませんでしたが、実際はベトナム語専攻ということで関心を持ってもらえたことが多かったです。「ベトナムにちょっと詳しい」だけでは不十分ですが、「分野だけ」でも人と差がつかないのだと思います。

今後は、活動範囲を拡大、地域や組織を超えてグローバルに活動する専門家になり、多くのチャンスをくれたベトナムへの恩返しのため、修行を積み、もっと強力になって戻ってきたいと思っています。





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お便り-鵜沢寛太郎(V02卒)


ハノイで奮闘する鵜沢君よりお便り届きました。彼がベトナム語を話している姿を見たことありませんが、「モッ、ハイ、バーァー!」っと大声を発する彼を目撃したことはあります。先日、たまたま国際電話で会話した際も、彼は、呂律が回っていませんでした。「こいつ、大丈夫か?」って心配しましたが、さすが、ベト科遺伝子を継承している。泥臭いドブ板周りの営業も臆することなく、それを楽しんでいるかのように振舞う。出張が多いようで、ダナン、ホーチミンっとベトナム国内を走り回っているようです。当然、府中キャンパスでの宇根先生パーティーにもハノイから駆けつける。そのフットワークの軽さが彼の魅力。話せば話すほど、彼の知られざる魅力は無限に沸いてくるかも・・・。彼は、確実に、「モッ、ハイ、バァー」対決から逃げない。自信ある現役(Young)は、挑む価値あるかもね・・・(文責竹山正人)

<鵜沢寛太郎さんからのお便り> (写真中央が鵜沢君)
2002年卒業の鵜沢寛太郎です。現在、INAXという会社でハノイに駐在して3年になります。仕事は、トイレ・タイルなどを国内向けに売る営業で、ベトナムにより良く快適な住環境の提案をする仕事をしています。日本人がベトナムで駐在してする仕事は、会社・業種・職種によっていろいろと違いますが、私のようにベトナム現地にドップリはまって仕事をしている日本人は、なかなか少ないかと思います。

と言うのも、私の仕事はベトナム国内市場での営業です。ベトナム人のお客さんを相手に、どんな商品が喜んでもらえるのか?どうやったら買ってもらえるのか?どうやったらベトナム人のウケがとれるのか?と、常にベトナム人とベッタリ触れ合いながら考える仕事なのです。ベトナム人と同じ目線で話をして、同じ飯を食べ、一緒に酒を飲み、ベトナム人になりきった気分で物事を考えるのです。

さて、ここで大学時代に修得した、私の2つの武器が力を発揮するのです。

1つ目は、言わずもがな、ベトナム語ですね。でも、私は大学時代あまり勉強をしませんでしたので、ベトナムに来た当初はかなり苦労をしたものです。仕事が終わってから、ベトナム語の学校に通うなど、なかなか涙ぐましい努力をしたものです。「ああ、学生時代にもっと勉強しとけばよかったなぁ・・・」と思っても後の祭りですね。現役生の皆さん、学生のうちにしっかりと勉強しておきましょう!

2つ目は、これは私の大の得意技、ビールの一気飲みです。こちらは、大学時代に非常によく頑張りました。ベトナム人のお客さんはお酒を飲むのが大好きで、毎日のように一緒にビールを飲みに行くのですが、そこで必ず、私は誰よりも早く、誰よりもたくさん飲むことができるのです。ビール大好きのベトナム人から、いつも賞賛のまなざしで見られます。そして、これがきっかけで深い付き合いになっていくお客さんも、いっぱいいるのです。飲みニケーションも、ベトナムでは非常に大事な仕事の一つなのです。

こんな感じで、いつも半分酔っ払いながら、なんちゃってベトナム語を話しながら、ベトナム人とのビジネスをしているのです。ベトナム語は相変わらずまだまだですが、ベトナム人の心をつかむ術だけは、かなり身につけられたと思います。今後もこの強みを活かして、ベトナムの住空間をさらに快適で住み心地の良いものにしていくよう、仕事に取り組もうと思っています。

あと何年かはこちらにいる予定ですので、みなさまベトナムにお越しの際は、ぜひご一報を!一緒にビール一気飲みに行きましょう!また、なにか最近のベトナム事情で知りたいことがあったら、何でも聞いてくださいね。酔っ払っていない限り、お答えいたします・・・。



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お便り-中嶋良和(V06卒)


私(竹山)が、卒業した1998年頃は、バブル崩壊後の空白の10年真っ只中であり、住専不良債権の焦げ付きに公的資金を導入するか?っが、村山内閣での悩みの種でした。世間では、金融ビックバーンの再編の嵐。シティーやトラストバンクが日本本土に進出し始め、北海道拓殖銀行(97)、山一證券(98)が破綻したのが橋本内閣の時でした。97年には、バンコク発のアセアン通貨危機が始まっていましたから、都市銀行の中には、アセアン拠点を引き上げる大手もありました。金融業を取り巻く環境はまさに、大嵐の時代だったかと思います。当時も今も、根強く都市銀行に就職したベト科卒業生が大勢します。今回は、入行3年目の中嶋君(V06)の生き様を特集します。ナカシマ君、寝てる場合じゃないですよ!彼は、荒波から脱出できるのか?その予感ありです。(文責.竹山正人)


<中嶋良和さんからのお便り>
皆さん、こんにちは。2006年卒の中嶋良和と申します。現在は、みずほ銀行に勤務しています。成果も上がらず、辛いなぁと悩んでいた社会人生活も早くも3年目となりました。

昔から海外への「憧れ」があり外語大へ入学した訳ですが、学生時代は極めて不真面目な学生で、かなりの時間を酔っ払って過ごしていました。1年間のホーチミン留学を経て、就職活動を開始し、当時は商社やメーカー、海運業界を志望していて、金融機関で働きたいとはあまり感じていませんでした。それではなぜ今、銀行で働いているのか。銀行の窓口は3時になれば閉まってしまいますし、預金や融資以外には銀行が(銀行員が)どんな仕事をしているのか、当時はほとんど何も知りませんでしたが、プロジェクトファイナンスに携わっている先輩銀行員の話を聞いて、金融の大きな可能性を感じたことが銀行で働くことになった決め手です。

当初は海外でプロジェクトファイナンスに携わることを夢見てみずほ銀行に入りましたが、現在は中堅中小企業RM(Relationship Management)として活動しています。融資はもちろん、デリバティブにインターネットバンキング、取引先の従業員向けに住宅ローン・運用商品のセールス、ジャンボ宝くじだってセールスします。出来ることはなんでもする、いわば「何でも屋さん」です。

つい最近まで朝1時間、昼30分、夜1時間、課長の隣で毎日叱られ、先輩に怒鳴られて泣いてしまい、またある時は取引先の部長の前で泣いてしまうという冴えない毎日を過ごしていましたが、この頃は取引先で「一生懸命やってくれたね」なんて褒めてもらえるようにもなりました。

今は日本国内で中堅中小企業RMとして働いていますが、昔からの海外への「憧れ」やベトナムで仕事をしたいという思いが無くなった訳ではありません。それどころか、思いは強まる一方です。どんな国、何をするにも金融の仕組みは不可欠!将来は金融の仕組みで、ベトナムの発展に貢献できるような仕事をしたいと思っています。それが近い将来であれば文句無しですね。今年度で3年目に入りました。今までは、確かに、効率悪く叱られる場面もありましたが、石の上にも3年!の格言通り、そろそろ軌道に乗ってきましたしので、次は、テイクオフしたいと思っています。運が良いことに、4月に着任された支店長は、ハノイ支店の元支店長です。自分も、そのようなキャリアを積める様に、がんばりたい!と思っています。

就職活動中のみなさんは面接のピークを迎えた頃かもしれませんね。がんばってください。卒業生の皆さん、先輩方には日本で、ベトナムで、お会いできればと思います!その時は、決して叱らず、褒めて下さいね!



これが、記者が見た 3.8ドキュメント!


1984年卒業の数土修さんが、3月8日の宇根先生パーティーの写真を、越南ネット編集部へ届けてくれました。みなさん、既に、数土さんは、ご存知ですよね?パーティーへ参加された方は、あの青空の下での全体写真の際に、デジタル一眼レフカメラにてバシッっとシャッターを押してくれた方です。あの時、若僧どもは、小さなデジカメで分割撮影に必死でしたが、数土さんが一眼レフを抱えて前の現れ、ドシッと構えた瞬間の「おぉ~~ぉ」のみなさんの歓声は、タイガーウッズのドライバーショットを生で見た観客の歓声以上でした。

数土さんは、現在、札幌にお住まいで、北海道新聞社に勤務されています。要するに、メディア業界に従事されており、新聞記者としてのプロであります。私としても、素人ながら、勝手に、越南ネット編集長と名乗っているのが恥ずかしいですが、優しく見つめてくれている数土先輩は大好きです。

今回、40枚ほどの写真をアップしていますが、解明度、アングル、光の量、シャッター速度すべてパーフェクトであります。既に、前回の若僧撮影写真の中から、お気に入り写真をプリントアウトして額縁に入れて玄関に飾っている人は、申し訳ないですが、数土先輩の写真を再度、カラープリント→高額額縁に保存のほど、よろしくお願い致します。見所は、全体写真&竹琴演奏シーンでの引き、宇根先生を見つめる奥様のショットは、いずれも涙モノです。

では、“プロが見た3.8ドキュメント”のフィルムをご覧下さい。

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(文責.竹山正人)
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