私(竹山)が、卒業した1998年頃は、バブル崩壊後の空白の10年真っ只中であり、住専不良債権の焦げ付きに公的資金を導入するか?っが、村山内閣での悩みの種でした。世間では、金融ビックバーンの再編の嵐。シティーやトラストバンクが日本本土に進出し始め、北海道拓殖銀行(97)、山一證券(98)が破綻したのが橋本内閣の時でした。97年には、バンコク発のアセアン通貨危機が始まっていましたから、都市銀行の中には、アセアン拠点を引き上げる大手もありました。金融業を取り巻く環境はまさに、大嵐の時代だったかと思います。当時も今も、根強く都市銀行に就職したベト科卒業生が大勢します。今回は、入行3年目の中嶋君(V06)の生き様を特集します。ナカシマ君、寝てる場合じゃないですよ!彼は、荒波から脱出できるのか?その予感ありです。(文責.竹山正人)
<中嶋良和さんからのお便り>
皆さん、こんにちは。2006年卒の中嶋良和と申します。現在は、みずほ銀行に勤務しています。成果も上がらず、辛いなぁと悩んでいた社会人生活も早くも3年目となりました。
昔から海外への「憧れ」があり外語大へ入学した訳ですが、学生時代は極めて不真面目な学生で、かなりの時間を酔っ払って過ごしていました。1年間のホーチミン留学を経て、就職活動を開始し、当時は商社やメーカー、海運業界を志望していて、金融機関で働きたいとはあまり感じていませんでした。それではなぜ今、銀行で働いているのか。銀行の窓口は3時になれば閉まってしまいますし、預金や融資以外には銀行が(銀行員が)どんな仕事をしているのか、当時はほとんど何も知りませんでしたが、プロジェクトファイナンスに携わっている先輩銀行員の話を聞いて、金融の大きな可能性を感じたことが銀行で働くことになった決め手です。
当初は海外でプロジェクトファイナンスに携わることを夢見てみずほ銀行に入りましたが、現在は中堅中小企業RM(Relationship Management)として活動しています。融資はもちろん、デリバティブにインターネットバンキング、取引先の従業員向けに住宅ローン・運用商品のセールス、ジャンボ宝くじだってセールスします。出来ることはなんでもする、いわば「何でも屋さん」です。
つい最近まで朝1時間、昼30分、夜1時間、課長の隣で毎日叱られ、先輩に怒鳴られて泣いてしまい、またある時は取引先の部長の前で泣いてしまうという冴えない毎日を過ごしていましたが、この頃は取引先で「一生懸命やってくれたね」なんて褒めてもらえるようにもなりました。
今は日本国内で中堅中小企業RMとして働いていますが、昔からの海外への「憧れ」やベトナムで仕事をしたいという思いが無くなった訳ではありません。それどころか、思いは強まる一方です。どんな国、何をするにも金融の仕組みは不可欠!将来は金融の仕組みで、ベトナムの発展に貢献できるような仕事をしたいと思っています。それが近い将来であれば文句無しですね。今年度で3年目に入りました。今までは、確かに、効率悪く叱られる場面もありましたが、石の上にも3年!の格言通り、そろそろ軌道に乗ってきましたしので、次は、テイクオフしたいと思っています。運が良いことに、4月に着任された支店長は、ハノイ支店の元支店長です。自分も、そのようなキャリアを積める様に、がんばりたい!と思っています。
就職活動中のみなさんは面接のピークを迎えた頃かもしれませんね。がんばってください。卒業生の皆さん、先輩方には日本で、ベトナムで、お会いできればと思います!その時は、決して叱らず、褒めて下さいね!
<中嶋良和さんからのお便り>
皆さん、こんにちは。2006年卒の中嶋良和と申します。現在は、みずほ銀行に勤務しています。成果も上がらず、辛いなぁと悩んでいた社会人生活も早くも3年目となりました。
昔から海外への「憧れ」があり外語大へ入学した訳ですが、学生時代は極めて不真面目な学生で、かなりの時間を酔っ払って過ごしていました。1年間のホーチミン留学を経て、就職活動を開始し、当時は商社やメーカー、海運業界を志望していて、金融機関で働きたいとはあまり感じていませんでした。それではなぜ今、銀行で働いているのか。銀行の窓口は3時になれば閉まってしまいますし、預金や融資以外には銀行が(銀行員が)どんな仕事をしているのか、当時はほとんど何も知りませんでしたが、プロジェクトファイナンスに携わっている先輩銀行員の話を聞いて、金融の大きな可能性を感じたことが銀行で働くことになった決め手です。
当初は海外でプロジェクトファイナンスに携わることを夢見てみずほ銀行に入りましたが、現在は中堅中小企業RM(Relationship Management)として活動しています。融資はもちろん、デリバティブにインターネットバンキング、取引先の従業員向けに住宅ローン・運用商品のセールス、ジャンボ宝くじだってセールスします。出来ることはなんでもする、いわば「何でも屋さん」です。
つい最近まで朝1時間、昼30分、夜1時間、課長の隣で毎日叱られ、先輩に怒鳴られて泣いてしまい、またある時は取引先の部長の前で泣いてしまうという冴えない毎日を過ごしていましたが、この頃は取引先で「一生懸命やってくれたね」なんて褒めてもらえるようにもなりました。
今は日本国内で中堅中小企業RMとして働いていますが、昔からの海外への「憧れ」やベトナムで仕事をしたいという思いが無くなった訳ではありません。それどころか、思いは強まる一方です。どんな国、何をするにも金融の仕組みは不可欠!将来は金融の仕組みで、ベトナムの発展に貢献できるような仕事をしたいと思っています。それが近い将来であれば文句無しですね。今年度で3年目に入りました。今までは、確かに、効率悪く叱られる場面もありましたが、石の上にも3年!の格言通り、そろそろ軌道に乗ってきましたしので、次は、テイクオフしたいと思っています。運が良いことに、4月に着任された支店長は、ハノイ支店の元支店長です。自分も、そのようなキャリアを積める様に、がんばりたい!と思っています。
就職活動中のみなさんは面接のピークを迎えた頃かもしれませんね。がんばってください。卒業生の皆さん、先輩方には日本で、ベトナムで、お会いできればと思います!その時は、決して叱らず、褒めて下さいね!
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