小嶌君と私は、因縁の関係にて均衡しています。私が、西ヶ原4年生だった時に、彼は、新入学生として西ヶ原に登場しました。その頃は、私も先輩顔して、「かわいい後輩だなぁ」くらいの認識しか持っていませんでした。詰めが甘かったです。あの時、芽を摘んでおけば・・・と悔やまれます。小嶌君が、ベト科を卒業し、私と同じヤマハ発動機㈱に入社してきたのは、2002年4月のことでした。その頃の私は、V科先輩として、ヤマハ本社にて、ベトナム営業を担当していました。見栄張りな私は、世間的には、バリバリ猛烈デキル社員を演じていましたが、社内では、東外大越語学科卒の履歴を隠しきれず、ボロボロ社員でした。出張する度に、駐在員の期待をザクザクと裏切り続けた訳です。「おい、竹山君!先月から一緒に住むようになった女房の方が、ベトナム語うめぇ~ぞぉ!」その時、既に、反論する余地なしです。入社4年目にして、デキル後輩(Mr.小嶌)の入社を契機に、私は、海外営業の職を捨て、調達課への異動を懇願し、逃げ切る!っといった行動をとった訳です。小嶌君が入社式を迎えた日、私は、“飛ぶ鳥、跡を濁さず”の格言の如く、調達統括部へと異動しました。それだけ、私は、彼の存在に脅え、留学経験の有るベト科後輩の内定ゲット情報にQuick Responseをとった訳です。今、振り返っても、自分の即決判断に後悔はなく、彼にベトナム営業を譲ったのは成功だったと思っています。それ程、小嶌君は、私の人生を左右させた存在なのです。小嶌君のWeapon(脅威、武器)に関して、彼は、お便りの中でも一切語っていません。「脳ある鷹は、爪を隠す」ということか?(文責-竹山正人)
<小嶌周さんからのお便り>
越南ネットをご覧の皆様、こんにちは(はじめまして)。2002年V科卒の小嶌周(コジマアマネ)と申します。現在、静岡県磐田市在住、同市に本社を持つ、ヤマハ発動機に勤務しております。私の大学時代から現在に至るまで、以下駄文となりますが、お付き合いをいただければ幸いです。
昔から、「大きな夢に向かって努力」とは縁遠い性格ですので、大学受験時に、ベトナム語学科を志望した動機が、特別あったわけではありません。ベトナム語選択は“"縁”でしょうか・・・。ただ振り返って思えば、漠然と抱いていた外国への憧れ、とはいえ、当時の私の頭の中の世界地図といえば、東は日本、西はインドまでが、せいぜい想像力の及ぶ範囲でしたので、経済成長著しいASEAN諸国ののびやかな空気に憧れを抱いていたような気がします。これが、ベトナム語を選択した理由です。
このような感じで入学したものですから、学生時代は、西ヶ原の学生たちの国際的な雰囲気(帰国子女、留学生etc)にカルチャーショックを受け続けた4年間でした。学業に関しては、ベトナムに対する物珍しさもあり、楽しい学生生活を送ることができました。先日、宇根先生の退官パーティに出席させていただき、貴重な先生の経験を伺い、「できの悪い学生ほどかわいい」「卒業して数年後、教え子たちは誰も見違えるほど、立派に成長している」という一言一言に、お世話になった先生方への感謝の気持ちを感じました。
学生時代に、1年間のハノイ留学をしました。2001年の事です。正直、初めての海外生活でしたし、その経験を通して、「まぁ、海外でも、何とかなるぁ~」という自信を持つことが出来た点が、留学で得た財産です。いろいろな国の友達、また社会人との出会いは、帰国後に控えていた就職活動に大きな影響がありましたし、自分の個性をアピールする上でも、非常に助かりました。最終的に、就職先として、竹山大先輩が勤務するヤマハ発動機㈱にしました。その当時は、竹山さんのことは、知りませんでしたが・・・。ヤマハ発動機に決めた理由は、ご存知のとおり、ベトナム=バイクと言える程、輸送手段としてバイクを利用するお国柄です。ベトナム→バイク→製造業→モノ作りの自然の流れで、日本経済を支えてきた、モノ作り大国の中枢に身を置きたかったためです。
入社後の簡単な経歴ですが、 バイク同様、走りっぱなしです!
2002年4月 入社
2002年6月 ヤマハ発動機 営業部ベトナム担当
2004年7月 ヤマハモーターベトナム赴任(2年間)
2006年11月 現職(ヤマハ発動機 営業部インドネシア担当)
入社以来、東南アジア畑一筋に、外大V科として王道を歩んでいると思っています。
現在の仕事内容は、愛着あるベトナムからは外れ、インドネシアを担当しています。本社海外営業の仕事内容は多岐にわたります。インドネシアには製造・販売拠点がありますが、現地市場に向けた商品の企画~開発~製造~販売~アフターサービスまで、本社としてできることはすべて目を向けなければなりませんし、すべてにタッチしています。インドネシアは世界最大のバイク市場(2008年6月現在)であり、幸い、当地において弊社のブランドイメージは非常に高く、商品、サービス、プロモーションともに多くの方に愛されております。現在、弊社は最大手のホンダさんに次ぐポジションにおり、今後ますますの市場シェア拡大・最大収益の確保を目指しております。入社以来、営業の仕事に携わっていますが、ヤマハ仕事の面白い処は、経済発展の著しいアジアマーケットに於いて、自分のアクション(施策)が、販売量の伸びとなって反映されることが、最もダイナミックです。例えば、私がベトナム赴任開始した2004年は、10,000台/月の販売規模が、赴任最後の2006年には、40,000台/月と伸長しています。そして、今も、伸長を続けています。すべてが、自分のアクションでないのは確かですが、そういった市場(環境)にて、営業マンを遂行できることに仕事の醍醐味を感じます。
今後の夢ですが、仕事とプライベートをともに楽しみ、自分らしく歩んでいきたいと思っています。最後になりますが、先月号で活動が紹介されました、ベト科東海支部に私も参加させていただいています。今後ますます、盛り上がりをみせる(?)ベト科東海支部をよろしくお願いします。Don't miss it!
<小嶌周さんからのお便り>
越南ネットをご覧の皆様、こんにちは(はじめまして)。2002年V科卒の小嶌周(コジマアマネ)と申します。現在、静岡県磐田市在住、同市に本社を持つ、ヤマハ発動機に勤務しております。私の大学時代から現在に至るまで、以下駄文となりますが、お付き合いをいただければ幸いです。
昔から、「大きな夢に向かって努力」とは縁遠い性格ですので、大学受験時に、ベトナム語学科を志望した動機が、特別あったわけではありません。ベトナム語選択は“"縁”でしょうか・・・。ただ振り返って思えば、漠然と抱いていた外国への憧れ、とはいえ、当時の私の頭の中の世界地図といえば、東は日本、西はインドまでが、せいぜい想像力の及ぶ範囲でしたので、経済成長著しいASEAN諸国ののびやかな空気に憧れを抱いていたような気がします。これが、ベトナム語を選択した理由です。
このような感じで入学したものですから、学生時代は、西ヶ原の学生たちの国際的な雰囲気(帰国子女、留学生etc)にカルチャーショックを受け続けた4年間でした。学業に関しては、ベトナムに対する物珍しさもあり、楽しい学生生活を送ることができました。先日、宇根先生の退官パーティに出席させていただき、貴重な先生の経験を伺い、「できの悪い学生ほどかわいい」「卒業して数年後、教え子たちは誰も見違えるほど、立派に成長している」という一言一言に、お世話になった先生方への感謝の気持ちを感じました。
学生時代に、1年間のハノイ留学をしました。2001年の事です。正直、初めての海外生活でしたし、その経験を通して、「まぁ、海外でも、何とかなるぁ~」という自信を持つことが出来た点が、留学で得た財産です。いろいろな国の友達、また社会人との出会いは、帰国後に控えていた就職活動に大きな影響がありましたし、自分の個性をアピールする上でも、非常に助かりました。最終的に、就職先として、竹山大先輩が勤務するヤマハ発動機㈱にしました。その当時は、竹山さんのことは、知りませんでしたが・・・。ヤマハ発動機に決めた理由は、ご存知のとおり、ベトナム=バイクと言える程、輸送手段としてバイクを利用するお国柄です。ベトナム→バイク→製造業→モノ作りの自然の流れで、日本経済を支えてきた、モノ作り大国の中枢に身を置きたかったためです。
入社後の簡単な経歴ですが、 バイク同様、走りっぱなしです!
2002年4月 入社
2002年6月 ヤマハ発動機 営業部ベトナム担当
2004年7月 ヤマハモーターベトナム赴任(2年間)
2006年11月 現職(ヤマハ発動機 営業部インドネシア担当)
入社以来、東南アジア畑一筋に、外大V科として王道を歩んでいると思っています。
現在の仕事内容は、愛着あるベトナムからは外れ、インドネシアを担当しています。本社海外営業の仕事内容は多岐にわたります。インドネシアには製造・販売拠点がありますが、現地市場に向けた商品の企画~開発~製造~販売~アフターサービスまで、本社としてできることはすべて目を向けなければなりませんし、すべてにタッチしています。インドネシアは世界最大のバイク市場(2008年6月現在)であり、幸い、当地において弊社のブランドイメージは非常に高く、商品、サービス、プロモーションともに多くの方に愛されております。現在、弊社は最大手のホンダさんに次ぐポジションにおり、今後ますますの市場シェア拡大・最大収益の確保を目指しております。入社以来、営業の仕事に携わっていますが、ヤマハ仕事の面白い処は、経済発展の著しいアジアマーケットに於いて、自分のアクション(施策)が、販売量の伸びとなって反映されることが、最もダイナミックです。例えば、私がベトナム赴任開始した2004年は、10,000台/月の販売規模が、赴任最後の2006年には、40,000台/月と伸長しています。そして、今も、伸長を続けています。すべてが、自分のアクションでないのは確かですが、そういった市場(環境)にて、営業マンを遂行できることに仕事の醍醐味を感じます。
今後の夢ですが、仕事とプライベートをともに楽しみ、自分らしく歩んでいきたいと思っています。最後になりますが、先月号で活動が紹介されました、ベト科東海支部に私も参加させていただいています。今後ますます、盛り上がりをみせる(?)ベト科東海支部をよろしくお願いします。Don't miss it!
.