2009年6月7日日曜日

お便り-田中健太郎(V97卒)


ベト健の登場でございます。越南ネットには4回目の登場になります(謝謝)。毎回、頭が下がりますが、今回ばかりは、編集部の怠慢があり、5月中旬になっても寄稿依頼者ゼロといったお粗末を露呈。緊急寄稿依頼をベト健にしたところ、彼は、その時も飲んでいる最中でしたが、「あぁ~、いいよぉ~」って即OK頂けました。懐が深すぎる。偉大です。越南ネットは、こういったOBOG&現役生に支えられて継続できています。本当に、ありがとうございます。

ベト健には、寄稿の際に、「一発目として、西ヶ原時代を語って欲しい」とリクエストしたこともあり、西ヶ原にて青春時代を過ごしたOBOGには、当時を回顧するには十分な内容になっています。私が回顧する最も印象的なベト健との出来事は、巣鴨駅で飲んでいた時でした。終電だから帰るよ→ベト健先輩、お疲れさまでーしーたぁ~→(1時間ほど経過)→あれ、なんで、ベト健もどってきたの?→寝てたら池袋で降ろされた→かんぱーぃ!ってな泣けるほど良い時代だった。私の楽しかった西ヶ原時代の1ページでした。皆さんも、そんな青春の1ページをベト健からのお便りを読んで感じてください。(文責:竹山正人

ベト健の越南ネットアーカイブ
・1回目(08年8月⇒⇒⇒
・2回目(08年9月⇒⇒⇒
・3回目(08年10月⇒⇒⇒


<田中健太郎さんからのお便り>
サブタイトル=西ヶ原90’sの思い出(第1回:92年~97年編)

Xin chào các bạn. Oi là Viet Ken. 初対面の先輩方・後輩の皆様初めまして。また見知った皆さんご無沙汰しています。ベトケンでございます。

5月の連休明け早々、現在勤務する越南関連ベンチャー企業(G.A.コンサルタンツ㈱)で緊迫した業務遂行を終えて出張先の大阪で明石焼きを摘みつつ、泡盛を傾けていた時に編集長のAnh竹山より原稿依頼が御座いまして僭越ではございますが雑文を寄稿させて頂きます。

今回は、V科入学から留学そして卒業後入社したCtyBộtNgọtでの新入社員時代についての思い出を。同時代の方は懐かしみ、現役世代は西ヶ原時代を感じて頂ければと。

小泉元首相やノーベル賞の小柴博士を輩出した神奈川県立横須賀高等学校で楽しすぎる。高校生活を満喫して予定通り駿台予備校に進学。ベト健の基礎学問である酒を覚え、横浜の居酒屋三昧な浪人生活で体重を一気に25kg増やしての受験。しかし当時は英語さえ出来れば受かりましたから帰国子女である特権を活かして外語大は軽ーく合格したはずです。そしていざ巣鴨・西ヶ原の杜へ。

92年は東南アジア語学科創設元年。カンボジア、ラオス語新設の年。我がV科はCa科と合同でベトカンズとして入学。先生方のプレゼン後に選択するスタイルで、5名くらいがCa科に分かれていきました。伝統のボート大会にベトカンズとして参加。毎日戸田公園で練習しちゃ、協和発酵(現アサヒ)の「大五郎」なる大ボトル焼酎を浴びるように飲んでカラオケに行き騒いで、西ヶ原周辺の下宿している友人の家を泊まり歩いてました。尾崎豊が突然この世を去った日もカラオケ中に知り、みんなで追悼したのを覚えています。(携帯もなくリアルタイムに事件を知る手段なかったなー)

1年生の料理店、2年生の語劇も皆団結した楽しい思い出です。料理店はV科教室をそのまま使用していた為、10月くらいから飾りつけを開始してメコンデルタ風な部屋に仕立てました。日テレ「ズームイン」のラスト数秒に社屋外を写してくれる場面があり、外語祭当日はアオザイやベトコン服で出向き宣伝しました。語劇は、名作KimVânKiuを独自アレンジして苦労しつつ何とか上演出来ました。確か台風で講堂の屋根が飛び、仮設で体育館でやった気がします。

大事な勉学ですが、宇根先生・川口先生・今井先生そしてチャイン先生に加え、サイゴン出身のフエ先生の授業を受けていましたが、2日酔い、3日酔いで頭に入らず、2年生になってもキチンと会話できない自分に情けなくなり94年にハノイへ留学。

当時留学する為にも私費でハノイに行った先輩おらず、どのようにビザ手配していいものやらよく分からず困惑したものです。川口先生からハノイ総合大学に申請して頂いたが、先方から返事もこない為、渋谷のベトナム領事館に何度もビザ発給確認に行きました。春休み中に行く予定にしていたが、中々ビザが出ない。ある日いつものように領事館窓口に行き、「chưa có 」とあっさり言われたのだが、棚の奥にいつも確認していないファイルを発見。自分で探させてとそのファイルを見ると、数週間前の日付に許可された自分の名前を発見。「Trời ơi」てな感じでやっとこ河内への留学がスタートしました。

Bách khoa エリアのA2なる西側諸国からの留学生を集めた宿舎に逗留しました。隣にはA3なるカンボジア留学生の寮、そしてB7なる露・モンゴル留学生の寮。ハノイに来たもののBia Hơi 三昧で中々語学に身が入らなかったが、蒙古人と飲み歩いたり、露人と中部までバスツァーに行ったりと楽しい日々でした。停電は良くするし、洪水も日常的。夜10時になると中心街でもほとんど人がいなくなり夜12時くらいだと、Hoàn Kiếm からBà Triu を通りĐại Cồ Việtまでの帰路で不良外人にしか会わない時代でした。

外国人への部屋賃貸が初めて許可された頃で、A2から脱出して近所で一人暮らしをしました。近所の方や子供達には珍しい外人がいると良く冷やかされたものです。言葉通りの遊学でしたが、Nam Định百穀社で日本のベトナム研究者の農村調査があり、そこに参加したのが唯一の真面目なシーンで、刺激も受けました。

そんな自由な日々も終わり、いよいよ社会に出て行く日が来ました。CtyBột ngọt(Mì chính)9741日入社式を終え、さー呑むぞと思ったら、ベトケンだけ人事部から呼び出し。何か悪事がばれたのかドキッとしつつ個室に入ると、7月からインドネシア駐在との内示。入社直ぐの海外赴任辞令は、外大生冥利に尽きるという思いと、なぜベトナムじゃないのかという思いが交錯しているうちにジャカルタに着いちゃいました。

ネシア科出身者には失礼ながら、V語と比べなんて発音しやすく、覚えやすい言葉でありましょうか。怠惰なベト健もあっという間に話せるようになりました。Selamat pagi。ネシア語を学びながらジャワ島中の市場を廻りBột ngọtを売りました。明るいインドネシア人スタッフと毎日激論しながら拡売に邁進した新人時代でした。97年はアジア通貨危機でしたが、一番ダメージを被ったのがインドネシアでした。スハルト長期政権が倒れる直前、ジャカルタで大暴動が起きて街中焼け落ちてしまい、大混乱のスカルノハッタ空港から日本政府特別機(と言っても航空券代金有料)で緊急帰国したのは今となってはいい経験だったと言えますが、その当時は結構恐怖を感じたものです。

さて、長文乱文になりましたのでここらで筆をおきます。次回チャンスがあれば、CtyBột ngọtでのベトナム全省行商した駐在時代から転職して越南ベンチャーをしている最近の話しをさせて頂きたく。

ベトケンよりベト科に愛をこめて。


越南ネットの愛読者は、ベト健が昨年8,9月号にも登場しているのを記憶されているかも知れませんね。そうベトフェス08関連記事で。今年もやりますからぜひ皆様会いましょう。(詳細は追って)



2009年5月7日木曜日

お便り-郷戸有希乃(V05)


←写真:前列左から2人目が郷戸さん
アロハ~!素晴らしい写真が届きました。場所はワイハ!(これ、いまでも通じるよね?大丈夫だよね?)夏を先取りピクチャーです。入社5年目に突入の郷戸さんは、この不況の荒波の中、そのビックウェーブを自分のモノとして、しっかりとテイクオフした一人です。今、日本に居ても、経費カットで残業カット、終いには給料カットの御時勢です。ここが底値だぁっと突っ込んだ株式も、なぜか、自分の所有する銘柄だけが最安値を更新中。闇は深く、こういう時だからこそ、ピンチをチャンスに!っと先人が申すように、知の蓄積に励むべきでしょう。私は、ボーッとゴールデンウィークを家で過ごし、また、一人の後輩に抜かれました。郷戸さんは、企業奨学生として留学中で、日々、奮闘の模様。若いって素晴らしいって言うよりも、頑張る若人が美しい!私は、いつも、次の波だぁ!っと待ち続けているのですが、そうやって、すでに34年が経過しました。郷戸さんからは、いい刺激を頂きました。謝謝。(文責:竹山正人)


<郷戸有希乃さんからのお便り>

みなさん、はじめまして。2005年卒の郷戸有希乃(Goudo Yukino)と申します。今回、竹山さんより原稿を依頼されましたが、大学を卒業後ベトナムとは全く関わりのない生活を送っており、皆様に何かしらベトナム関連の情報を提供することができません。ですので、これまでお会いしたことのない方々には自己紹介として、しばらくお会いしていない方々には、近況報告としてこの場をお借りしたいと思います。

大学を卒業後は、富士通株式会社で法人担当営業をしております。何を間違えたのか、全く知識のない(興味もなかった)IT業界に飛び込んでしまってから、早4年が経過しました。入社後の配属決定の際には、「ベトナム語学科卒→グローバルな人材→グローバルな顧客担当営業」という人事担当者の短絡的な思考で、名古屋に事務所を構えるトヨタ営業部に配属されてしまいました。おかげ様で、汐留で働きたいという私の野望はみごとに打ち砕かれ、泣く泣く名古屋での生活を始めることになりました。配属先では、トヨタの国内販売市場に関わる仕事を担当することになり、グローバルとは縁のない(もちろんベトナムとも縁がない!)完全にドメスティックな市場で身を粉にして働いています。

そんな私ですが、幸運にも4カ月間の短期留学に参加する機会が与えられ、今現在は職場を離れて学生生活を送っています。急激な経済の悪化に伴い、富士通も少なからずダメージを受けてしまったので、出発前は「もしや留学取り消し?」と覚悟を決めていたのですが、私一人を留学させるくらいの余裕は残っていたらしく(笑)、無事に常夏のハワイで生活を始めることとなりました。

ハワイと言えばワイキキ&ビーチ&ショッピングというイメージですが、私が生活しているのは、ワイキキから東へ車で30分程の距離にある、Hawaiikaiというエリアになります。良くいえば静かな住宅地、悪く言えば田舎のこの地域で、学校とホームステイ先の往復という真面目が学生生活を送っています。ハワイでいったい何の勉強?!と思われる方がいらっしゃるかもしれないので、少し紹介させていただきます。

私が通っているのはJAIMS(日米経営科学研究所)という学校で、富士通の社会貢献活動の一環として設立された非営利教育法人になります。コースの目的は、「グローバルな知の競争時代を生き抜くビジネスリーダーに求められる”イノベーション”を生み出す総合的な知力とリーダーシップ、その基盤となる広い教養と人間力を磨く、国際マネジメントプログラム。」難しそうですが、簡単に言うと、「世界各国から集まったビジネスパーソンたちとビジネスマネジメントについて学び、夜はお酒を酌み交わし交流を深めましょう」という感じです。興味のある方は、ぜひHP をご覧ください。JAIMSのHPリンク⇒⇒⇒(宣伝?笑)

今期は、アジアを中心に9カ国から計33名の留学生が集まり、マーケティング、ファイナンス、哲学、リーダ論などを勉強しています。これまで仕事が忙しかったので、常夏のハワイで4カ月間のんびり過ごし、心身共にリフレッシュすることを期待していたのですが、その期待は見事に裏切られております。朝8時半から夕方6時まで授業があり、毎日何かしらのプレゼンテーションなどをしなければならないので、授業後も深夜まで机に向かう生活です。正直、大学時代にもここまで勉強したことがなかったので(先生方、すみません!)慣れるまで大変でしたが、今ではそんな生活も少しずつ楽しめるようになってきています。どんなに忙しくても、どんなに睡眠時間を削ってでも、仲間たちと飲みに行く時間だけは削れません。何をするにもタイムマネジメントが大切!と改めて実感しています。楽しみがなければ、人間、頑張る力が出てきません。物事に優先順位を付けて、いかに短時間で終わらせるかが勝負だ!とこの2カ月で学びました。

様々なバックグラウンドを持った個性豊かな留学生たちと共に学ぶことは、時に楽しく、時に大変なこともあります。ですが、大学時代、ベト科で個性豊かな人たちと出会い、どんな環境でも楽しむことを忘れない前向きな姿勢を学んだので、今はそれが非常に役に立っています(笑)。残すところ留学生活もあと2カ月。ハワイに永住したい!と思えるくらいまで、ここでの生活を満喫しようと思っています。

それでは、また。


地球ラジオ「世界・音の旅」(NHK)を聴いて!

こちら編集部。

越南ネットに度々、登場して頂いている新妻東一さん(V88 卒)の新情報を入手しました。前月号で、走れ!ポストマン(TBS)を紹介させて頂きましたが、2ヶ月連続での紹介となります。まず、「走れ!ポストマン」についてですが、面白かったですね。TVCM等を除くと実質30分に纏められたベトナムの映像は、越国のエキス満開でしたね。特に印象的だったのは、ホアンキエム湖の畔で、お茶を売るギエム婆ちゃんを公安が取り締まるシーンは、多くのベト科OBOGが、「あるあるぅ~!婆ちゃん、負けるな!」っと感じた場面ではないでしょうか。走れ!ポストマンのHPでは、バックナンバーとして、たくさんのシーンや写真が保存されています。見逃した方、もう一度見たい方、次をクリックです⇒⇒⇒

さて、今回は、新妻東一さんがラジオに生出演です。私は、まだ新妻先輩とはお会いしたことがないのですが、顔を合わすよりも先に、ラジオを通して、生声を聞くチャンスの到来です。これは、聴くしかないぞ!

地球ラジオ「世界・音の旅」ハノイ編(約7分間)
放送日 =2009年5月9日(土) 
放送時間=日本時間 午後6時ごろ(ベトナム午後4時)
放送局 =NHKラジオ第一放送およびNHKワールド・ラジオ日本(短波)
放送内容=ハノイの魅力を音で紹介する特番(約7分間)。オートバイの音、フランスチックな雰囲気、はたまた、亜熱帯特有の豊富な自然をSOUNDで伝える番組です。
番組HPアドレスリンク ⇒⇒⇒
なお、インターネットでも番組を聴くことができます。放送から1間以内なら同じ番組をストリーミングで聴くこともできます。

PS:
私、みなさんには秘密にしていたのですが、かなりのラジオオタクなんです。学生時代は、特に、ラジオっこでした。しかし、隣の鉄道オタクの勢力に負けており、肩身の狭い10代を過ごしました。アマチュア無線3級ホルダーですが、それは、当然の極秘扱いでした。晴れて高校受験に合格した際には、入学祝金を注ぎ込み、5万円もするラジオを買いました。ラジオ受信機だけで5万円です!当然、親には怒られました。AM/FMを初め、短波、中波、長波をフルカバーする機械でした。このラジオで韓国、(ときどき北朝鮮)、中国、モンゴルの放送局をキャッチし、真夜中の周波数サーフィンをするのが趣味でした。実は、大学時代の下宿先にも、そのラジオを持ち込んでました。しかし、例のソニータイマーにより定刻通りに壊れました。それと同時に、卒業したのです。ですから、久々に、5月9日は、カセットデッキにマクセルテープ(当然、メタルっす)を差込み、再生と録音ボタンをダブル押しできることを幸せに思います。


2009年4月7日火曜日

お便り-池田秀子(01卒)


←写真:東京マラソンにて疲労にも係らず、慢心の笑みは池田の秀子さんです

池田さんには、宇根先生のパーティーの際に、事務局として、大車輪として活躍して貰いました。パーティー準備段階で、彼女とは連絡を密に取ったのですが、私の20行以上に渡るメールに対して、彼女の返信はいつも2行程度(ときどき、1ワード)。そのクールさに、何故だが、私は惹かれてました。彼女は、今回、東京マラソン参加のお話を越南ネットに投稿してくれましたが、以前からも "ミッドナイト山道ひたすら激走イベント"とかにも参加したりとアクティブ娘です。その話を聞いていたものですから、刺激を受け、私もマラソンを始めました。2008年11月に開催された磐田ジュビロハーフマラソンに参加して、1時間59分54秒の完走でした。真っ先に、完走の報告をしたのは、池田の秀子さんでした。すなわち、私は、池田さんに惹かれて走り始めたのですが、彼女はクールに快走で、差が縮まりません。もう悔しいので、言っちゃいます!「あなたのゴールは何処?」 PS:4月26日(日)開催の掛川新茶フルマラソンに参加します。この大会は、5キロ毎に、メロンやイチゴとか食べ放題なんです。時期的にも熱さとの勝負になりますが、一杯食べて、途中でバテテ、棄権すると思いますが、心臓発作だけには気を付けてがんばりたいと思います!(文責:竹山正人)

<池田秀子さんからのお便り>

皆さん、こんにちは。 96年入学、2001年卒業の池田秀子です。早いもので、宇根先生の退官パーティーから1年が経ちましたね。竹山幹事長の大号令のもと、私もこそこそっとお手伝いをさせて頂いておりました。

現在、私は兼松㈱という商社の食品部に勤務しています。担当は中国とインドネシアで、加工フルーツ(冷凍の苺や桃など)やナタデココを輸入し、国内の食品メーカーさんに販売、メーカーさんが美味しく加工して、最終的にフルーツヨーグルトになっています。お昼や小腹が好いた時に食べるアレです。残念ながら、越南ネットに華々しく登場されてきたベト科の皆様と違い、入社以来、ベトナムとの関わりが殆どありません(汗) という訳で、超南ネタ不足につき、今回は『東京マラソン』で突っ走ります~。

2007年から始まった東京マラソン、今年が第3回となります。昨今のマラソンブームもあり、年々応募者が増え、なんと今年のフルマラソン(言わずもがな、42.195km)は、3万人の枠に対し、22.6万人の応募があったそうです。なんと倍率、7.5倍。確率だけで言えば、外大の後期日程バリの狭き門です(笑) そのプレミア出場権を、私は初の応募でゲットしました。

中学は吹奏楽部、高校は弓道部、大学のラクロス部は半年持たず退部・・・と、がっつり運動部タイプではありませんが、社内人になり、なぜか運動を始めるようになった私。ここ数年は、すっかり山にハマり、春~秋は登山&トレイルランニング(最近注目の山を走るスポーツです。)、冬はスキー(バックカントリー)と、山づいた週末を送っています。山を走るとは言え、トレイル(=登山道)とロード(=コンクリート)は別物で、硬いロードに慣れるべく、初めは5kmからスタート。しかし、空気の悪い都心をただただ走るのは辛く、モチベーション維持の為に、ランナーの聖地・皇居を走ってみたり、東京タワーを眺めなら芝公園をぐるぐる回ってみたり、港区の大使館巡りをしてみたり。警備の厳しいアメリカ大使館脇では、警官に止められ、『どこへ行くの?』と。 『最終的には家に帰りますけど・・・』と私。

人間不思議なもので、体が慣れてくると『もっと先へ、もっと速く』と思うようになるんですねぇ。平日、仕事の後の20km走も苦にならなくなり、大会1ヶ月前には30kmもこなしました。一般的に30km走れると、フルマラソンは完走できると言われており、とりあえず完走はできるな♪と。あとはタイムです。会社でも、アウトドア仲間にも『目標は高く、SUB4(サブ フォー)!』と高らかに宣言。SUB4とは、ランニング用語で4時間を切る事を指し、市民ランナーにとって、最初の関門です。

大会1週間前から、天気予報は曇りと雨とを行ったり来たりで、気が気ではありませんでした。晴れろー晴れろーという呪いに近い祈りも虚しく、当日の朝は曇天模様。しかも強風のおまけ付き。新宿駅に到着すると、西口から都庁に向かう広く長い通路はランナーで埋め尽くされ、静かな興奮と緊張でいっぱいでした。手荷物を預け、エントリー時の自己申告タイム順に決められたスタートブロックに入ります。スタートまであと40分。じっと待つ他ありません。スタートが近づくにつれ、中継のヘリが上空を旋回し始め、徐々に興奮が高まってきます。号砲がなり、いざ!と気合を入れ直しましたが、後方ブロックにその波は来ず。暫くしてからのろのろと歩き出し、石原都知事の立つスタートゲートを通過できた頃には、号砲から7分経過していました。

前半に調子に乗って飛ばし過ぎる事が、最も素人が陥り易い失敗とどのランニング本にも書いてあったので、ハーフまではのんびり行こうと決めていました。どこを見ても、沿道は応援の人・ひと・ヒト。全然知らない私にまで、応援の声を掛けてくれ、ハイタッチ!忍者の仮装をしたおじさまと世間話をしたり、某Jンクスポーツ企画で参加のお笑い芸人集団をかわしたり、予め応援ポイントを知らせてくれた友人を見つけて大はしゃぎしたりと、都庁を出発し、品川を折り返して向かう銀座まで、それはそれは楽しい前半でした。

マラソンは30kmからが正念場とはよく言ったもので、浅草の雷門(28km)辺りから、足が重く感じるように。折からの強風もあり、頑張っても前半のペースを維持するのがやっとになりました。35kmからは小雨も降り出し、佃大橋のだらだらと長いランナー泣かせの登り坂で歩きたい衝動と戦いながら、早く休みたい一心でゴールへ。あとは、足を前に出すのみ・・・。

4時間24分28秒にて、無事完走。目標はクリアできませんでしたが、強風&雨の中、わざわざ応援に来てくれた友人、沿道の人々、そしてエイドのボランティアの皆さんから元気をもらって辿り着けたゴールでした。あれ程辛かったのにも関わらず、ゴールした瞬間に、「また来年も出たい!」と思わせてくれたTOKYO MARATHON 2009 。どうやら私もマラソンマジックに魅せられてしまったようです。

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お便り-榎真実(08年卒)


←写真:左から2人目が榎さん(ハノイ出張での1ショット)
ちょうど1年前に~♪、越南ネットをリリースする際に、新しく社会人になるベト卒生に対して、私は何を考えたのか、「世の中に出ると、あーだーこーだー言う先輩・上司はいるが、自分が信じる事をしろ!」っと、今、聞いても、かなりの赤面コメントを贈りました。その時、「熱いメッセージをありがとうございます!」と返事をくれたのが、榎さんでした。この娘は、伸びる!っと私の中で、太鼓判をグリグリと押したことを最近のように思い出します。あれから1年が経過し、久しぶりに、「アンニョンハシムニカ!」と連絡したら、彼女、すくすくと成長していたので、今回、越南ネットへの投稿を依頼したです。この世界経済危機の中、各社3月赤字決算連発の中、経費削減等のアゲインストの中、additionally、お小遣い半減で竹山ピンチの中、入社一年目からアクティブに頑張っている模様です。若いって素晴らしい!っと感じながらも、「今の30世代って、格好いぃ~!」って後輩から言われるように、頑張りたいと思います!よっこらしょ・・・!(文責:竹山正人)


<榎 真実さんからのお便り>
みなさん初めまして。榎 真実(エノキ マミ)と申します。1年前に無事ベト科を卒業し、4月から入社2年目となりますが、まだまだひよっこで分からない事だらけながらも格闘している毎日です。今回は、私の大学時代から現在の仕事について、私事ではありますがお話しさせていただきたいと思います。

学生時代
なぜ、ベトナム語を学ぼうと思ったのかといいますと、何てことはありませんでした。もともと外国語には興味があったのですが、どうせなら英語や中国語ではなく、人があまり勉強しないような言語を話したい、という思いと、ちょうど私の受験時にベトナムがメディアでも話題になり始めた頃でもあったので、今後日本との関わりも深くなる国になるのでないか、という期待からベトナム語を選択しました。とは言うものの、入学するまでは、ベトナムについて知っていることといえばアオザイ、フォーくらいでした(笑)

それ程、真面目に授業に取り組んでいた訳ではありませんでしたが、今まで聞いたことも無かった言語に出会えたことで、新鮮な気持ちで学ぶ事ができました。また、初めてベトナムへ旅行をした時には、現地のベトナム人と片言ながらもベトナム語でコミュニケーションが取れたことに感動を覚えた記憶があります。

4年前の2005年には1年間ハノイへ留学しました。海外の生活に入り込むことで、実際に肌でベトナムの文化や風習、ベトナムの人々と触れ合うことができたのはもちろん貴重な経験ではありましたが、ベトナム人のパワフルさ、マイペースさに圧倒されながらも異なる価値観に対応できる柔軟性が身についた事は、自分自身の成長につながりました。こうした留学での体験から、ベトナムはもちろんの事、グローバルな仕事をしたいという思いが強くなり、就職活動では物流業界、航空業界を志望していました。

現在の仕事
現在私は、OCS海外新聞普及株式会社に勤めています。初めてこの会社名を聞く方もいらっしゃるかと思います。「海外新聞普及」なので新聞社ですか?とよく聞かれるのですが、実は国際宅配便の会社なのです。海外に新聞や雑誌、貨物などあらゆるものを運んでいる会社です。海外で働いていらっしゃる方はOCSを使ってくださっている方も多くいらっしゃるかと思います。(ありがとうございます!)

私は、営業部の内務に就き、主に輸送手配や請求処理などを行っています。顧客は主に大手企業になるので、貨物の規模もその分大きいだけに、発送の際、気を遣うことも多いのですが、貨物の種類やお客さんの要望によって発送方法を変えたり、ありとあらゆるものを扱えることに楽しさを感じますし、やり遂げた時の達成感は非常に大きいです。

内勤なので直接お客さんに会って営業することはないのですが、電話口でもお客さんから「ありがとう。」と言われると、自分のやっている事が少しでも人のためになっているのだと感じることができます。
3月上旬にはハノイに2週間出張へ行って参りました。ハノイでは、現地スタッフとともに日系企業を訪問し、OCSのサービスを少しでも多くの方に知ってもらうと、セールスに行ってきました。 いつかベトナムで仕事がしたい、という気持ちはあったのですが、まさかこんなに早くに行ける機会が来るとは思っても見ませんでした。留学をしたというものの、ビジネスベトナム語に苦戦したりもしましたが、大学で学んだことが直接仕事に活かせる事ができてモチベーションが以前より上がったように感じます。そして出張で感じたことは、この経済不況ではありますが、ベトナム市場はまだまだ伸びる可能性を秘めているということです。

今後の目標
今後も、何らかの形で今後もベトナムと関わっていける仕事がしたいですね。チャレンジ精神を常に持つことで、ベトナムのプラスの発展に貢献したいと考えています。今就職活動をされている皆さん、このご時世なので厳しい状況だと思いますが、諦めず自分を信じて頑張ってください。現役の学生の皆さん、ベトナム語をやっていてよかった、と思えるような楽しい学生生活を送ってくださいね。


走れ! ポストマン(TBS)を見て!

こちら編集部。

とある情報筋より、ベト科関係者にとっては面白ぃネタを入手しました。ハノイ在住で、越南ネット(2008年6月号⇒⇒⇒)にも御登場いただきました新妻東一さん(V88卒)のご活躍を紹介します。新妻さんは、本業の傍ら、日本のテレビクルーがベトナム取材する際に、通訳としてサポートされているそうです。今回紹介する下記番組にも、新妻さんが大いに関っているそうです。確実に、チェケラッチョ(Check it out YO)ですね。

その番組とは、日曜日22:00からの世界ウルルン紀行のあと釜として新しくスタートした「地球感動配達人 走れ!ポストマン」です。いよいよ今週末の日曜日は、ベトナムを舞台にポストマンが走り回るようです。VHS録画は当然、3倍速ではなく、標準でお願い致します。

<地球感動配達人 走れ!ポストマン>
放映日=2009年4月12日(日)22:00より
放映局=TBS(毎日放送)
番組HPアドレスリンク 
⇒⇒⇒

今回は、心理学者の伊藤哲司さんの依頼で、ベトナムへの留学当時から知り合いだったハノイ・ホアンキエム湖でお茶屋を営んでいたおばあさんに冬暖かなチャンチャンコを、ポストマン松田悟志が届けます。ベトナム旅行情報も満載です。ぜひご覧ください。

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2009年3月8日日曜日

べとこん(ベト魂)が試される時

V98卒の竹山です。いつもふざけて文面を書いていますが、今回は、真面目に書きます。理由は、皆様に、緊急で重要なお願い事があるからです。ご協力頂きたいのです。

【依頼内容と依頼背景】
我々OBOGが加入している東京外語会(東京外国語大学同窓会)からの依頼です。2008年12月1日施行の「一般社団法人法」に基づき、有限責任中間法人である東京外語会は自動的に一般社団法人に移行することになります(中間法人制度廃止に伴う新法導入)。一方、一般社団法人の名称を使用する為には、一般社団法人法第49条2の規定に基づき、2009年6月20日開催の臨時会員総会に於いて、「会員総数の半数以上(委任状含む)であって、総会員の議決権の3分の2以上に当たる多数決で可決」といった特別決議を以って現定款記載の名称の変更を行い、新名称で登記することが義務付けられております。何を言っているかと申しますと、「みんなが可決(同意)しないと、外語会は法人格を失う」という大変な事態になるのです。そこで外語会では現在、会員からの同意の委任状を集めるべく懸命の努力をされています。同意いただける方、委任状の提出を至急、お願い致します。なお、同じ依頼内容は、東京外語会HPのトップ(⇒⇒⇒)にも掲載されています。

【具体的な依頼内容】
2009年6月20日に開催される臨時総会に出席できる方は、その場で賛成(同意)の表明をして下さい。臨時総会に出席できない方は、委任状を提出する事により、賛成(同意)の表明とする必要があります。下記2通りのいずれかの方法で、委任状の提出をお願い致します。

① 郵送使用=昨年末、皆様に委任状書類が郵送されています。それに記入し、返信する。
② HP使用=次のリンク先
⇒⇒⇒をクリックし、ネットで返信する。

上記①、②のいずれかの方法で、委任状の提出をお願いしたいです。個人的には、②HP申請が簡単で早くて手軽だと思います。トータル1分程で提出は完了できます。インドシナ関係の会員では、まだ300人近くの方が、委任状を提出されていないとの事です。今、外語会が、存続の危機に直面しています。僕達にできること、それは、ベト科スピリッツ(べとこん=ベト魂=東京外国語大学ベトナム語魂)を、今、この時に、発揮しませんか?この文面を読んで、直ぐに、みんなが委任状を提出したら、ベト科OBOGの結束力をアピールできる機会ですし、外語会存続にも貢献できます。みんな、やろうよ!外語会の事務局は、おそらく、焦っていると思います。なぜ、焦るのか?私たちOBGOの交流の場を維持しようと踏ん張っているからです。さくっと、委任状を提出して、協力しましょうよ!っね?どうか、委任状のご提出をお願い致します。(文責:竹山正人)