2008年6月1日日曜日

お便り-新妻東一(V88卒)

私は、新妻さんが卒業されてから、ジャスト10年後に西ヶ原を超低速助走の末、離陸(卒業)したことになります。年齢がいくつ離れているとかの話ではなく、私が、あと10年早く、西ヶ原に出没できていたら、新妻先輩と仲良く過ごしたのでは・・・。っと勝手にイメージを膨らましています。新妻さんからのお便りを読んで、80年代の西ヶ原も、ある意味、私好みの環境だったかっと想像します。越南ネット連載以降、私より先輩の方を特集するのは、初めての企画であります。80年代を知らない我々にとって、非常に、面白い内容となっています。先輩、寄稿ありがとうございます。新妻さんは、ハノイ駐在の傍ら、日本ベトナム友好協会(リンク先⇒⇒⇒)の全国理事も務めてらっしゃいます。残念ながら、まだ、お会いしたこともないのですが、きっと、写真のように豪快で、愉快な方なんでしょう。なんか、お会いしたら、こっちも笑顔になっちゃいそうですよね。(文責.竹山)

<新妻東一さんからのお便り>
ベトナム語科出身のみなさん、こんにちは。現在、私は三進交易という貿易&旅行会社の駐在所長としてハノイに赴任し、暮らしています。当地にきて今年4月で丸4年になりました。

東外大に入学したのは1981年。当時は、ベトナムは中越国境紛争、カンボジア侵攻と戦争が引き続き、経済的にも非常に苦しい時代で、「ボートピープル」が命からがら逃げ出していた時代でした。ですから、ベトナム語を学ぼうとする人は限りなく少なく、専攻語の選択でも、結局ベトナム語を選んだのは私を含めて3人だけでした。先生は竹内先生と宇根先生に加え、ベトナム人の先生が2名いらっしゃいましたから、学生3人に先生4人という、なんともぜいたくな時代でした。

授業も教室ではなく、先生の研究室で行うことも多く、授業も半ばぐらいになると、諸先輩方や研究者の方が研究室にやってきて、授業が終わると、竹内ヨノスケ先生が、「おい、新妻、これでビール買ってこい」とお金を渡され、私が居酒屋に走ってビールとつまみを買い込み、研究室で宴会をしょっちゅうやっていた覚えがあります。少数の教室ですので、語学を学ぶには最適だったはずですが、私は外語祭の実行委員会やら自治会活動を理由に授業をさぼりにさぼり、全く不真面目な学生でした。

2年の留年を経てやっとこさ卒業したのですが、知人の紹介で今の貿易会社に入社しました。当時はベトナムもまだドイモイ政策をスタートしたばかりで、ベトナムと取引のある企業は限られていましたので、渡りに船とばかりに就職を決めました。僕などよりベトナム語ができたクラスメートや先輩が、ベトナム語とは全く関係のない就職先にいったのに、落第劣等生の私がベトナム語に関係する職種についたのも皮肉なものです。

以来、22年間まがりなりにもベトナムとの貿易業で飯を食べさせてもらったうえに、今はベトナム人の妻を娶り、一人娘ももうけていますので、公私ともにベトナムとは一生離れられなくなってしまいました。

今回の赴任にあたって、日本にいる友人・知人と関係が切れてしまうのもつまらないので、「ベトナム便り」というウェブサイト⇒⇒⇒ を立ち上げました。私の近況報告として、友人たちにみてもらうことで、関係がきれずにつづき、たいへん重宝しております。また、このウェブサイトをきっかけにお友達になった方もあり、インターネット時代のよさを実感しています。

今後とも長くハノイに滞在することになると思いますので、ハノイにお越しの際にはぜひお声をかけてください。今後ともよろしくお願いします。



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