2009年3月8日日曜日

編集部スクープ!Harvard Business Review 3月号!



今回の記事は、お便りではなく、編集部が独自ルートで発見したスクープをお届けします。では、どうぞ!


できるビジネスマン(ウーマン)は、インフォーメーションを求めず、インテリジェンスを追求します。これは、アメリカのCIAがCentral Intelligence Agencyであって、Central Information Agencyでないことからも違いは一目瞭然です。インテリジェンスを追求する場合に、手にとってしまうビジネス誌のひとつと言えば、Harvard Business Reviewが挙げられます。その高貴さは、下記の比較からも推測することができます。世界トップクラスの学術ビジネス研究論文に食らいついていくには、それなりの自己投資が求められますね。

・ Harvard Business Review 2,000円(税込)/Monthly
・ 一橋ビジネスレビュー 2,100円(税込)/Quarterly
・ 早稲田ビジネスレビュー 1,000円(税込)/不定期

なぜ、今回の越南ネットでHarvard Business Review 3月号を取り上げたのか? It is because ベトナム語学科卒業生が記事として載っているからです。越南ネットで特集する前に、外語会会報誌に掲載される前に、Harvard Business Reviewに酢ッパ抜かれてしまったんです。誰だと思う?


そのベト科卒業生とは、V99卒-遠藤暁(サトシ)さんです。遠藤君は、私と同じ、1994年にベト科に入学しています。受験の前期試験では、1228教室の窓際の私の座席の前が遠藤君でした。「やべぇ~、こいつには勝てねぇ。なんで、こいつ、ベト科受験してんだよ!英米科とか、どっか行けよ!」と彼の後姿を見て、敗北宣言したのを鮮明に覚えています。追々、越南ネットでは、遠藤君を特集するので、彼のヒストリーは、その時までベールに包むものとします。

さて、Harvard Business Review 3月号では、「リーダーシップ 求められる資質」をテーマに、状況に応じて求められるリーダー像は異なると説き、それぞれの状況においてどんな才能のリーダーが求められるか?と各界博学者が論じています。遠藤君は、トップランナーのキャリアップ「一流の人材活用術」の中で、各リーディングカンパニーが社内のエリートを如何に育て、如何に活用しているか取り上げているコラムに登場します。(Refer to P136&P137 of Harvard 3月号)各リーディングカンパニーには、IBMコンサルティング、アクセンチュアといった一流企業も掲載されており、遠藤君は、紙面上でガチンコ勝負しています。遠藤君、この金融危機から日本を救ってくれ!

※ Harvard Business Review 4月号は、3月10日創刊です。すなわち、遠藤君記事の3月号を購入する場合、3月10日以降は書店にはありませんので、越南ネット左側コラム(Amazono.com)より御購入下さい。
※いきなり遠藤君の記事を見たい方は、下記リンクの" C "をクリック下さい。
A: Harvard Business Review 3月号 表紙 ⇒⇒⇒
B: 一流の人材活用術 表紙 ⇒⇒⇒
C: P136&P137遠藤君記事 ⇒⇒⇒



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2009年2月6日金曜日

お便り-石井良佳(V96卒)


いやぁ~、越南ネットに石井良佳(ヨシカ)さんの登場です。Mixi世代のヤングにとっては、ベトナム語科コミュニティーのメンバーでもあります石井先輩のプロフィールを見て、「何者だぁ?」っと思われた方もおられるかと思います。その先輩が、ここに、(祝)参上です。なんせ、石井さんは、世界中を飛び回ってますので、追っかけも大変です。原稿執筆の件で、コンタクトを試みた過去数ヶ月間でも、東欧だのアメリカだのアセアンだの駆け巡ってました。更に、本を出版したり、会社を興したり・・・。そのバイタリティーには脱帽ですし、尊敬に値します。圧巻なのは、今回、原稿を依頼した際に、「何文字で纏めたらいい?(石井さん)」の質問に対し、「石井先輩は長いストーリーお持ちですが、2,000文字で纏めてください!(竹山)」って依頼したんです。見事、2,000文字±2%の文字数で2日で戻ってきました。脱帽。白旗大振りっす。多忙な中、ご協力ありがとうございました。では、石井さんの原稿をお楽しみ下さい! 待って!その前に、石井さんの書籍に御興味ある方は、次をクリック⇒⇒⇒。2008年10月に出版された本が、「らくらくベトナム語 文法+会話 CD付き」です。では、Enjoy it. (文責. Masato TAKEYAMA)


<石井良佳さんからのお便り>
旧正月おめでとうございます。皆さんはどのようにお過ごしになりましたか?

卒業後あっという間に十数年。「光陰 矢の如し」「少年老いやすく学なり難し」という言葉が切実にわかるようになって来たこの頃です。時が経つのは本当に早いものですね。卒業後10年くらいまで、連絡を取り合っていた友達もどんどん疎遠になってしまって連絡先がわからない人も多くなってしまいました。この場をお借りしてお世話になった先生、先輩、同級生、後輩たちに近況報告をさせていただければと思います。

大学卒業当時まで時を戻してお話しすると、卒業後、私はベトナムに工業団地を作る商社のプロジェクトに入りました。ベトナムの国防省との合弁でビエンホアにある米軍の基地跡地に400ヘクタールの工業団地を作るというプロジェクト。会社の片隅に机が二つぽつんと置かれたところ、まず文房具を買ってくるということから始まりました。投資ライセンスを取得した後は事務所を契約したり、開発地区の荒れ野にある不発弾の処理をしたり、住民の立ち退きなどがあわただしく進みました。もう一人の駐在員が工業団地発電所や浄水施設、設計業者、建設業者の入札などインフラ建設担当。一方私はお客さんへのパンフレットやプロモーションビデオ、広告用のポスター、ビルボードの作成。ベトナムの法律を調べて投資許可や操業許可証をもらうためのフィージビリティースタディーや定款の作成など投資に関する全ての手続きを一括で請け負うサービスを作成したり、お客さんの税金や法務の相談窓口をしていました。当時は液晶メーカーや携帯IC関連、自動車部品メーカーの社長さんなどを現地に案内したりご説明したりする仕事で目が回るような毎日でした。ところが97年にアジア通貨危機でせっかく進出してきた企業も相次ぐ撤退。世界中から来ていた投資家が一気に引き上げ、ベトナムの町はがらーんと信じられないくらいに静かになってしまいました。

その後、ベトナムの法律について色々疑問点があったため、日本で大学院に入りなおして法整備や、法社会学を学んだ後、総研にてベトナムの法整備支援や、国営企業改革、WTO加盟支援、などのプロジェクトに入りました。その後はフリーランスで通訳、翻訳をしたり、本の原稿を書いたり、通訳や翻訳のほかマーケティングリサーチをはじめとする様々な調査やコンサルティングなど、いろんなお仕事をさせていただくようになりました。

そもそもベトナム語を専攻することになったきっかけは「冒険的な人生を歩みたいなら 利権の固まっていないベトナムだ」という父の言葉からでした。その言葉のとおりベトナム留学時代は本当に 毎日が冒険のような生活で、あちこちのベトナム人に家に招待されたり、建築家のフランス建築や、文化人類学者の少数民族宗教行事の調査に同行したり、日本食レストランの開店を手伝ったり、料理研究家を案内して全土の料理のレシピの聞き取りをしたり。新聞記者の取材に同行したり、様々なテレビのドキュメンタリーや雑誌の取材のコーディネーションをしたり。

振り返ってみると、大学時代にベトナムとかかわってきてから今まで毎日が社会科見学のよう。昨日はスパイスの植え付けと収穫について今日はレントゲン機器の納入説明、明日は鉄道についての研修で線路を歩く、というようにいろんな分野の現場の『今』に立ち会える、知的な好奇心を存分に満たしてくれる仕事ばかりです。

90年代前半からのベトナムという東と西、資本主義と共産主義、近代と現代、善と悪、虚と栄、光と影。いろんなものが混在する場所で、世界中から来たいろいろ人に出会い、考えたことは一生の財産だと思っています。最近ではベトナムだけでなく、ラオスやカンボジアなど周辺諸国からインドネシアや中国、インド、アメリカ、東欧まで様々な国でのお仕事の依頼を頂くようになりました。

昨年 株式会社化させていただいたのですが、その名も東京外国語コンサルティンググループ(会社HPは次をクリック⇒⇒⇒)。東京外国語大学時代からめぐり合ってきた多くの優秀な方々の力を結集させお世話になってきた方々に恩返しをしたい。という願いが込められています。東京外国語大学卒業の通訳者や翻訳者、研究者はもちろんのこと在学中の学生や海外に住む留学生、育児で休職中の方などそれぞれの方がそれぞれのスタイルにあった形で、できるだけ多くの方にかかわって頂き、より多くの人々に喜びと感動を与えるサービスを提供することを目標にしています。

ベトナム語だけでなく、様々な言語の第一線にかかわっていらっしゃる方、様々な海外経験をお持ちの方が回りにいらっしゃいましたら是非ご紹介ください。これからも東京外語の輪をどんどん大きくして、もっと多くの方々の役に立てるようになればとおもっています。是非皆さんのお力もお貸しいただけると本当にうれしく思います。

最後に、今までお世話になってきた先生方、先輩、同級生、後輩の方々をこうやってしっかり繋ぎ止めてくれる竹山君 本当にありがとう!




お便り-藤中里絵(V06卒)


←写真:プライベート活動の1コマ。バンドライブで万歳です!右側のファンキー娘が藤中さん。


来ました!越南ネットに道産子娘の登場です。藤中さんは、お便り読んだら分かりますが、入社3年目を激走中で、今春、4年目に突入しようとしているヤングです。写真見ても分かるように、エンジョイライフしてそうですよね。っが、しかし、お便りの中では、趣味で活動しているバンド(バンド名=ジェシカ)のことには一切、触れていません。また、これが、興味をそそらせますので、このバンド活動秘話は、別途、取材依頼したいと思っています。さて、話題は、360度変わりますが、実は、私、藤中さんとは面識がないんです。会った事がないんです。年齢的なギャップとして、私が中学生の時に、藤中さんは幼稚園児かと思いますので、世代間GAPもありますし、DISTANCEの視点でも、札幌と磐田ですから簡単に会うわけにも行かず、共通点は、ただのベト科卒ってことだけなんです。出会いは、Mixiっ酢。改めて、東京外大ベト科卒というカテゴリにーに運良く属していたことを幸せに思います。(文責. 竹山正人)


<藤中さんからのお便り>
皆さん、こんにちは!2006年卒の藤中里絵と申します。現在は、北海道の第二地銀である北洋銀行に勤務しています。銀行カラーに全く染まらず浮きっぱなしで丸3年働いてしまいました。
外語大への入学は、当時は強く志望していた訳ではなく受験上の成り行きのような感じでしたが、もし今の私があの頃に戻るなら迷わずベト科を第一志望に張り切って勉 強することでしょう。ベト科で過ごした5年間は私の人生の中でももっとも輝いていた時間の一つだとしみじみと感じています。不真面目でハチャメチャな学生でしたが、小さな出来事に心痛めたり、文化の違いや人との出会いに魂を揺さぶられたりと、かけがえの無い思い出がいくつも生まれた日々でした。

さて、そんな私がなぜ今銀行で働いているのか。それは大学入学と全く同じでまさに「成り行き」であります(笑)。大学3年の冬、東京ビックサイトにて就活に疲れた私の目に止まったのは「Uターン就職ブース」。何気な〜く入ったブースがたまたま今の会社で、人事の方の熱ーい北海道への愛にすっかり心打たれホームシックだった私は急遽道内でその会社だけ受けようと思い立ち、そしたら面接はサクサク進み、気がつけば入行しておりました。うーん。ご縁ですね。

しかし銀行というのは皆様の想像通り非常に堅くて(私生活除く)、神経質で、保守的で息が詰まりそうな部分もなきにしもあらず。入行して2年がすぎ、肌の合わなさ・馴染めなさを感じていました。ただ、私の会社の中にもわずかに外大ブラッドが流れたOBがおりまして(3人くらい)励まされつつ、何とか外国為替というマニアックな分野で細々生息していました。ところが去年の7月、突然「本部の業務企画部で働け」という異動が出ていざ行ってみたら部長から「とりあえずマーケティングとかやってもらうから」と一言。「・・・え?昨日まで外貨両替とか、外国送金とかしてたんですけど・・・マーケティング???」と疑問を挟む余地も与えられないまま、去年10月に控えていた合併(当行は札幌銀行と去年10/14に合併しました)にむけて動き出していたプロジェクトの嵐に飲み込まれていったのです。

「マーケティング」とはAMA(アメリカマーケティング協会)の定義によると「組織とステークホルダー(利害関係者)の両方に取って有益になるように、顧客にとっての価値を創り、伝え、提供し、顧客との関係を管理するための組織的な機能とその一連のプロセスである」としています。つまり、世に言うマーケッターのような統計とかグラフとか睨んで商品開発するようなものだけがマーケティングではなく、一言で言うと「お客様に喜ばれる売れる仕組み作り」な訳なので、それに関連する広告宣伝、業務改善、人事評価、システム開発・・・あらゆることがマーケティングの一部なわけです。つまり「マーケティングやってもらうから=何でもやってもらうから」ってことで・・・。合併に絡んで色々やることあるから働け!ということだったのですね。という訳で、去年は死ぬ思いでしたがおかげさまで銀行らしい仕事とはちょっと離れて、転職したような新鮮な気持ちで日々働いています。

最近思うのは、私の人生ってちっとも思うように行ってないのですが、予想外のことが起こるというのは面白くて、案外幸せなことなんじゃないかなぁと。現役ベト科の学生さんも、そろそろ就職活動に入るのでしょうが、疲れた時は自然な流れに身を任せてみるのも悪くないかもしれません。でも、責任は持てませんが(笑)。では、ごきげんよう!





2009年1月8日木曜日

お便り-伊藤悦子(V99卒)


←写真:どれが、悦子さんかななぁ~?って、バレバレだろ!
編集部として、2009年初版は、どのOBOGに原稿を依頼しようかなぁ~と熟考しまして、満場一致でサクッと決定したのが、伊藤(旧姓:町田)悦子さんです。彼女、お便りの中では謙遜して多くを語っていませんが、大学時代には国費留学生としてベトナム留学していましたし、語劇の時は、プロヂューサー的存在で、私なんか、疑いを持つことなく、「彼女が言うことは、正しいに決まってる。絶対に!」と憧れの感さえ抱いていました。バリバリ頑張る子ちゃんって感じでもないのですが、ふぁ~とさりげなく大きなアクションを起こすあたりが尊敬です。自分の「やるよ。やるぞぉ!本当に、やっちゃうかも・・・。信じてないだろ?本当だよ。本当に、やっちゃうかもしれないんだよぉ!」と連呼するものの、なかなかアクションしない私と比べて、学ぶところ多いです。そんな“ふぁ~とさりげなく”の雰囲気が彼女のお便りからも伝わってきます。今、伊藤さんは、アメリカ在住で、生のCHANGEを肌で感じようとしています。2009年の越南ネットが “CHENGE”で始まられることが嬉しい限り。いくぞ!(文責.竹山正人)


<伊藤悦子さんからのお便り>
明けましておめでとうございます。V99卒の伊藤悦子です。同期の竹山氏から「(専業主婦であるようで、ないような)アメリカ生活」のテーマで依頼をいただきました。どうぞ、最後までお付き合いください。

私は学生の頃からジョイセフ(家族計画国際協力財団)で働いていました。この団体は人口・リプロダクティブヘルス分野の国際協力を推進するNPOです。私が関わっていたのはベトナムのゲアン省のプロジェクトで、現地事務所をサポートする業務や、実際に現地に行って聞き取り調査などをしていました。アメリカを旅行したこともない、こんな私が2003年7月に結婚し、以来アメリカに住んでいます。

新婚生活はカリフォルニア州サンノゼでスタートしましたが、シリコンバレーの不安定な状況に見事に巻き込まれ、私が渡米した10日後にレイオフ(夫は結婚前より2年間働いていました)。その後ニューヨークで2年間暮らし、06年3月よりワシントン州シアトル近郊に住んでいます。短期間に西と東を往復したわけで、今でこそ笑い話ですが、夫も私も日本人ですので、当時はビザを変更する問題でハラハラしたものです。

サンノゼは数ヶ月しか住んでいませんが、サンフランシスコでベトナム語と即席中国語を使って貧困世帯に食料品を配るボランティアをしたこと、反戦デモがあったこと、などを思い出します。ゆったりした空気の中にもリベラルな雰囲気があるのが良かったです。ベトナム系移民10万人が暮らすベイエリア。お世話になった日系人の方も多く、長く住んでみたかった、という気持ちもあります。

ニューヨークでもゼロからのスタートでした。ニューヨークというと金融、アートなど華やかな印象をお持ちだと思いますが、近所のファストフード店は全面防弾ガラス張り、物価は高く、なかなか過酷な生活でした。もちろん、世界各地域から民族が集まっているので、その文化を垣間見ることができ、素晴らしい美術館・博物館が多く、市内は地下鉄が使える、など良いところもたくさんあります。

そしてたどり着いたのがシアトルです。ここは小さい町ですが、ボーイング、マイクロソフト、スターバックスなどの大企業が集まっています。イチローのプレイも見られます。近くにはマウント・レーニエやオリンピック国立公園などの大自然があります。またベトナム人が4万人と多い地域でもあります。困ることは、秋から春にかけて(ずっと)雨の日が多いことです。唯一爽やかな7~8月は毎週のようにバーベキューに顔を出したり、カヤックを楽しんだり、悔いのないよう過ごします。

私のビザはつい最近まで労働が許されない種類でしたので、いかにお金をかけずに行動範囲を広げるか、が課題でした。テロ以降、労働ビザ取得が難しくなり、タイミングも良くなかったと思います。そこで、とにかく引越した直後からボランティアを始めました。フルタイム・ボランティアの肩書きをいただきました。なかでも、困難な状況にある移民の方に、社会福祉サービスを提供する手伝いを各都市で続けている経験は、日本に帰ることがあれば役に立つかな、と思っています。

渡米前は、アメリカは暴力的であまり好きでない国でした。社会の不平等を目の当たりにするアメリカで疑問は尽きませんが、今は、良い社会にしていこう、と奮闘する人たちと仕事をすることが楽しいです。今年はさらに厳しい1年になると思いますが、みんなでCHANGEが見られることを願っています。

最後になりますが、越南ネット11月号にあるように、学生時代にお世話になった今井昭夫先生とV科卒の小川有子さん、坪井未来子さんと作業を進めた「ベトナムの歴史」(明石書店)が出版されました。ベトナム中学校歴史教科書を翻訳しました。3年間の歳月を費やし、この間、海外赴任など、生活がめまぐるしく変わった訳者は私だけでなく、日米越に散らばる4人チームで訳し、調べ、出版にこぎつけた一冊です。ベト科卒・現役の皆さまには、ぜひ、ご購入いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。


お便り-編集部(スクープ!野村さんの御結婚)

野村さんが、げっごんしちゃったでずぅ~(泣)。

もう僕も大人なので、しっかりしなきゃならないですが、V99卒の野村透子さんが、2008年12月22日(月)の大安吉日に御入籍されました。野村さんは、宇根先生の退官パーティーの事務局として大活躍でしたし、越南ネットでも昨年9月号(リンク9月号⇒⇒⇒)にて特集しておりますので、ベト科OBOGにとりましても、「どこかで聞いたことある名前だなぁ」とお察しのことと思います。その野村透子さんが、中川透子さんへとなられたのです。Happy marriage です!

野村さんは、それほど、私のファンではありませんが、一方の私は、熱烈な野村さんのファンを豪語してますので、皆を代表して、梨本譲りの執拗な取材を致しました。ここに、その一部をご紹介します。

【取材メモ】
野村透子さんが、中川君と知り合ったキッカケは、ボランティア活動を通じ、ビッビときたらしいです。 あれは、8年前の日比谷公園でした。毎年開催されるグローバルフェスタのイベントにおいて、野村さん=参加者、中川君=主催者側の関係で、二人は、運命的に出会ってしまったのです!そう、中川君は、NGO団体に当時勤務されており、野村さんに負けず劣らずの慈善スピリッツ有り有りの好青年なのです。彼は、仕事の関係で、西アフリカに位置するブルキナファソにも海外支援として駐在したり、二人を取り巻く環境は、他を寄せ付けない程のドラマティック振りですが、そんな超遠距離を乗り越えて、ここに、お二人がゴールインできたことは、誠に、嬉しい限りです。彼は、更にステップアップするために、現在、大学院にて環境マネジメントを専攻し、途上国へのサポートに精進しようとコミットしています。この二人、どこまでも、登りつめる計画のようです。

野村さんから皆様へのコメントも頂いております。 「まだまだ未熟者ではありますが、諸先輩方に負けないように楽しく幸せな家庭を築いていこうと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。あと、これからも全然遠慮しないで、飲みや遊びにはガンガン誘ってくださいね。いそいそと出かけて行きますので~」とのコメントです。っと、言うことで、今後も、何も気兼ねすることなく、ファン代表として、中川透子さんを飲みに誘いたいと思います。Happy marriage でした! (文責:西ヶ原アジアストリート街の梨本勝こと、竹山正人でした。恐縮です!)


お便り-市川絵里(現役4回生3年生)

外語祭が終了してしばらく経過した頃に、現役生の市川さんから外語祭レポートが届きました。誠に嬉しい限りです。越南ネットでの外語祭PRへのお礼として、Good Smilesの写真が送られてきました。、これは勿体無いと思い、さっそく、この1月号にて紹介致します。加えて、無理をお願いして、原稿も彼女に書いて頂き、2008年のベト科文化際を総括して貰いました。誠に嬉しい限りです。市川さんは、昨年の越南ネット7月号(リンク⇒⇒⇒)で特集させて頂いてますので、今回で2回目になります。彼女の歩む処は、常に楽しそうです。今後も、是非とも、越南ネットに登場して頂きたいですし、強引に依頼して行きたいと考えています。(文責:竹山正人)

<2008年ベト科外語祭総括 by 市川絵里さん>
一年生の料理店。メニューは、フォー・揚げ春巻き・生春巻き・チェーでした。 先輩達は、あぁいつもと同じだねと思われるかも知れませんが、今年の一年生はちょっと趣向を凝らしていました。揚げ春巻きの具にはジャガイモ入り。春巻きのたれは3種類用意してお客さんに選んでもらうという形式。チェーには変わった食感の白玉が!メニューの工夫と、アオザイ美人パワーによって、店は大盛況!そのため、何軒かに泊り込み、12人みんな平均睡眠3時間で毎日仕込みをがんばったそうです。それでも春巻きは足りなくなり、語科の教室で当日巻き足したりしていました。売り切れになってしまった日もありました。そんなみんなの努力の甲斐があって、売り上げはなんと85万を突破!!準備と片付けを含む外語祭の7日間で、一年生の仲は一層深まったそうです。

外語祭どうだった?と聞くと、「話しには聞いてましたけど、マジでこんなに大変だとは思ってませんでした。(苦笑)」と店長の尾下君は言っていました。でも、みんなで協力して乗り越えた外語祭の7日間は、きっといい思い出になると思います。一年生、本当にお疲れ様でした!
二年生の語劇。今年は「夫」という題目を上演しました。外語祭初日で、しかも平日18時ごろからの開始にも関わらず、お客さんの入りは上々。本編の前には、作者を紹介するオリジナルの寸劇をして、ベトナム人から笑いをとっていました。劇は、ある夫婦の夫がある日政治犯として捕まってしまうところから始まります。夫は妻に自分の親友と結婚しないと、自殺すると言い出します。そこで、妻は夫と離婚し、夫の親友と結婚します。親友は妻のことをひそかに愛していました。しかし、政変が起きて、夫が釈放されることになります。妻は、それを知って、夫のもとへ戻ってしまうという悲しいお話でした。 役が少なかったため前半と後半で一役を二人で分けて演じ、全員参加でがんばっていました。各場面に合ったクラシックのBGMと、みんなのシリアスな演技で劇は大成功!語劇が終わったあとも、二年生はそれぞれサークルや部活の企画をがんばっていました。
←写真は、2年生~5回生のナイスガイs

有志企画。二回生から五回生まで総勢19名が参加して、手羽先のヌックマム揚げを売りました。調理はメンズが担当、ひたすら揚げ続けてくれました。アオザイを着たガールズが、日替わりで宣伝を担当。美味しい味付けと、アオザイ美人の宣伝効果で1500本以上を売り上げました!

こんな感じで、それぞれががんばった外語祭は無事終わりました。 外語祭に遊びに来てくださった先輩方、本当にありがとうございました!


2008年12月8日月曜日

お便り-佐藤愛歌(V00卒)


←写真は今年のはじめごろ、箱根に犬を連れて行ったら予想外に雪が積もっていてびっくり。道なき道をむりやり散歩をしている佐藤氏。

あなたは、越語が得意ですか?No, I am not good at. では、あなたは、仕事で越語を活用していますか? No, of course, ノー ! では、あなたは、越科スピリッツを保持していますか? Yes, sure! 以上の3つの質問を投げかけヒットした一人が、この佐藤愛歌さんです。私と同じ道を歩むものと勝手な親近感を抱き、今回、原稿作成を強制しました。狙いは、スピリッツだけでも、生きて行くことは可能であることを立証したかったからです。角川に勤務する彼女のセンス、文才に魅かれます。また、意味不明な写真からは、これもまた勝手に、「いばらの道を好む」観点から、親近感を抱きました。かのアントニオ猪木氏は、引退のリングにおいて、「道」という詩を詠んでいます。「この道をいけばどうなるものか!歩むぶなかれ、歩むべば道は無し!踏み出せば、その一足が道となり、その一足が道となる!迷わず行けよ、行けばわかるさ!ありがとー!!1,2,3、だぁーーー!!!」 ちょっと、脱線しましたが、佐藤さんの仕事は、有名作家の発掘から育成、二人三脚活動、そして名著作の創造と楽しそうですね。(文責.竹山正人)

<佐藤愛歌(サトウヨリカ)さんからのお便り>
「竹山せんぱーい!どうして私なんかに「越南ネット」の原稿を依頼したのですか?」と聞いてみたところ、「お前ほどベトナムにかかわっていない奴はいない(が、編集者というから、まあ、文章は書き慣れているだろう)から」と言われました。ベト科の卒業生として相当不本意な部類でお恥ずかしいのですが、こんな卒業生もいるんだと、お楽しみいただければ幸いです。

私が外大を卒業したのは2000年3月。最後の北とぴあでの卒業式でした。卒業後はコンピュータ雑誌の編集に2年ほど関わり、それから角川書店に入りました。書籍編集の仕事を本格的にするようになってからは丸3年半といったところ。まだまだ駆け出しの身としましては、毎日息つく暇もなく、どころか、息を止めて猛ダッシュしているような気がしています。

越南ネットに何を投稿しようか、うんうん唸っていたこの2か月の間には、特に大きな出来事が2つありました。1つは、日本ホラー小説大賞という、我が社が主催している新人賞の、今年の大賞受賞作『庵堂三兄弟の聖職』を担当して刊行したこと。著者の真藤順丈さんは、ダ・ヴィンチ文学賞大賞、日本ホラー小説大賞大賞、ポプラ社小説大賞特別賞、電撃小説大賞銀賞と、約半年の間になんと4つの新人賞を次々に射止めて作家デビューを果たした、話題沸騰中、驚異の大型新人。お近くの書店で、どうぞお手にとってみてください。死体を加工して櫛や箸、かばんから卓袱台まで、ありとあらゆる生活用品を作り出す「遺工師」の家に育った三兄弟のお話です。死体を解体するさまはホラー小説らしく生々しいのですが、それだけにとどまらない物語に仕上がっているのが最大の魅力。青春、家族、成長、仕事、愛、生と死……人生におけるあらゆる要素が、しっかりと織り込まれた大エンターテインメント小説ですので、ホラーの冠に恐れをなして読み逃されることのありませんよう。

そしてもう1つは、6月末に刊行した津村記久子さんの『ミュージック・ブレス・ユー!!』が、この11月に野間文芸新人賞を受賞したこと。受賞はひとえに作家と作品の力、それから時機のなせる技ですが、私が自分から初めてお願いして書いていただいた書き下ろし小説だったので、感慨もひとしおでした。『ミュージック・ブレス・ユー!!』は、勉強もできず進路も決まらないさえない毎日を、パンクロックを心の糧にして過ごしている女子高生・アザミの約1年を描いた青春小説。「何も持たないことを肯定する小説を書きたかった」と津村さんは語りますが、何も持たないことがこんなにもかけがえなくて愛おしく、そして懐かしいことか。

思えば私自身、外大で過ごした4年間だって、何をなし遂げたわけでもなく(すみません!)、だらだらとアジア通りでおしゃべりをしたり、ボートを漕いだりお花見をしたり、何にもなくても突発的に飲みに行ったり、飲んだくれたり酔っぱらったり、そんなことばかりが思い出されます。強引かつ情けない限りですが、ほぼすべてのことがかけがえなくて、懐かしい日々だったりするなあ、と思いを馳せたりするのです。