2008年12月8日月曜日

お便り-佐藤愛歌(V00卒)


←写真は今年のはじめごろ、箱根に犬を連れて行ったら予想外に雪が積もっていてびっくり。道なき道をむりやり散歩をしている佐藤氏。

あなたは、越語が得意ですか?No, I am not good at. では、あなたは、仕事で越語を活用していますか? No, of course, ノー ! では、あなたは、越科スピリッツを保持していますか? Yes, sure! 以上の3つの質問を投げかけヒットした一人が、この佐藤愛歌さんです。私と同じ道を歩むものと勝手な親近感を抱き、今回、原稿作成を強制しました。狙いは、スピリッツだけでも、生きて行くことは可能であることを立証したかったからです。角川に勤務する彼女のセンス、文才に魅かれます。また、意味不明な写真からは、これもまた勝手に、「いばらの道を好む」観点から、親近感を抱きました。かのアントニオ猪木氏は、引退のリングにおいて、「道」という詩を詠んでいます。「この道をいけばどうなるものか!歩むぶなかれ、歩むべば道は無し!踏み出せば、その一足が道となり、その一足が道となる!迷わず行けよ、行けばわかるさ!ありがとー!!1,2,3、だぁーーー!!!」 ちょっと、脱線しましたが、佐藤さんの仕事は、有名作家の発掘から育成、二人三脚活動、そして名著作の創造と楽しそうですね。(文責.竹山正人)

<佐藤愛歌(サトウヨリカ)さんからのお便り>
「竹山せんぱーい!どうして私なんかに「越南ネット」の原稿を依頼したのですか?」と聞いてみたところ、「お前ほどベトナムにかかわっていない奴はいない(が、編集者というから、まあ、文章は書き慣れているだろう)から」と言われました。ベト科の卒業生として相当不本意な部類でお恥ずかしいのですが、こんな卒業生もいるんだと、お楽しみいただければ幸いです。

私が外大を卒業したのは2000年3月。最後の北とぴあでの卒業式でした。卒業後はコンピュータ雑誌の編集に2年ほど関わり、それから角川書店に入りました。書籍編集の仕事を本格的にするようになってからは丸3年半といったところ。まだまだ駆け出しの身としましては、毎日息つく暇もなく、どころか、息を止めて猛ダッシュしているような気がしています。

越南ネットに何を投稿しようか、うんうん唸っていたこの2か月の間には、特に大きな出来事が2つありました。1つは、日本ホラー小説大賞という、我が社が主催している新人賞の、今年の大賞受賞作『庵堂三兄弟の聖職』を担当して刊行したこと。著者の真藤順丈さんは、ダ・ヴィンチ文学賞大賞、日本ホラー小説大賞大賞、ポプラ社小説大賞特別賞、電撃小説大賞銀賞と、約半年の間になんと4つの新人賞を次々に射止めて作家デビューを果たした、話題沸騰中、驚異の大型新人。お近くの書店で、どうぞお手にとってみてください。死体を加工して櫛や箸、かばんから卓袱台まで、ありとあらゆる生活用品を作り出す「遺工師」の家に育った三兄弟のお話です。死体を解体するさまはホラー小説らしく生々しいのですが、それだけにとどまらない物語に仕上がっているのが最大の魅力。青春、家族、成長、仕事、愛、生と死……人生におけるあらゆる要素が、しっかりと織り込まれた大エンターテインメント小説ですので、ホラーの冠に恐れをなして読み逃されることのありませんよう。

そしてもう1つは、6月末に刊行した津村記久子さんの『ミュージック・ブレス・ユー!!』が、この11月に野間文芸新人賞を受賞したこと。受賞はひとえに作家と作品の力、それから時機のなせる技ですが、私が自分から初めてお願いして書いていただいた書き下ろし小説だったので、感慨もひとしおでした。『ミュージック・ブレス・ユー!!』は、勉強もできず進路も決まらないさえない毎日を、パンクロックを心の糧にして過ごしている女子高生・アザミの約1年を描いた青春小説。「何も持たないことを肯定する小説を書きたかった」と津村さんは語りますが、何も持たないことがこんなにもかけがえなくて愛おしく、そして懐かしいことか。

思えば私自身、外大で過ごした4年間だって、何をなし遂げたわけでもなく(すみません!)、だらだらとアジア通りでおしゃべりをしたり、ボートを漕いだりお花見をしたり、何にもなくても突発的に飲みに行ったり、飲んだくれたり酔っぱらったり、そんなことばかりが思い出されます。強引かつ情けない限りですが、ほぼすべてのことがかけがえなくて、懐かしい日々だったりするなあ、と思いを馳せたりするのです。

2008年11月11日火曜日

お便り-編集部(今井先生の書籍出版)


編集部の竹山です。既に、多くのベト科関係者は、御購入頂いているかと思いますが、9月に、明石書店より、「ベトナムの歴史-ベトナム中学校歴史教科書」が出版されました。この書籍は、明石書店がシリーズ化している世界各国の歴史教科書を日本語として出版しているもので、今まで、中国版や韓国版は世に出ていましたが、いよいよ、ベトナム版が販売になりました。日本経済新聞の広告にも掲載されてましたね。参考までに、インドネシア版も同時発売の様子です。

ここで肝心なのは、今井昭夫先生が監訳をされ、ベト科OGであります小川有子さん、坪井未来子さん、伊藤悦子さんとが共訳されている事です。9月は、リーマンショックを皮切りに株式市場の大荒れによる「売り相場」でしたが、「ベトナムの歴史」は、竹山総研見解として、「買い」であります。値段は、6,090円(税込)と迫力ありますが、現役生に至りましては、この本により、今井先生のベトナム近現代史のクラスで“優”が取れたら安いですし、履歴書にベトナム語学科卒と白字で書いている私として、買わなきゃならない本です。今井先生曰く、「中学校の歴史教科書ですので、さっと通史を勉強したい人にはお手頃ですし、またベトナムではどんな歴史教育をしているのか関心をもっている人は必読!」との事です。ページ数も779㌻(今井先生曰く、枕になるとか)と読み応えありそうです。Buy it です。

では、早速、ご購入の方の為に、Amazonリンクを添付致しますので、クリック願います。ご購入後、Amazonカスタマーレビューの御記入も、宜しくお願いします。誰が一番かな? Amazon「ベトナムの歴史」
PS:近々、「ベトナムの歴史」出版にあたり共訳されましたOGのどなたかを、越南ネットに掲載できるように編集部総力を挙げて原稿依頼をしております。乞うご期待ください!(文責.竹山正人)

お便り-編集部(第86回外語祭)

今年も、恒例の文化祭シーズンが到来です。我らの母校でも、下記日時に文化祭が開催されます。私も卒業して既に11年が経過しますが、後輩達から、“Welcome to 文化祭” の話を聞くと、当時を懐かしく思います。

皆さんも、文化祭にまつわる思い出が多いことと思います。私事ですが、1年生時の料理店では、蟹工船並みの前日連夜の揚げ春巻き工場と化したアパートで、みんなで集まって、巻いた事を思い出します。私たちの時代は、質よりも量(売上)を目標としていた為、店内での油揚げによるパチパチ(プチ爆発)のリスクを避ける為に、ベト科クラスメイトのアパートにて前日から揚げる事としました。当日は、2度揚げした訳です。お陰で、クラスメイトの部屋は、外語祭期間中、揚げ工場となっていた為、壁紙がベトベトでした。今井先生の教官ルームは、生春巻きRollFactoryと化してまして、賃貸料も払わずに、違法占拠していた事が懐かしいです。今思うと、外大では誰も教えてくれなかった、ベンチャービジネス精神をその時、養うことができたんだと思います。(未だに、サラリーマンに噛り付いてますが・・・)
2年生時は、語劇ですよね。まぁ、どの世代も、ファイトするイベントですが、私たちの時代もファイトした訳です。ある意味、熱が入りすぎて、喧嘩とかもあるんでしょうね。そこを乗り切るから、小語科としての団結力ってのが芽生えるのかもしれません。マンモス大学では味わえない環境でしょうね。私なんか、未だに、「あの時のあの照明照度は、適切ではなかったんでは・・・」と根に持っています。(笑)
私事の話が続いてしまいますが、文化祭で、同期や先輩後輩達と、楽しい酒を交わした事が思い出として鮮明に残っています。それに加え、少し感傷的になりますが、毎年、田舎から、両親&祖母が、楽しみに文化祭に足を運んでくれた事が、今になってみると嬉しく、ほのぼのとしたワンシーンですよね。当時は、「なんで、来たの?」なんて思いましたが、良い親孝行&おばあちゃん孝行ができたと、後置いながら、美化しています。
前置きが長げぇ~と、そろそろ、皆様も、御感じの御様子ですので、〆ます。今年の文化祭は、いいらいしよ。ベト科現役生5人から、越南ネットに投稿頂いております。どいつも、こいつもツワモノ揃いです。この勇士ら、でっかい事、やりかしますから、Let's go to 府中です!!! 期間は、11月20日(木)~11月24日(月)の5日間!!!

●第86回東京外大文化祭公式HP    ⇒⇒⇒
●ベト科語劇(11月20日(木)17:50~) 
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●ベト科料理店レイアウト          
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お便り-三浦哲士郎(現役4年生)


←写真:前列右から2人目が三浦哲士郎さん。その左が、統率力抜群の市川絵里店長
皆さん、こんにちは。ベトナム語科5回生4年生の三浦哲志郎と申します。愛知県出身です。06年度ハノイに1年間留学をしていました。無事就職先も決まり、来年から社会人です。皆様のお世話になることも多くなることかと思いますがどうぞよろしくお願いいたします。
さて、私自身の紹介はこのくらいにして、今回は越南ネットに外語祭のPR文を載せていただけるということなのでこの場をお借りしまして少しお店の宣伝をさせていただきます。この度、外語祭にてベトナム語科有志で「ベトナム風手羽先」のお店を出店することとなりました。カラッと揚げた手羽先を特製ヌォックマムのタレにつけた一品料理(1本150円、2本250円)です。
「ベトナム風」とはうまく言ったものでネーミングには少々議論の余地がありますが、味の方は保証いたします!絶品です!!また飲み物としてハリダービールを用意しています。ベトナム語科3・4年生有志17名、特に4年生にとっては最後の外語祭(おそらく)なので、統率力バツグンの市川絵理店長の下、気合いを入れて楽しんでやっていきたいと思っています。皆様お時間ありましたら、ご家族、ご友人、恋人同士、お誘い合わせの上ぜひぜひご来店下さい。お酒をはじめとした差し入れも大歓迎です!では、ベトナム語科有志一同、皆様の来店を心よりお待ちしています!!

お便り-中田陽佑(現役2年生)


今年の語劇代表者をやっている中田陽佑です。直感でベトナム語科を選んだ埼玉の某男子校出身の次男坊です。
今年の語劇のタイトルは“はす姫”。タイトルを外語祭実行委員会に提出する頃(六月中旬だったでしょうか)、いまだ何をやるか決定していなかった僕たちは、ベトナムっぽくもあり、かつ日本の話をもとにしたとしても使えそうなタイトルをつけました。しかし実際に演じるKhai Hungの“Nguoi Chong”はタイトル通り男が主役という誤算。表面上は普通に暮らしていたTongとMinh夫妻。そこへGiamが重大ニュースを持って入ってきて物語が急転するという心理劇です!!

開催日時は外語祭初日の11月20日(木)17:50~18:50@101教室
キャスト紹介 Tong(男) 遠藤総史、Minh(女) 西本晴香 辻まりえ、Nghi(男) 羽賀千紋 安西菜穂子、Thu(女) 門倉由季 篠永千明、Giam(男) 中田陽佑

出たがりだらけの今年のベトナム語科二年生は一人二役もとい二人一役が三組!!一度見ただけではわからない作品を作ってDVDを売ろうという最近の傾向にのっかったわけでは決してないですよ。NghiとThu夫婦の長いセリフや音楽にも注目です。

頑張りますので、楽しみにしていてください!

お便り-辻まりえ(現役2年生)


←写真:前列中央の赤い服が、辻ちゃんです!(同期ベト科とベトナム旅行の時のショットです)
こんにちは。ベトナム語科二年の辻まりえです。

私は語劇で主役Tongの妻Minhを、西本さんとダブルキャストでやります。Tong役の遠藤君とケンカするシーンがあり、いかにそのシーンを「魅せる」か、日々楽しみながら研究しています。現在は休み時間、土日、そしてついには主専の授業時間も頂きながら練習しているところです。

またこの場をお借りして外語祭でのフラメンコ公演の宣伝をさせていただきます。私は踊りではなく歌なのですが、22日(土)以外全日に出演します。ベト科の先輩とも後輩とも共演するので、是非いらしてください!これからもベト科フラメンコ、通称「ベトメンコ」が続いていけばいいなと思っています。

語劇を通して、改めてベトナム語の発音の難しさに打ちのめされている今日この頃です。まだまだ完成には程遠いですが、これからも頑張っていきます!!どうか皆さん見にいらしてくださいね。そしてその際にはぜひ温かい目で見守ってください…。

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お便り-尾下翔太郎(現役1年生)


←写真:1年生集まれ!です。どれが尾下君かな?
こんにちは!東京外大ベトナム語科料理店代表の尾下翔太郎です^^

今年も我々ベト科1年は外語祭に料理店を出店します。 提供するメニューは定番ものだけど、今年のベトナム料理は昨年までとは一味違います。

①フォー
②生春巻き
③揚げ春巻き
④チェー
⑤シントー(マンゴー、パイナップル)
⑥333ビール
⑦ベトナムコーヒー
⑧ハス茶

ちなみに今回の一押しはフォーでしょうか。もちろんどの商品にも自信を持っていますが今回のフォーは大変に力を入れましたので、絶対満足いただけると思っています。ベトナム醤油のニョクマムに、ほのかにしょうがの香りが漂うスープと合わせてどうぞ!とてもヘルシーな出来となっているので、女性の方や、食欲の秋に少し張り切りすぎちゃったあなたにも最適ですよ^^もちろん老若男女どなたにでもお勧めです!

外語祭にはたくさんのOBOGさんもいらっしゃるかと思いますが、その時はぜひベト科料理店にいらしてください。みなさまの肥えた舌を唸らせる一品でお出迎えいたします。そしてその時はぜひ、たくさん買っちゃってください。できればついでに調理のお手伝いなんかも。。。。。なんちゃって^^

では、外語祭でお待ちしております!! 以上です。ぜひ外語祭ではベト科料理店にいらしてくださいね。お待ちしています!


お便り-松浦里恵(現役1年生)


←写真:顔の半分隠れた人も含めて、右から4番目が松浦さん。どんなに忙しくても、カメラ目線は、外しません!

初めまして、こんにちは。1年の松浦里恵と申します。
ベトナム語を勉強してから半年。ベトナム語を選んだ理由はベトナム料理が好き、高校に外大のベト科卒の先生がいたからと単純なものでしたが、今では楽しく勉強しています。
私は毎年盛大に行われる外語祭を裏で支えたいと思い、外語祭実行委員会に入りました。
今年の外語祭は、料理店や語劇の他、亀山学長の講演会やフィナーレがあるなど企画が盛りだくさんです。そして今年もリサイクル可能な食品容器「リ・リパック」を導入します。ご来場された際にはご協力お願いします。また今年から未成年者にアルコールを販売しないために、アルコール・パスポートを配布することになりました。本祭中は年齢確認をして来場者に無料で配布します。ご理解お願い致します。
ベト科は今年も予算がギリギリですが、おいしいフォーや生春巻きを提供したいと思っています。ぜひ注文する際にベトナム語で話しかけて下さい。簡単なベトナム語なら聞き取れると思います。
ベト科一同、皆さまのご来場お待ちしております。

2008年10月1日水曜日

お便り-三村夏代さん(V01卒)


←写真:左から4人目の微笑が三村さん

ベトナム語の遺伝子と言いますか、ベトナム語学科の遺伝子が騒ぐことってありませんか?三村さんが、それを実証してくれました。彼女は、卒業後、福井県へUターン就職をされて、ベトナム語とは疎遠な生活をしているようです。大学で学んだこととは関係のない、全く新しい道を歩んでいることが個人的に共感します。私の場合は、自然的脱線でしたが、三村さんの場合、自らハンドルを切って路線を変え、理学療法士の資格を取得し、それに邁進するあたりが格好良い。そんな三村さんのベト科遺伝子が、活発に動き出しました。とのお便りを頂きました。年齢を重ねて思うことは、「最近の若者は・・・」って愚痴りたくなることありますよね。でも、こんな若者もいるって事を知った場合、我が身を反省したいと思います。なんか、若者に、「最近のオジサン、アクティブじゃないよね?」って言われてそうで、どーにかしんとマズイです。
PS:福井は、僕にとって、マイナーではないです!過去5、6回、訪問したことありますが、冬の東尋坊&越前カニのセットは絶品で、世界の中心で愛を叫ぶには、東尋坊の絶壁が適していると思います。(文責.竹山正人)
< 三村夏代さんからのお便り >
皆さん、こんにちは。2001年V科卒業の三村夏代です。卒業後に実家のある福井県にUターン就職しました。福井県といえばとってもマイナーな県ですが、共和党副大統領候補サラ・ペイリン・アラスカ州知事が愛用している眼鏡が鯖江市のものだったり、民主党大統領候補のバラク・オバマ上院議員と同じ名前の小浜市があったりと、米大統領選挙のお陰で福井県の知名度が少し上がったのではないかと期待しています。
今、私は福井県立病院で理学療法士として働いています。回復期病棟にて主に脳卒中の患者さんの歩行獲得、自宅復帰を目的としたリハビリを行っています。大学卒業後はベトナム語を使う機会は殆どなく、全くといっていい程ベトナムと関わってきませんでした。しかし、宇根先生の退官パーティーに参加したり、毎月越南ネットをみてベトナム語科卒業生の皆さんが頑張っていることを知ることによって刺激を受け、私も何らかの形でベトナムと関わっていければいいなと考えるようになりました。
今回、Vietnam Festival 2008にボランティアとして参加してきました。参加した動機はベトナムに海外旅行に行くよりも安くすむだろうという、とても安易なものでした。ボランティアに参加した人の中にはベトナム人留学生や、ベトナムに留学したことのある人、旅行や仕事でベトナムにいってベトナムを好きになった人、これからベトナムに旅行に行く人など様々でした。ボランティアに参加した動機も違いましたが、雨が強く降る中ででもそれぞれの仕事を懸命にこなしている姿には感銘をうけました。
ちゃっかりベトナムフェスティバルを楽しんでしまいました。安くて美味しいベトナム料理を堪能することができました。様々なステージを見ることができ、特にベトナムのキムタクといわれるLam Truongやベトナムのセリーヌ・ディオンといわれるMy Linhのステージは年甲斐も無く興奮しました。後輩の小栗さんはとても素敵なアオザイを着て、今回はウッドベースとパーカスの3人トリオで演奏していました。単純な竹の楽器から、あんなに複雑で多用な音色を奏でることの出来る彼女にはいつも驚かされます。

今回のボランティアに参加して一番良かったと思うことは、色んな出会いを得られたということです。ボランティアに参加した人達に出会えたこともそうですが、それ以上に、以前お世話になり卒業以来会っていなかった人達に再会できたことは、とても嬉しいものでした。

ベト健先輩見つけちゃいました。不覚にも越南ネットHP添付の顔写真を拡大プリントとしていくことを忘れてしまいハグをしてもらうことができませんでしたが、声をかけたら気さくに話ししてくれました。美味しいチェーもご馳走になってしまいました。ありがとうございました。更に優しい笑顔の今井先生や、ノンをかぶったチャイン先生にも遭遇しました。ハノイからこのフェスティバルのために出張で来たという小林くんは、携帯片手にずっと仕事をしており、とても頼もしくみえました。

今後自分がどのようにベトナムと関わっていけるかはまだ分かりませんが、「ベトナム」つながりで色々な人と出会えたことに喜びを感じ、この縁を大切にしていけたらなと思っています。




お便り-小嶌周(V02卒)

←写真:バイバイする小嶌周
サッカーのトヨタカップって有名ですよね。将来のFIFAトヨタカップ出場を目指し、世界のちびっ子が静岡に集結しました。8月の出来事ですが、静岡世界少年サッカー大会が開催されたのです。(リンク⇒第9回静岡世界少年サッカー大会そこに、ベトナム選抜も参加し、世界の強豪ジュニアと闘ったのです。ふ~ん、そーなのぉー、へぇ~。って終わってしまっても良い話ですが、この大会、1人のベト科卒業生による縁の下のサポートがあって成立していたのです。その男とは、越南ネット2回目の登場、the 小嶌周。彼は、ベトナム留学、ベトナム駐在の経験があり、ベトナム大好きっ子ですが、今は、ベトナムとは疎遠な仕事・生活を送っているそうです。はやり、ベト科遺伝子が騒いじゃったそうです。三村さんと言い、小嶌君と言い、21世紀を背負う人材の共通キーワードは、“The ボランティア”のようです。
また、浜松市国際交流協会勤務の内山夕輝さん(V98)も、同日、このサッカー大会に参加していたとの情報も得ています。みんなActiveだね!俺は、その日、何をしていたのかなぁ~って予定帳を振り返ったら、「つぼ八 原島店 19:00~ 3名!」だってさ。まだ、僕には、21世紀を背負えないようです。(文責.竹山正人)

<小嶌周(コジマ アマネ)さんからのお便り>
今月は、ベト科東海支部、小嶌(V科2002卒)よりベトナムの少年たちの熱戦に関するレポートです。
8月22日(金)から24日(日)の3日間、静岡県袋井市小笠山運動公園 エコパスタジアムで、第9回静岡世界少年サッカー大会が開催されました。そこにベトナムの全国少年サッカー大会で優勝したPleiku(同11歳以下大会)、Da Nang(同13歳以下大会)チームから選りすぐりの選手たちによる選抜チームが参加しました。
本大会は毎年開催されていて、今年で9回目を数え、ベトナムチームが参加したのは今回が初。開催の目的は、1)世界に誇れる「少年サッカー大会」を目指し、サッカー王国静岡の振興を図る。2)静岡のスポーツ文化を世界へ情報発信するイベントとして育てる。3)サッカーをきっかけとした交流を通して青少年の健全育成を図る。といったもの。
主催はもちろん、静岡県。後援は外務省、(財)日本サッカー協会、在日フランス大使館、駐日ブラジル大使館、在日メキシコ合衆国大使館、在日ベトナム社会主義共和国など国際色に富んでいます。私は、影のサポートとして、ベトナムチームに帯同し、通訳のお兄さんとしてがんばりました。3日間も一緒に過ごすと、私も彼らのチームメイトかのように、試合にのめり込み、充実した3日間でした。
本戦には全8チームがエントリー、A・Bグループ4チームずつの総当たりによる予選リーグ戦と、それぞれのグループの結果による順位決定戦が行われました(以下ご参照)。チェックポイントは、どの参加チームも名前を聞いただけで、「強そぉ~」っと震え上がるチームばかりです。
●グループA
バチューカ(メキシコ:前回優勝)、ベトナム選抜、東京ベルディジュニア、名古屋グランパスUー12
● グループB
サンパウロFC(ブラジル)、ルマン(フランス)、柏レイソルUー12、静岡県選抜
グループAを戦ったベトナム選抜の戦績は、名古屋グランパス戦0-3、バチューカ戦0-6、東京ベルディジュニア戦0-3と実力及ばず全敗のグループ4位。各グループ4位同士で争われた7位決定戦に進んだベトナム選抜は、Bグループ4位、あの名門ルマンと対戦。なんと2-0で歴史的快勝でした。今回は多少残念な結果に終わりましたが、世界の強豪、名門チームに一歩も引けを取らない戦いぶりは、サッカーにおけるベトナムの将来を期待させるに十分で、感動ものでした。ベトナム人選手がJリーグで、世界の名門チームで活躍し、W杯アジア予選で日本を脅かす日も近いでしょう。
皆さんの身近にあったベトナムに関するイベント、トピックス。よろしければ、越南ネットに投稿してみてはいかがでしょうか。思わぬところで、ベト科同士でのつながりも新たに生まれるかも知れません!!

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2008年9月1日月曜日

お便り-設楽澄子(V96)


設楽さんからの寄稿から刺激を受けた編集部は、農林水産省HPにアクセスし、世界各国の穀物自給率を調べてみました。2003年版が最新でしたが、日本は、125位/175カ国で、ご承知の通りの27%でした。食欲の秋を控えて、心もとない数値です。一方、ベトナムの穀物自給率は、13位/175カ国で、見事な127%でした。8月のWTOドーハ・ラウンドでは、米国、中国、印度、EUらの大国対立で決裂に終わり、日本のコンニャクイモ農家はホットしたけれど、実は、あの時、ベトナムは、「国内インフレ対策で、お米輸出できません!」と重大宣言していた事を思い出す。食料自給率の低い我が国は、ベトナムと仲良くしていかないとマズイです。今後、ベトナムは、農業資源においても、益々、国際的プレゼンスを確立してくると思われます。そんな中、我がベト科OGであります設楽さんの御活躍は、農業における橋(Bridge)between Japna&Vietnam となるべく存在なんです!もー、設楽さん、Great!!!(文責.竹山正人)


〈 設楽澄子さんからのお便り 〉
私は現在、大学院で北部ベトナム農村における経済発展と社会構造の変化について研究しています。大学時代あまり勉学に熱心でなかった私がこのような場に登場すること自体大変気恥ずかしいのですが、せっかくの機会ですので、自己紹介がてら外語大での学生生活と現在の研究について簡単にご紹介したいと思います。

私が西ヶ原の外語大で学生生活を送ったのは91年からの5年間(内1年間はハノイに留学)でした。ドイモイは既に始まっていましたが、入学当初のベトナムは、今のような経済成長や観光のイメージからはまだ程遠く、初めて手にしたベトナム語のテキストは紙質も印字も悪く、心もとないような、懐かしいような気持ちになったのを覚えています。同級生の多くは私のように「たまたまベトナム語を選んだ」人たちでしたが、なかには目的意識を持ってベトナム語を勉強している先輩や同輩がいました。私は、入学後にベトナム難民の方に日本語を教えた経験から、移民や多文化共生などの問題に興味を持ち、国際経済論(伊豫谷先生)のゼミで外国人労働者論や多国籍企業論を学んでいましたが、それとベトナムの勉強をどう結びつけていけばよいのかよくわからずにいました。

漠然と大学生活を送っていた私ですが、94年から95年にかけてハノイへ1年弱留学する機会に恵まれました。当時のハノイはまだバイクも少なく、現在は華やかなショッピングモールも、ドイモイ前のバオカップ(配給など国家による丸抱え制度)時代を彷彿させるような、ガラスのケースの中に商品が陳列されている国営百貨店でした。その一方で、スーパーマーケット第一号店が開店するなど、経済発展が始まりつつあり、先進国から新たな市場として注目され始めているところでした。このように大きく変わろうとしているベトナム社会を、現地の人々の生業や暮らしに寄り添うような形で、総合的、内在的に理解したいと思うようになりました。

卒業後は商社のトーメン(現豊田通商)に入社し、貿易関連の仕事をしていましたが、大きく変わりつつあるベトナムをもう一度じっくり見てみたいという思いを捨て切れず、丸6年勤めた後、「見る前に跳べ」をモットーに一橋の大学院に入学しました。そして修士2年目の2003年8月から再びベトナムへ留学する機会に恵まれました。再び留学したハノイは、以前のくすんだ灰色の町から建設ラッシュに沸くカラフルな世界へとすっかり変わっており、昔の友人宅に行こうとしてもたどり着けないこともしばしばで、浦島太郎のような気分を味わいました。

大学院で私は、農産物の生産と流通から農村社会の変容を捉えていこうと思いました。ちょうどベトナムでは、農薬の多用投与による野菜の中毒事故が社会問題となっており、市場経済に適応するタイプの合作社が「安全野菜」の栽培と流通に乗り出し成長している時期でしたので、「安全野菜」を栽培しているハノイ近郊の農村の経済組織を調査して、修士論文にまとめました。

博士課程進学後は、市場経済化以降生産が伸びている、ジャガイモやタケノコなどの農林産物の生産と流通を、合作社や新たに台頭してきた農村の起業家層、そしてエスニシティに着目して研究を進めています。主要なフィールドはハノイ近郊、バクニン省、ホアビン省などですが、フィールド研究を出発点として、「市場経済とは何か」「経済発展と格差」「食と農のあり方」など、日本の私たちも抱える問題を提起していけたらと思っています。





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お便り-野村透子(V99)


(写真)下段中央が野村透子さん

現在、巷では蟹工船がヒットのようですね。そこまで深刻ではないですが、銀座で働く野村さんの輝かしい生活振りに比較し、乳飲み子を抱え、泣く子供をあやしながら先に寝ちゃって立場ない私との間に存在する可処分所得の格差は、個人的には、大問題です。まぁ、それはさておき、私の知る限りの野村さんを紹介しますね。

彼女は、99年4月に日産自動車に就職しました。同じく、カルロス・ゴーンも1999年に日産のCOOとして赴任しています。要するに、同期の仲って事になります。彼女の会社生活10年間は、まさに、V字回復を支え、V-アップに貢献した一人といえるでしょう。さらには、彼女の新しい上司は、オージーらしいです。公用語は英語?これは、愚問のようです。そんな彼女は、漫画で喩えるならば、働きマンの主人公(松方弘子)のようでもあります。私が語るより、働きマンのHPより推測していただけたら正しいと思います。では、どうぞ!
⇒⇒⇒  (文責.竹山正人)


〈 野村透子さんからのお便り 〉
みなさんこんにちは。 V99卒の野村透子(ノムラトウコ)です。入学式で出会って以来十数年の付き合いである竹山氏からの依頼ということで、今回は、私の仕事への想い&ベトナムとの今現在の関わり方、の2本立てをこの越南ネットで紹介させて頂く運びとなりました。散文ではありますが、最後までお付き合いくださると嬉しいです。

【私のお仕事---NISSANディーラーでの販売やサービスの質をよくしていこう!】
新卒で99年に日産自動車(株)入社してから早10年。 仕事の領域や担当地域の変遷はありましたが、私は一貫して海外市場で『お客さまにNISSANディーラーの雰囲気やサービスに満足してもらい、1台でも多くのクルマを買ってもらう』事を目的として、仕事をして来ました。

ひとつの車種を開発・生産して世に送り出すには、膨大な時間とリソースがかかります。更にそのクルマをお客さまに認知してもらうには、これまた多大なお金をかけて宣伝活動を行うわけです。そして、それだけの投資の成果として、お客さまがクルマに興味を持ちディーラーに来てくれても、そのお店の居心地が悪かったりセールスマンの応対や知識に問題があると、たちまちお客さまの購入意欲が低下してしまう。つまり、お店のチョットした雰囲気や応対のマズさが、開発・生産・宣伝投資を全く無駄にしてしまう―これがクルマのディーラーで起こりうる現実なのです。
このようなディーラーのハード・ソフト面の両改善を目指して、今まで主に東南アジア、メキシコやその他中南米市場を担当してきました。自分のダメさに凹むことも多々ありましたが、様々な国に出張をして販売の最前線で働く方々と関わりを持てた事は、実は外語での学生時代に培った経験が活きていたり、色々繋がって私の貴重な財産になっているんだなぁ、と改めてシミジミと振り返っている次第です。
そして、現在の私は、この4月に新設されたグローバルセールス&サービスクオリティ部にて「品質領域でリーダーに」という会社の新しい中期戦略(Nissan GT2012)の下、 ディーラーでの販売やサービスの質もトップレベルを目指すべく、日々関係部署からは怒られ、海外オフィスからは現場の現状も知らないくせにとバカにされ、オーストラリア人上司に自分の想いをいかに英語で伝えるかに苦労し・・・と、ここ10年で一番スリリングでアツい毎日を送っております。
それでも、会社の戦略と自分の仕事が直結していることはモチベーションに繫がりますね。中期計画終了の5年後には祝・目標達成の美酒に酔おう!という夢を描きながら、働きマンの毎日です。 最後に結びのメッセージですが、機会がありましたら、みなさん是非お近く(日本国内とは限りませんネ)のNISSANディーラーに行ってみてください。あれ?何だか居心地良くなったな、って少しでも感じて下されば、こんなに嬉しいことはありません。
【現在の私とベトナムの関わり---やっぱりベトナム!】
みなさん既にお気づきとは思いますが、現在の私の仕事は全くベトナムと関わりはありません。でも、ノムラトウコの人格形成に少なからず影響を与えたベトナムに何か恩返しをしたい・・・というとかっこよすぎるので、単純に「今の私に出来る範囲で楽しくベトナムと関わっていたいな」という気持ちから、趣味の1つとしてNGO団体「ベトナムの『子どもの家』を支える会」(通称JASS リンク先⇒⇒⇒)の日本での活動をお手伝いしています。
そこで、今日はこの場を借りて、国際協力に携わる日本中の団体が年に1度一同に会する『グローバルフェスタ2008』の宣伝をさせて頂きます。
***【宣伝告知】******************************
 グローバルフェスタ2008 (HPリンク⇒⇒⇒
 10/4(土)~10/5(日)
 日比谷公園にて 入場無料!
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JASSは毎年恒例の活動紹介・雑貨販売・そしてベトナム料理販売の3本企画で参加予定。普段は上述のようなユルイ精神でお手伝いをしている私も、このイベントばかりは、前日に会社を半休してベトナム料理の仕込みをしちゃう位気合い入ってます。 私は今年もベトナム料理ブースで奮闘しているはずですので、お暇な方はお気軽に日比谷公園まで遊びにいらしてみてください。
更に、最近燃えることがないので何かしたい!とウズウズしている方は、飛び入りお手伝いも大歓迎。ひたすらベトナム料理を作り続けていると、大学1年時の外語祭の想い出が蘇って来ること間違いなし!です。ということで、みなさん、当日会場でお待ちしております~


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お便り-編集部(VietnamFestival2008)


←怪しい写真ですが、it is 田中健太郎さん(V97)です

編集部の竹山です。秋ですね。故に、文化的イベントが山盛りの季節を迎えようとしています。今回は、V97卒の田中健太郎氏からの情報に基づき、代理で、下記イベントの紹介をさせて頂きます。なお、田中先輩は、誠に、シャイである故、今回は、私が代筆致しますが、次回、彼からの寄稿を確実のものとすることを、編集部の目標としています。ベト健ファンは、暫く、お待ち下さい。では、まずは、フェスティバルの告知です!

***【宣伝告知】******************************************
ベトナムフェスティバル2008
共催者=めちゃくちゃ多数企業が参画、あなたの会社も
主催日=9月19日(金-前夜祭)、20日(土)&21日(日)
場所  =代々木公園
関連HP
⇒⇒⇒
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このイベント、凄いんです。特に、今年は、日越国交樹立35周年ってことも加わり、とにかく、規模がでかい。3日間で30万人の来場者を想定しているらしいです。ベトナムポップミュージシャンもガンガン登場しますし、日本人アーティストも杉良太郎、由紀さおりを筆頭に、サンプラザ中野くんも登場の予定。し、しかも、注目は、トルン(ベトナム竹琴)の演奏者であり、我がベト科OGの小栗久美子さんも9月20日に登場予定とのこと。どう、すごくないですか?

更に、どんどん、いくよ!HP上では、只今、建設中でありながらも、ベトナム動画サイトが、今後、リリースされます。その動画サイトの監督兼脚本は、“我らのOi la ベト健”こと、田中健太郎(V97)が担当するとの事。まともなストーリーか心配は尽きないが、Check it!!!な企画であること間違いなし。なおかつ、V07卒の高村友梨女史も、ベト健と同じ勤務先という事で、イベント期間中は、代々木公園内を、飲食ブースの出店等で走り回っているそうです。


とにかく、GO!な企画なんですが、皆様に於かれましては、「そぉーは言っても、特典は?」って期待もありますよね。ウォーリーを探せ!のパクリですが、当日、代々木公園にて、ベト健を見つけ、なおかつ、当HP添付の顔写真(ベト健顔面)を拡大プリントとして持参・提示した方に限り、特典用意致しました。ベト健が、ハグしてくれるそうです!Pardon? では、Enjoy Autum & Vietnam Festival 2008!!!

最後に、このVietnamFestival2008に加え、いくつかの外大&越南イベント情報がありますので、参考までに、下記にすべて整理しますね。

 ①ベトナムフェスティバル2008
  共催者=めちゃくちゃ多数企業、あなたの会社も
  主催日=9月19日(金-前夜祭)、20日(土)&21日(日)
  場所  =代々木公園
  関連HP⇒⇒⇒

 ②グローバルフェスタ2008
  共催者=外務省、JICA、JBIC他多数
  主催日=10月4日(土)&5日(日)
  場所  =日比谷公園
  関連HP⇒⇒⇒
  野村透子(v99)もボランティア参加予定

 ③第1回ホームカミングデー
  主催者=東京外国語大学アラムナイ事業室
  主催日=10月5日(日)13:00~
  場所  =府中キャンパス
  関連HP⇒⇒⇒



2008年8月1日金曜日

お便り-諸井未来(V06卒)


←中段中央が諸井さん

あなたは、生の桜海老を食べた事がありますか? 高級料亭で口にすることができますが、静岡市に住んでいる場合、ザルで購入する事が出来ます。あなたは、生のしらすを食べた事がありますか?首都圏では、高級居酒屋のお通しとして一口だけ満喫する事ができますが、浜松市に住んでいる場合、バケツで購入する事ができます。何が言いたいかと申しますと、静岡県が大好き!って事です。JR東海のテレビCMで、「あっ、京都に行こう!」を見て、旅行される方は、静岡県にて途中下車下さい。車で名古屋まで運転される方は、富士川SAで富士山を見ながら桜海老を食べ、牧の原SAでお茶を飲み、浜名湖SAでうなぎを食べた後、デザートでみかんを嗜みますと、名古屋に到着した頃には、+3kgを保証します。さて、今回、お便りを頂いたのは、その静岡にてDomestic&Internationalに活躍されています諸井さんです。笑顔がキュートなV科東海支部のPRガールです。(文責.竹山正人)

(桜海老写真⇒⇒⇒
(生しらす写真⇒⇒⇒


<諸井未来さんからのお便り>
みなさん、こんにちは。H17卒の諸井未来(もろい みく)と申します。現在は、静岡市役所の国際課で勤務をしています。社会人3年目です。静岡市在住ということで、当然、V科の東海支部メンバーでして、5月の「五島先生に酔う会」にも参加しました! 大学を卒業しても、こういう風につながれるとは思っていなかったので、やっぱ、ベト科っていいなぁと感じている今日この頃です。今回は、越南ネットの場を借りて、静岡市が取り組んでいる国際協力事業の紹介をさせて頂きます。また、最後に、密かに抱く私の野望もPRしちゃいます!


【社会人生活】
ご存知の方もいらっしゃるかとは思いますが、私の住んでいる静岡市は、ベトナムのフエ市と友好都市の提携をしています。私の所属する国際課では、平成18年度より、ベトナムのフエ市から、年に2回ごみ処理と下水道の2分野で研修員を受け入れています。地域提案型の草の根国際協力事業ということで、研修にかかる費用のすべてをJICAさんに負担していただき、研修を実施しています。

1か月という短い期間ですが、どの研修員も、日本製のカメラを片手に非常に熱心に市内の施設を視察し、研修を受けています。私のつたないベトナム語では、日常会話を交わすので精一杯なので、(しかもフエの方言は本当に聞き取りづらい…)静岡市内の大学に留学しているベトナム人学生に通訳をお願いし、何とか過去5回の研修を実施することができました。この研修を通して、ベトナムに静岡のもつ技術や知識を持って帰ってもらい、少しでもフエ市の発展に役立てればなぁ、と思っています。また、市の職員も、こういう研修がなければベトナムと触れる機会もなかなかないので、ことばの壁があって大変ではあるけれど、とても楽しいと言ってくれています。

私は、生まれは静岡市でありながら、親の転勤の関係で、静岡市には幼稚園の頃までしか住んでおらず、市内に知り合いがいない状況で社会人生活を送っていました。仕事を始めた当初は、人間関係など、本当に不安だったのですが、ベトナム語を大学で勉強していたことが幸いして、この事業を通してたくさんの人と触れ合うことができ、「仲間」が増え、仕事のしやすい環境になりました。

残念ながら、今年度でこの事業は終わってしまい、私自身、来年度は異動の可能性大ですが、何らかの形で、これからもベトナムと関わっていきたいなぁ、と思っています。


【今後の野望】
静岡市の職員としては、今後、広報・企画・観光など、市をもっと外部にPRしていくシティプロモーション関係の仕事に携われたらいいなぁ、と思っています。富士山が見えて、お茶もみかんも水も魚もおいしくて…。小さい頃からこういった環境が当たり前だと思って暮らしてきたので、いかに恵まれた環境であるか、大学時代に静岡を離れるまでは気付きませんでした。適度に田舎だけど適度に都会な静岡の魅力を、たくさんの人に知ってもらい、足を運んでいただけたらいいなぁ、と思っています。


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お便り-編集部(内山夕輝V98の大学講演)


←写真:多文化共生への挑戦を熱く語る内山講師


初夏漂う6月24日(火)に、V98卒-内山夕輝さんによる講演がございました。越南ネット編集部として、本来ならば、その講演に取材メモ持参で乗り込むべきでしたが、副業でありますサラリーマン仕事の都合で、その場に立ち会う事ができませんでした。しかし、越南ネット編集部として最善を尽くすべく、数ある筋より確かな情報が得られた為、本日、皆様に講演の模様をお伝えいたします。

講演会場は、静岡県立大学の国際関係学部棟3108講義室にて開催されました。V77卒-五島文雄先生(静岡県立大学国際関係学部教授)のクラスの中で、「多文化共生への挑戦~浜松市の経験から~」と題して、90分にわたる御講演でした。講演対象者は、静岡県立大の現役生徒35名。皆、目をギョロギョロ輝かし、内山さんの講演を一言も漏らさぬ勢いで講義メモをとる盛況振りでした。現役生にとって、今、社会では何が起きていて、それに対して、行政が、どのように取り組んでいるのか?を生の声として聞く事ができ、今まで以上に、国際化の進んだ社会(多文化共生社会)の課題が、身近なものになった講演内容でした。また、内山夕輝さんにとっても、HICE(浜松国際交流協会)が取り組む活動の意義、活動内容の普及を目的に、双方の思いが合致した、近年、稀にみるエクセレントな講演内容でした。この講演の企画・実行に惜しみないパワーを投入されました五島文雄先生にとっても、講演会場の後ろの席で、ベト科後輩の勇士(がんばる姿)に、目を赤くし、感激の涙が止まなかった。との目撃情報もあります。

講演終了後のアンケートの中で、多文化共生のためにあなたは何ができますか?という設問に対して多くの学生さんから、「関心を持つこと。そして理解すること。」という回答がありました。残念ながら無関心が蔓延している昨今、関心を持ち理解するというのは当たり前のようでなかなか出来ていないのが現状です。この講演が第一歩を踏み出すきっかけになれたなら素晴らしい事でしょう。

最後に、この講演の模様を掲載するに当たり、内山夕輝さんの東京外大での現役時代を知っているが故に、私としても、感動の涙が止まりません。また、ベト科東海支部同窓会の1回目企画として、五島先輩を頼って静岡県立大学を訪問したことを契機に、このような講演会にまで、企画をグレードアップして頂いた五島先輩の後輩想いに、改めて、東京外大ベト科ネットワークの偉大さを再認識します。やっぱり、ベト科ネットワークって凄くない?(文責.竹山正人)



お便り-竹山正人(V98)@浜松市



(写真:右端から、中神真澄(V00)、中尾秀一先生、竹山(V98)、内山夕輝(V98))

7月5日(土)に、静岡県浜松市にて、ベト科OBOGが3名集い、アカデミックな一日を過ごしました。浜松学院大学の現代コミュニケーション学科(日本語教員養成プログラム)が主催する公開授業“難民と歩む社会を目指して”に参加致しました。講義の内容は、(財)アジア福祉教育財団難民事業本部関西支部の中尾秀一氏による、インドシナ難民の受け入れ経験を生かした多文化共生の社会作りについてでした。内山夕輝さん(V98)、中神(旧姓近藤)真澄さん(V00)、竹山の3名にて、公開授業に参加したのですが、講義前にランチを食べながら、そして、講義後にカフェしながら、会話に出てくる文句は次のような事でした。「それにしても、卒業して10年以上も経過して、ベトナムとは疎遠な人生なのにねぇ~。っで、学生時代に、決して、優秀じゃなかった僕達がねぇ~。勉強って楽しいね・・・」

【講義の内容(竹山手記)】
2005年12末時点での数値ですが、日本で定住許可されているインドシナ難民の数は、11,319名だそうです。日本を含めた全世界で、1975年4月のサイゴン陥落以降、増え続けたインドシナ難民の総数が、200万人にも及ぶそうです。GDP世界2位の大国日本の受入割合は0.5%強です。法整備も遅れ気味ですが、常に後手に対応する日本政府の姿が想像できます。また、国連や先進大国の非難を浴びない程度の必要最低限の対応をしてきた事が容易に想像できます。そんな日本が今、海外からの旅行者を増やそうと“ようこそジャパンPJ”を掲げ、同時に、絶対的労働力不足を補う為に、移民1,000万人の受入に向けた検討を始めています。日本は、どこまで、ドラスティックに対応できるのか?

浜松市には、ベトナム人が966名定住しており、その内、560名ほどが難民認定されています。難民救済センターを持つ首都圏に比較すると、その数は少ないですが、地方としては異常に多いのが浜松の現状です。その背景には、クリスチャン系ホスピタルの善意による難民受入に始まり、浜松市側の住宅提供などの行政対応、また、製造業城下町における豊富な労働需要環境が挙げられます。

公開講座では、難民受入の世界情勢、日本政府の受入対応の解説に加え、神戸市に住むベトナム難民青年の苦労をVTRにて学習しました。就職時の差別的待遇や、小学校でのイジメ問題が、彼達の自立に向けた頑張りに水を刺す悲しい現実でした。

人間は、あまりにも悲しい事実を知ってしまうと、ブルーになります。っで、自分に何が出来るかって考えてみても、個々の取組みは非常に小さく、社会を変えられないのでは?っと虚しくなってしまいます。さらに、その個々の集合体が社会を構成している訳で、虚しくなるばかり。日本政府の対応が悪いのでは?って言うは簡単だけど、それって、問題の本質ではないような・・・。さて、僕達個人が、何ができるか?そんな事を考えさせられる公開講義でした。(文責.竹山正人)



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お便り-竹山正人(V98)@新橋


この写真は、7月3日(木)の新橋でのワンショットです。自作自演ですが、たまたま、東京出張と自分の誕生日が近かったので、かなり強引な「竹山君の誕生日前夜祭」を開催しました。
写真を見る限り、中央の野村透子さん(V99)が主人公にも見えますが、それは誤り(不正解)です。毎度のこと、彼女には最高のポジションを奪われますが、今回は、幹事をしてくれたので、その優しい心に感謝です。後ろの方で、怪しい仕草(ファンキーポーズ)をしているのは、ベト健こと、田中健太郎さん(V97)です。7年ぶりの再会です。ど真ん中のBigスマイルは、ヨコヅナこと市川絵里(現役4回生)さんです。次の日が、リスニングテストとは想像もできないほど、慢心の笑みです。そのはず、この時までに、私は、彼女に3回コールドの完敗でしたから。中山純子さん(V04)も、Good Smile! 半年前まで、お互い、顔面も名前も知らなかったですが、こんな感じで、飲めるなんてHappyよね。新井(旧姓寺内)晶子(V00)さんは、新婚さんだけど、旦那を差し置いて、飲み会への参加、頭が下がります。あと、遠藤君(V99)と渡利君(V99)!!! 僕とベト健含めて、結局、男性みんなに言えるけど、「俺達、メガネを外して、コンタクトにしたら、もっと、Coolだと思うんだけど・・・」 こんな感じで、私は、34歳の誕生日を最高に迎える事ができました。私的には嬉しくてたまりませんが、まぁ、楽しい雰囲気は、言葉で語るよりも、写真が物語っていると思うので、だらだら書くのを止めますね。

でもね、この写真が凄いところは、ベト科って事だけで、年齢の差が15歳(ベト健-市川絵里)あっても、一瞬にして、打ち溶け合えたのが凄いのです。そこで、編集長(自称)から、皆さんに、お願いです!ベト科遺伝子持つ者が、3人以上で集った場合、慢心の笑みを越南ネットにご投稿下さい!こんなスマイルが、ハノイで、ホーチミンで、東京で、府中で、地方都市で、泉のように湧き出して、そんなのをみんなで共有できたら、Everyone feels happyになれそうだね。。。(文責.竹山正人)






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2008年7月1日火曜日

お便り-山口隆之(V77卒)


東京医療センター外科病棟 にて
協賛:当センターきっての売れっ子看護婦 (匿名希望)

山口先輩から、お便りを頂けたのは嬉しい限りです。3月8日(土)は、ベト科卒業生が“いざ、府中!”を目指した訳ですが、遠くから駆け付けてくれたOB、仕事を休んで這って来たOG、バイトシフトを調整して合流した現役生と、参加者それぞれのドラマがあったはずです。山口先輩は、闘病中の身でありながら、医師から外出許可を得て、駆け付けてくれた一人です。少し哲学的になりますが、個々の人生は、当然、それぞれ異なるのですが、共通して言える事は、「みんな、Happyになりたい!」と願っているはず。Happyって何かは、誰も決めてくれないから、自分でHappyになれるように頑張るしかないし、馬鹿みたいに単純に頑張るのも疲れるから、自分のHappinessとは何か?と定義する必要がある。山口先輩のお便りを読んで、「竹山なんか、もっと、My happinessに対して頑張らんといかん!」って思ったし、そんな動機を与えてくれた先輩に感謝です。では、私の前置きはサテ置き、まず、山口先輩製作のホームページ⇒⇒⇒を見てから、お便りの熟読へとステップして下さい。一風変わったHPに、度肝抜かれますよ。(文責.竹山正人)


<山口隆之さんからのお便り>
ホームページ 「絵で翻訳するベトナム」作成までの道

3年前に癌で大腸を半分切り取られたとき、人間五十年、そろそろ人生の卒論の提出期限かと, 各地で画いたスケッチと目にしてきたベトナム関係の古書をまとめたホームページ<絵で翻訳するベトナム  ⇒⇒⇒> を作成した77年卒の山口です。いまも抗癌剤治療のため入退院を繰り返しており、今年の3月8日の宇根先生の退官パーティーには、病棟の外出許可を得てもらって参加しました。当日集まった卒業生、在校生は総勢150名。西ヶ原時代は先輩諸氏全部集めても50人とはいかなかったでしょう、今回の人数、華やかさには圧倒されました、幹事の皆様ほんとうに御苦労さまでした。この便りでは、最初から作ることを目指した訳でなかったこのホームページが、出来てしまったまでの話を御紹介します。

70年代、当時の辞書と言えば、ベトナム戦争の米兵相手の<越-英>と、中国の <越-漢>辞書くらいでした、竹内先生が辞書を完成されたのが卒業後何年かしてからでした。辞書が無かったことは自分自身への格好のさぼりの理由でした。音楽好きの私は、授業には目もくれず、ひたすらオーケストラでチェロやコントラバスを弾いてました。今でも<チェロ弾き豪酒>名でメールを送ると、当時を思い出してくれる人々がいます。音楽三昧の当時、絵はまったく画いてませんでした。卒業後、ベトナム出張時、楽器を持っていくより軽いスケッチブックがきっかけでした。

とは言うものの、卒業時の1977年は、その2年前にサイゴンが解放されたばかりでハノイの街には公安の目が光り、人々は夕方になると通りに面した灯を消し、夜はひっそりと真っ暗。ぼくら外国人、日本の商社仲間はホータイに突き出たタンロイホテルに詰め込まされ四方八方から、さらには真下の湖面からも監視されていました。街中でカメラのシャッターをきるのもいちいち付添いの公団の通訳に確認し公安の目を気にしていた時代で、絵を描くなんてなんかとんでもない時代でした。

そのうち、ドイモイの少し前だったでしょうか....街中で、外国人相手と言わないまでも、トイレも一応あり片言のベトナム語で通じる飲食店が出来始めました。ホテルの部屋で日本人町の角屋七朗兵衛や茶屋七郎次郎の話を肴に呑のんでいた酒瓶をかかえ、おそるおそる街中に出始めました。コムビンザンも少しずつきれいになり一人でもビールを呑みに行けるようになってきました。またそのころ、仕事上も面倒な手続きだった“移動許可証”がなくなり、地下資源など重要なサンプルを持ち帰るときに必要な“見本品輸出許可証”が消えて行きました。鉱産物なども担当している私にとっては地方出張の仕事などずいぶん楽になりました。現在とちがってメールなどなくリアルタイムで日本から縛られてはいないので、一度地方に出れば、土日以外ウィークデーでも自由な時間ができるようになりました。出張した地方の先々で歓迎の酒宴に招かれ、ひたすら呑んでは返礼に、帰り道などでスケッチするのが楽しみになりました。

例えばバクダン河のファズンのフェリー乗り場。ハロン湾に伸びる奇岩群の間に落ちてゆく夕日は、キャンファの町で泥まみれでの顔で出迎えてくれた炭鉱の幹部たちと呑んだあと、ハノイまで帰る途中で絶好のスケッチポイントでした。しかし、いつのまにか台湾のセメント会社が絶景の地点にプラントとを建て楽しみをぶちこわしてくれました。

変わってしまったと言えばサイゴンのレックスホテルから見えるマリアカテドラル。味のある周辺の木が消えてビル群が立ちならびました。さらにはレックスの宿泊料。昔、フランス語とベトナム語だけのレストランのメニューを日本語に訳していたころ一泊US50前後だったのが今はUS200以上。1984年のリニューアル以降20年近く定宿としてましたが、敷居が高くなりすぎました。

一方、古書について言えば、たまたま勤めていたのが三菱系の共産圏専門会社が丸の内にあり、日比谷公園の都立図書館のすぐ近く。 帰国中は、周りの目を盗んでは中央区の月島図書館などに足を運び <朱印船> <安南> <仏印>と検索して出てくる本を読み漁ってました。商社マンだったので、朱印船時代の尾張、松坂商人がホイアンと行き来し富を築いた話は興味深く、大航海時代の資料を求めて伊勢神宮の徴古館にも足を運びました。

振り返って見ると、絵も古書もひたすら勤務時間から自分の趣味の時間を盗みだしてきた賜物のようです。30年くらい我慢して一つの世界にいるとボーっとしていても結構そこそこのものがたまるのかな? と言うのがホームページが出来た後の実感です。

余談ですが、今の癌治療は大したもので、かなり進んだ癌ですが、外観上は写真の通りちゃんとします。ただ体力が落ちているので会社勤務は少々つらく、昨年9月から休職扱いにして頂き病室に送受信が出来るE-mobile付ノートパソコンと、サイゴンで買い込んだ辞書を持ち込み、昔覚えたビジネス用語を思い出しながらで知人や翻訳会社からの原稿を翻訳してます。

もと勤務していた三菱系商社が日本の基幹産業、業界とベトナムとの窓口になっていたのでいろいろな業界、産業の言葉を覚えるチャンスはあったのがここにきて少し幸いしているようです。おかげで、気を紛らしながらの日々を過ごせている今日このごろです。皆様のご健勝とご活躍を祈りつつ。朱印船、日本人町、そして大航海時代の本を肴に呑みすぎた大後悔の人生の卒論でした。 





お便り-小嶌周(V02卒)


小嶌君と私は、因縁の関係にて均衡しています。私が、西ヶ原4年生だった時に、彼は、新入学生として西ヶ原に登場しました。その頃は、私も先輩顔して、「かわいい後輩だなぁ」くらいの認識しか持っていませんでした。詰めが甘かったです。あの時、芽を摘んでおけば・・・と悔やまれます。小嶌君が、ベト科を卒業し、私と同じヤマハ発動機㈱に入社してきたのは、2002年4月のことでした。その頃の私は、V科先輩として、ヤマハ本社にて、ベトナム営業を担当していました。見栄張りな私は、世間的には、バリバリ猛烈デキル社員を演じていましたが、社内では、東外大越語学科卒の履歴を隠しきれず、ボロボロ社員でした。出張する度に、駐在員の期待をザクザクと裏切り続けた訳です。「おい、竹山君!先月から一緒に住むようになった女房の方が、ベトナム語うめぇ~ぞぉ!」その時、既に、反論する余地なしです。入社4年目にして、デキル後輩(Mr.小嶌)の入社を契機に、私は、海外営業の職を捨て、調達課への異動を懇願し、逃げ切る!っといった行動をとった訳です。小嶌君が入社式を迎えた日、私は、“飛ぶ鳥、跡を濁さず”の格言の如く、調達統括部へと異動しました。それだけ、私は、彼の存在に脅え、留学経験の有るベト科後輩の内定ゲット情報にQuick Responseをとった訳です。今、振り返っても、自分の即決判断に後悔はなく、彼にベトナム営業を譲ったのは成功だったと思っています。それ程、小嶌君は、私の人生を左右させた存在なのです。小嶌君のWeapon(脅威、武器)に関して、彼は、お便りの中でも一切語っていません。「脳ある鷹は、爪を隠す」ということか?(文責-竹山正人)


<小嶌周さんからのお便り>
越南ネットをご覧の皆様、こんにちは(はじめまして)。2002年V科卒の小嶌周(コジマアマネ)と申します。現在、静岡県磐田市在住、同市に本社を持つ、ヤマハ発動機に勤務しております。私の大学時代から現在に至るまで、以下駄文となりますが、お付き合いをいただければ幸いです。

昔から、「大きな夢に向かって努力」とは縁遠い性格ですので、大学受験時に、ベトナム語学科を志望した動機が、特別あったわけではありません。ベトナム語選択は“"縁”でしょうか・・・。ただ振り返って思えば、漠然と抱いていた外国への憧れ、とはいえ、当時の私の頭の中の世界地図といえば、東は日本、西はインドまでが、せいぜい想像力の及ぶ範囲でしたので、経済成長著しいASEAN諸国ののびやかな空気に憧れを抱いていたような気がします。これが、ベトナム語を選択した理由です。

このような感じで入学したものですから、学生時代は、西ヶ原の学生たちの国際的な雰囲気(帰国子女、留学生etc)にカルチャーショックを受け続けた4年間でした。学業に関しては、ベトナムに対する物珍しさもあり、楽しい学生生活を送ることができました。先日、宇根先生の退官パーティに出席させていただき、貴重な先生の経験を伺い、「できの悪い学生ほどかわいい」「卒業して数年後、教え子たちは誰も見違えるほど、立派に成長している」という一言一言に、お世話になった先生方への感謝の気持ちを感じました。

学生時代に、1年間のハノイ留学をしました。2001年の事です。正直、初めての海外生活でしたし、その経験を通して、「まぁ、海外でも、何とかなるぁ~」という自信を持つことが出来た点が、留学で得た財産です。いろいろな国の友達、また社会人との出会いは、帰国後に控えていた就職活動に大きな影響がありましたし、自分の個性をアピールする上でも、非常に助かりました。最終的に、就職先として、竹山大先輩が勤務するヤマハ発動機㈱にしました。その当時は、竹山さんのことは、知りませんでしたが・・・。ヤマハ発動機に決めた理由は、ご存知のとおり、ベトナム=バイクと言える程、輸送手段としてバイクを利用するお国柄です。ベトナム→バイク→製造業→モノ作りの自然の流れで、日本経済を支えてきた、モノ作り大国の中枢に身を置きたかったためです。

入社後の簡単な経歴ですが、 バイク同様、走りっぱなしです!
2002年4月 入社
2002年6月 ヤマハ発動機 営業部ベトナム担当
2004年7月 ヤマハモーターベトナム赴任(2年間)
2006年11月 現職(ヤマハ発動機 営業部インドネシア担当)
入社以来、東南アジア畑一筋に、外大V科として王道を歩んでいると思っています。

現在の仕事内容は、愛着あるベトナムからは外れ、インドネシアを担当しています。本社海外営業の仕事内容は多岐にわたります。インドネシアには製造・販売拠点がありますが、現地市場に向けた商品の企画~開発~製造~販売~アフターサービスまで、本社としてできることはすべて目を向けなければなりませんし、すべてにタッチしています。インドネシアは世界最大のバイク市場(2008年6月現在)であり、幸い、当地において弊社のブランドイメージは非常に高く、商品、サービス、プロモーションともに多くの方に愛されております。現在、弊社は最大手のホンダさんに次ぐポジションにおり、今後ますますの市場シェア拡大・最大収益の確保を目指しております。入社以来、営業の仕事に携わっていますが、ヤマハ仕事の面白い処は、経済発展の著しいアジアマーケットに於いて、自分のアクション(施策)が、販売量の伸びとなって反映されることが、最もダイナミックです。例えば、私がベトナム赴任開始した2004年は、10,000台/月の販売規模が、赴任最後の2006年には、40,000台/月と伸長しています。そして、今も、伸長を続けています。すべてが、自分のアクションでないのは確かですが、そういった市場(環境)にて、営業マンを遂行できることに仕事の醍醐味を感じます。

今後の夢ですが、仕事とプライベートをともに楽しみ、自分らしく歩んでいきたいと思っています。最後になりますが、先月号で活動が紹介されました、ベト科東海支部に私も参加させていただいています。今後ますます、盛り上がりをみせる(?)ベト科東海支部をよろしくお願いします。Don't miss it! 


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お便り-市川絵里(現役4回生3年)


←中央赤シャツピースっ娘が市川絵里さん
←最上段左は、今井先生!

今日、この時に、東京外大ベトナム語学科を目指している高校生はどのくらいいるのかな?まだまだ、先の話になるけど、秋になり、年を越えてセンター試験が近づくと、受験生も進学先を真剣に考えるだろうし、その御両親も息子、娘の進学先の情報を収集する時がくると思うのです。彼らは、きっと、Google検索で、「東京外大 ベトナム」って入力するだろうし、この越南ネットを見つけると思うのです。越南ネットは、現役生&卒業生のネットワーク構築に主眼を置いてきましたが、未来の後輩達へのメッセージにも成りえるツールであると確信しました。そんな越南ネットに今回、登場するのは、なっなっなんと、現役生なんです。元気◎の市川絵里さん。通称、イッチー。裏の世界では、ヨコヅナと崇められ、今、OBOGが最も恐れる核弾頭娘なんです。彼女からのお便りの末尾に、近々、ベトナムに行くよ!との宣言がなされています。分かるよね?ハノイのみんな!今から酒盛りの準備をしといたほうがいいよ!(文責-竹山正人)


<市川絵里さんからのお便り>
ベトナム語科四回生三年の市川絵理です。越南ネット在校生初ということで緊張していますが、少し私の話をさせていただこうと思います。

どうしてベトナム語を選んだのか?先輩方をはじめ、友人や初対面の人に必ず聞かれる質問です。正直言って、いつも返答に困っています。私は、ベトナムに興味があってベトナム語を始めたわけではありませんでした。外語大を選んだのも、ベトナム語を選んだのも、先生に薦められて“なんとなく”というのが本音です。“なんとなく”で選んだベトナム語でしたし、実際大学一・二年はあまり真面目には勉強していませんでした。旅行でベトナムに行っても結局英語で会話という、情けない状況でした。さすがにその後すぐは反省して、ベトナム語真面目に勉強するぞ!と思うのですが、結局その場だけ。そんな私でしたが、せっかく外語大に入ったし、もともと留学や外国での生活に漠然とした憧れがあったので、ベトナムへの留学を二年生の夏ごろから真剣に考え始めました。留学したらしゃべれるようになるのではないかという安易な考えもあり、結局去年度一年間ハノイに留学しました。

ベトナム留学中は週5回、ハノイ国家大学のベトナム語科で、個人レッスンを午前中に2時間から3時間受けていました。週3回は会話と文法を、週2回は自分の興味のある新聞記事や雑誌の記事を解説してもらっていました。つまり学校は午前のみ。留学経験のある先輩方に聞いてはいましたが、驚くほどに暇でした。あまりにも暇だったので、ベトナム人にならって、ムダにホアンキエム湖のまわりをぐるぐる回っていました。友達もなかなかできず、頼れる人も近くにいなかったので、不安になり寂しくてホームシックにかかってしまいました。そんな私を救ってくれたのは、ハノイで働いている外語大の先輩方でした。日本食をご馳走していただいたり、ハノイに暮す日本人の方々を紹介していただいたりしました。また、外語会を開いて私達と同年代の大阪外語や神田外語の留学生とつながりを持つ場をつくってくれました。そういった出会いの機会をつくってもらったおかげで、だんだんとハノイでの生活にも慣れていきました。

慣れてしまった後は、ハノイでの生活を満喫しました。ベトナム人の友達にホーチミン廟・旧市街、といったハノイの名所を案内してもらったり、ベトナム家庭料理を教えてもらったり、日本人の友達と食べ歩きをしたり、カフェでおしゃべりしたり、ビアホイにいったり、ハノイウォッカやサソリ酒をのんだり、犬肉を食べたり・・・・。もう食べて飲んでばかりをくりかえしていました!その結果留学中に5キロも太ってしまいました。

留学をして、感じたこと。それは、言語の大切さです。その国の言葉で、その国の人と付き合うことは、本当に難しくおもしろいものでした。言語を習得して初めて、そこに住む人の文化や考え方がわかるのだと思いました。留学をしたことで大切な人たちと出会い、様々な経験をして、外見だけでなく中身も一回り大きく成長できました。留学を考えている後輩は、ぜひ留学して欲しいです。でも食べ過ぎと飲み過ぎには注意してくださいね。

ベトナム語を選んでよかった。きっかけは“なんとなく”でしたが、今は本当にそう思っています。ときどき嫌なこともありましたが、私はベトナムが大好きです。将来はベトナムと関われる仕事に就ければと考えています。そしてベトナム語科も大好きです!楽しい同期と優しい先輩方、かわいい後輩と素敵な教授に囲まれて、充実した毎日をすごしています。

日本も楽しいのですが、やはりベトナムが恋しくてしょうがありません。なので、9月の始めにはハノイに行こうと思っています。ハノイにいらっしゃる先輩方、そのときはぜひお会いしましょう。


そして、ここで宣伝をひとつさせてください。11月の外語祭で、3・4・5回生の有志で料理店を出します。東京近郊に住んでいる先輩方、ぜひ遊びに来てください!1年生の料理店、2年生の語劇のほうもよろしくお願いします。日にちは11月20日(木)~24日(月・祝)です。

府中市の多磨駅前というへんぴなところに大学が移転した後も、私達学生は教室で飲み会をしたり、先輩・後輩と縦飲みをしたりと楽しく過ごしています。先輩方、そんな後輩達をこれからも見守ってくださいね。

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2008年6月1日日曜日

お便り-新妻東一(V88卒)

私は、新妻さんが卒業されてから、ジャスト10年後に西ヶ原を超低速助走の末、離陸(卒業)したことになります。年齢がいくつ離れているとかの話ではなく、私が、あと10年早く、西ヶ原に出没できていたら、新妻先輩と仲良く過ごしたのでは・・・。っと勝手にイメージを膨らましています。新妻さんからのお便りを読んで、80年代の西ヶ原も、ある意味、私好みの環境だったかっと想像します。越南ネット連載以降、私より先輩の方を特集するのは、初めての企画であります。80年代を知らない我々にとって、非常に、面白い内容となっています。先輩、寄稿ありがとうございます。新妻さんは、ハノイ駐在の傍ら、日本ベトナム友好協会(リンク先⇒⇒⇒)の全国理事も務めてらっしゃいます。残念ながら、まだ、お会いしたこともないのですが、きっと、写真のように豪快で、愉快な方なんでしょう。なんか、お会いしたら、こっちも笑顔になっちゃいそうですよね。(文責.竹山)

<新妻東一さんからのお便り>
ベトナム語科出身のみなさん、こんにちは。現在、私は三進交易という貿易&旅行会社の駐在所長としてハノイに赴任し、暮らしています。当地にきて今年4月で丸4年になりました。

東外大に入学したのは1981年。当時は、ベトナムは中越国境紛争、カンボジア侵攻と戦争が引き続き、経済的にも非常に苦しい時代で、「ボートピープル」が命からがら逃げ出していた時代でした。ですから、ベトナム語を学ぼうとする人は限りなく少なく、専攻語の選択でも、結局ベトナム語を選んだのは私を含めて3人だけでした。先生は竹内先生と宇根先生に加え、ベトナム人の先生が2名いらっしゃいましたから、学生3人に先生4人という、なんともぜいたくな時代でした。

授業も教室ではなく、先生の研究室で行うことも多く、授業も半ばぐらいになると、諸先輩方や研究者の方が研究室にやってきて、授業が終わると、竹内ヨノスケ先生が、「おい、新妻、これでビール買ってこい」とお金を渡され、私が居酒屋に走ってビールとつまみを買い込み、研究室で宴会をしょっちゅうやっていた覚えがあります。少数の教室ですので、語学を学ぶには最適だったはずですが、私は外語祭の実行委員会やら自治会活動を理由に授業をさぼりにさぼり、全く不真面目な学生でした。

2年の留年を経てやっとこさ卒業したのですが、知人の紹介で今の貿易会社に入社しました。当時はベトナムもまだドイモイ政策をスタートしたばかりで、ベトナムと取引のある企業は限られていましたので、渡りに船とばかりに就職を決めました。僕などよりベトナム語ができたクラスメートや先輩が、ベトナム語とは全く関係のない就職先にいったのに、落第劣等生の私がベトナム語に関係する職種についたのも皮肉なものです。

以来、22年間まがりなりにもベトナムとの貿易業で飯を食べさせてもらったうえに、今はベトナム人の妻を娶り、一人娘ももうけていますので、公私ともにベトナムとは一生離れられなくなってしまいました。

今回の赴任にあたって、日本にいる友人・知人と関係が切れてしまうのもつまらないので、「ベトナム便り」というウェブサイト⇒⇒⇒ を立ち上げました。私の近況報告として、友人たちにみてもらうことで、関係がきれずにつづき、たいへん重宝しております。また、このウェブサイトをきっかけにお友達になった方もあり、インターネット時代のよさを実感しています。

今後とも長くハノイに滞在することになると思いますので、ハノイにお越しの際にはぜひお声をかけてください。今後ともよろしくお願いします。



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お便り-北嶋誠士(V00卒)


いやぁ~、参りましたよね。今回は、JETRO(日本貿易振興機構)に勤務する2名のベト科卒業生を特集する訳ですが、御両名ともに、ホットなベトナムに駐在しています。冒頭の何が参ったかって、学生時代から経済学に興味を頂き、ベトナム語の勉強の傍ら、コツコツと夢を目指して、ミクロ&マクロ経済を勉強しているあたりが尊敬に値します。私は、当時、何に興味を持っていたかなぁ~?敢えて言うなら、人生学かなぁ~。。。私を初め、卒業生の中には、学生時代を振り返りたくても、振り返るほどの実りがない人も多いかと思います。今回は、刺激ビンビン提供者の2名を紹介いたします。まずは、今春よりホーチミン駐在を始めた北嶋誠士さん。君の一挙手一投足が、日越貿易均衡を左右し、更には、ベトナム社会主事共和国のGDPを押し上げ、結果、日本のGNPも押し上げることとなります。ガンガン、押し上げちゃって下さい!(文責.竹山)

<北嶋誠士さんからのお便り>
皆さん、こんにちは。2000年卒の北嶋と申します。私は今、日本貿易振興機構(ジェトロ)ホーチミン事務所に勤務しています。ジェトロと言うのは日本企業の海外ビジネスを支援する国の機関です。ご存じのとおり、ベトナムは、2007年1月にWTO加盟を果たし、高度経済成長を続けていることなどから、日本企業から大きな注目を集めています。そのため、当ホーチミン事務所は世界中にあるジェトロ事務所の中で、最も日本からの来客数が多いホットな場所となっています。こうした日本から来る企業にビジネス情報を提供したり、或いは、ベトナムに進出している日本企業向けに商談会や各種セミナーを開催するのが私の仕事です。


いま振り返れば、学生時代、自分がベトナムに駐在するなんて思いもしませんでした。当時の私は、ベトナムが嫌いと言う訳ではなかったのですが、大学1年の時に取った経営学や経済学の授業が面白くて、その勉強に熱中していました。他にも、貿易実務や通関士試験の勉強をしたりして、ベトナム以外の知識を身につけようと努力しました。ゼミも経営史と国際経済のゼミに入って、卒論も東南アジア経済について書きました。就職先にジェトロを選んだのは、大学で勉強してきたことを活かし世の中の役に立てると思ったからです。私にとって「大学で勉強してきたこと」とは、(ベト科の先生に怒られそうですが)ベトナム語ではなく貿易や経済の知識でした。

しかし、会社の人は、私のことを経済の人でも貿易の人でもなく、やはりベトナムの人として見ていたようです。これはもう外語大卒の宿命たるものです。入社したての頃は、何とかベトナム色を薄めようと努力していたのですが、仕事はベトナム関係のものを主に任されます。そうするうちに、ベトナムこそが自分の強みであり、他人と差別化できる点なんだと気付きました。経済を勉強してきたと言っても、しょせんは独学の域を出ず、専門教育を受けてきた人には勝てません。その頃になって「あ~、もっとベトナムのこと勉強しとけば良かったー」と後悔したものです。

そんな中途半端な私にチャンスが訪れたのは2004年のことです。お恥ずかしいことに、ベトナム語ができるはずのベト科卒にもかかわらず、会社の留学生として1年間、ベトナムに行く事になったのです。留学先のハノイではベト科の現役生たちと一緒に学校に通って、「いい年して何やってんだろ俺?」って思うこともありましたが、このとき初めて、ベトナムと正面から向き合い、ベトナムの面白さに気付きました。社会人になってベトナムデビューしたベト科卒業者も少ないと思いますが、その分、学生のような新鮮な気持ちを持って、ベトナムに取り組むことができていると思います。

そんなこんなで、私は、20082月からジェトロホーチミン事務所に勤務しています。赴任前、歓送会をしてくれた同期は「この年になって大変だね」と言った具合に心配してくれましたが、これは多分、学生時代の私の姿からは、ベトナムに行くなんて、信じられなかったからでしょう。3年ぶりにベトナムに戻ってきて、その変化には驚くばかりです。まずもって驚いたのは物価の上昇です。昨年のインフレ率は12.6%と、日本人にはちょっと想像ができない物価の上がりかたです。ちなみに、今日の私のランチは、ホットドックとフライドポテトで8万ドン!でした。何もかも安い時代はもう過去のものとなりつつあります。その分、ベトナム人も豊かになってきているとも言える訳ですが、これまでベトナムは人件費の安さを武器に外資を呼び込み、経済発展を遂げて来た訳ですから、そのモデルにも限界が見えつつあります。

これからベトナムがどのような発展経路を辿るのか非常に楽しみでありますが、日本との経済連携を強化することが、更なる成長に向けたカギになると考えています。そうした中、ジェトロが貢献できることは沢山あり、このタイミングで駐在できたことは非常にラッキーだと思います。ベト科卒の強みであるベトナム語を活かして、現地の生の情報源に直接アクセスし、よりリアルな仕事をやってゆきたいと考えています。



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お便り-小林恵介(V01卒)


続いてのMr.JETROは、2001年卒業の小林君です。彼は、お便りの中でも紹介ありますが、熊本駐在時代に書籍を出版しています。当然、私、購入済&熟読済でございます。小林君のお便りの後に、誠に勝手な書評を付加しますので、ご興味ある方は、私の書評を読まず、本の御購入を優先願います。さて、北嶋君に続き、小林君もマクロ経済学で言うところのマンデルフレミングモデル(IS-LM-BP曲線のこと、フレミングの左手の法則とは違うらいしい・・・!)の線上を歩く男なのです。彼が、動いたら、冗談抜きで、IS-LM-BP曲線は、彼のシナリオ通りに動くのでは・・・っと思いました。確かに、国家レベルでは難しいかもしれないが、彼が熊本で興した功績は、熊本県におけるBP曲線を移動させた事は事実。ちょっと、大げさかもしれないけど、watch him! であることは、“間違いない!”(ちょっと古い?)。。。(文責.竹山)


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小林恵介さんからのお便り>
この度、竹山さんからご依頼をいただき、原稿を書かせていただきます小林恵介と申します。よろしくお願いいたします。現在、日本貿易振興機構(ジェトロ)という組織の在ハノイ事務所で働いております。私事で大変恐縮ですが、学生時代から現在まで、どのように過ごしてきたのかを書かせていただきます。

【学生時代】

外語大一年目はほとんど講義に出席していなかったと思います。一年間大学浪人していたため、「もう勉強はしたくない」と考えていたような気がします。それでも、二年目からは真面目に講義を受けるようになりました。勉強という面で最も注力したことを挙げると経済学になります。ベトナム語については、もちろん自分なりに語学力を向上させるよう努めていましたが、同等もしくはそれ以上に経済学に関心を持って勉強していました。理由は3つあります。一つは、ベトナム語に加え、他のツールや考え方を身に付けたいという想いがあったため。二つ目には、大学浪人時代に毎日英語を勉強し、大学入学後にさらにベトナム語を勉強していましたが、経済学での考え方、論理の組み立て方が非常に新鮮に感じたことため。三つ目には、他大学の大学院へ進学し、経済学というツールをもう少し深く知りたいという想いがあったためです。外語大を卒業した後、一橋大学経済学研究科(修士課程)に進学しました。周りの同期生と比べ、授業の理解度もかなり遅れ気味で苦労しましたが、それまであまり感じることがなかった「勉強が楽しい」と思える瞬間がいくつもありました。

【ジェトロを選んだ理由と、ジェトロでの業務内容】
ジェトロでの経歴を簡単に説明させていただきます。
・20034月 ジェトロ東京本部 貿易開発部アジア支援課
(担当業務:東南アジア諸国を対象としたODA事業)
・20051月 ジェトロ熊本貿易情報センター
(担当業務:管理系業務、貿易・投資に係る相談業務、輸出促進事業、調査業務
・20083月~現在 ジェトロハノイセンター
(担当業務:ODA事業、ベトナム関連情報の収集・提供)

就職先としてジェトロを志望した理由はいくつかあります。一つには、学生時代に学んだ「ベトナム(語)」と「経済学」の双方を使える可能性が高いと考えていました。二つ目には、故郷である北海道にも事務所があり、北海道で仕事ができる可能性もあるためです。三つ目には、若干大げさな表現ですが、日本のために何か役に立ちたいという想いがあったからです。ジェトロは公的機関であるため、お客様は日本の企業・個人の方々です。ジェトロはODA事業も実施していますが、当該事業も、ベトナム政府・企業だけではなく、日本(企業)にもメリットがある事業を組み立てることが求められます。

ジェトロに入って良かった点としては、ジェトロが、日本企業のニーズ、または政策ニーズに応えるためであれば、様々な支援ツールを構築できる組織だったことだと考えています。例えば、私は昨年、ジェトロから本(タイトル名=「世界に羽ばたく!熊本産品~一次産品の輸出成功事例から学ぶ~」(リンク先⇒⇒⇒)を出版しました。日本各地で、食品輸出の機運が高まっており、従来取り組みをしてこなかった企業が海外販路の開拓・拡大に関心を持ち始めています。ジェトロ地方事務所発の有料出版物はこれまでなかったと思いますが、私自身は、食品輸出のノウハウやケーススタディに係る情報ニーズがあると考え、組織内での承認を得、熊本県内で食品輸出に成功した企業への取材内容を本にすることができました。お客様のニーズと自分のアイデアで多様な事業・調査ができるということは、幸運なことだと考えています。

【今後の夢、外語大生へのメッセージ】
私はそれほど大きな夢を持つことはないのですが、今後も日本、ベトナム両国のお客様に対し、地道に情報提供できればと考えています。ただ、社会的、経済的に大きな変動があり、また日本企業からの注目を集めている国に身をおいていることは、他の社会人と比較して有利な点と考えています。この優位性を活かしつつ、お客様の情報ニーズと自分の視点というものを軸に、情報発信していければと考えています。

外語大の現役学生の方々には、ベトナムに限らず、世界へ目を向けながら楽しく日々を暮らしていただければと思います。当然のことかもしれませんが、外語大生の特長は、海外へ出ることに抵抗がないことだと思います。異なる環境にどんどん身をおき、広い視野を持って勉強、就職活動を行ってください。


<竹山の読書感想文>
小林君が出版しました“世界に羽ばたく!熊本産品 published by JETRO”を読んだ感想を書きます。まず、ネットで注文後、受け取るまでに10日を要しました。昨今のAmazonに慣れっ子の私としては、配達の遅さに苛立っていましたが、本を受け取るやいなや、度肝を抜かれました。JETRO BOOKSは、注文を受けた後に、印刷&製本工程に着手するらしいのです。こっ、これは、DELLのビジネスモデルをJETROがベストプラクティスとして真似ているって事です。要するに、JETROは、在庫ゼロでの書籍販売をしている訳です。On demandです。Greatです。さて、そろそろ、本の書評に入ります。熊本県の農業(第一次産業)について、統計を用い、日本国内におけるシェアの高さ、県経済に与えるインパクトの高さを立証した後、JETROとして熊本県の農業活性化への取り組みを数点のケースを紹介する形で構成されています。日本は工業国故に、第一次産業は軽視される傾向にあるが、いや、本来ならば、食料自給率の観点からも注目されるべき産業であるが、注目を浴びない。そんな環境の中で、小林氏の書籍は、熊本県農業従事者に希望を与えるだけでなく、非農業従事者にとっても、がんばる農家の姿を知ることで、なぜだか、応援したくなる。その気にさせられたのは、彼の功績かと思います。また、豊富な海外輸出ビジネスのケースを紹介する事で、JETROの仕事をアピールするだけでなく、日本農業の世界の中でのポジショニング(戦略)が見えてくる。ひとつの例として、畳に使用されるい草。熊本は、日本生産シェア97%。しかし、安価な中国製品の台頭、また、違法での熊本県産品種の中国からの逆輸入により、生産量はピーク時の26%まで落ち込む。そんな試練続きの熊本県のい草農家(組合)は、どんな手に打って出るか?この回答は、是非、本を御購入して頂けたら解説されています!(プロモです!)本の末尾には、小林君の優しさが伝わってくるような分かり易い輸出成功要因が纏められています。コスト削減/付加価値の付与/海外出張での試食イベント/フットワーク/熱意等々。小林君の許可無く、本当に勝手だが、竹山的にひとつ追加したいと思います。熊本県を初めとする九州地方は、知らないうちに農業競争激戦区になっているのです。競争激戦区(産業集積地)は、工業で言うならば、大田区、TOYOTA城下町、浜松市が有名だが、その中で切磋琢磨して生き延びることが企業の競争力の源泉と言えます。これは、ニッチ戦略やブルーオーシャン戦略とは逆行しますが、敢えて激戦区の中で、時に切磋琢磨し、時に同業者が情報交換する。それが、競争力強化につながっている気がします。熊本県も立派な農業クラスター地域ですし、JETRO熊本は、その競争力確保の為に、いい仕事してますね!どう、小林君、この視点、30点くらい貰えそうな分析でしょうか?やはり、可っすか?



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お便り-五島文雄先生(V77卒)を囲む会

ベト科東海支部活動報告
(写真は左から、田中直史V02、小島周V02、五島先生V78、鵜沢寛太郎V02、樋川俊之V98、撮影者竹山V98

東京外大ベト科東海支部という組織があります。静岡県&愛知県で働いている、在住している、その他、なんだか知らないが関連するバックグランドを持つベト科卒業生を中心とした組織です。(最近、できました。) 今までは、数名での忘年会、癒し飲み会程度の企画で終了しておりましたが、規模を16名まで拡大させ、更に、よりアカデミックに活動領域を拡大すべく、静岡県立大学国際関係学部の五島文雄教授を訪問し、楽しい時を過ごしました。今回は、活動報告として、その内容を越南ネットに投稿致します。

510日(土)の小雨降る中、五島文雄先輩(V78卒)の最大のご協力を頂き、静岡県立大学キャンパスをツアーして歩き、その後、五島教授研究室にてベトナム討論会を実施しました。討論のテーマは多岐に及び、五島先輩が過ごした学生時代の東京外大の様子、その後の大阪外大での教員時代の研究内容、また、御専門であります政治・経済に関するベトナムの変貌について、五島先輩のホーチミン留学時代(1974年)から現在に至るまでを時系列に沿って御講義をして頂きました。


(途中合流者=諸井未来V06、内山夕輝V98、近藤真澄V00

夕方からは、静岡駅周辺の居酒屋に場所を変え、終電ギリギリまで、お酒を飲みながらの座談会となりました。2軒もハシゴしたので、会話した内容は覚えていません!それでも、昨今のベトナム証券市場での暴落要因、ベトナム企業での労働争議問題、日本国内でのベトナム難民問題と、講義メモを取りながら飲みたい!と感じる座談会となりました。私のようなベトナム語と疎遠な卒業生は、「はぁ、私は、ベト科卒業生だったなぁ~」と改めて認識をし、また、バリバリにベトナム関係の仕事に従事している卒業生は、「今のベトナムは・・・なんだ!」と更に、越南への想いを加熱させる有意義なイベントとなりました。これもすべて五島文雄先輩のオープンハートな性格に、我々が、どっぷり甘えさせて頂くことで実施することができました。五島先輩、ありがとうございました!

五島先輩は、千葉より駆け付けて頂き、また、遠くはハノイ(またか?鵜沢V02!)、愛知県豊田市、岡崎市からも這って来てくれた同志の熱い思いにより開催する事ができ、みんな、大好きです!次も、やるぞ!(文責.竹山正人V98


PS
2007
年秋頃に、本当に、暇なメンバーでベト科東海支部(同窓会)を結成しました。今では、16名まで拡大しておりますが、私共の連絡の取れる範囲内でメンバーを増やしてきました。大変、申し訳ございませんが、静岡県&愛知県に関連したベト科卒業生全員に、連絡できていないのも正直な処です。東海支部の活動目的は、ただの飲み会だけでなく、社会人における異業種情報交換の場として、個々の視野拡大を第一目的としております。不定期ですが、メンバーには、出欠席に係らずご案内を発行致します。ご興味ある方は、竹山(takeyama555@gmail.com)まで御連絡頂けましたら幸いです。

ベト科東海支部加入条件は 1)愛知県、静岡県で働いている、住んでいる、戸籍がある、実家があるベト科卒業生、2)愛知県が好きな人、以前、静岡県出身者と恋愛していた人、ごめんなさい!引っ越してください!

【現在の東海支部メンバー(08.05.10時点での16名)】

五島文雄(V78)/深澤加恵(V96)/樋川俊之(V98)/内山夕輝(V98)/竹山正人(V98)/渡利裕一(V99)/近藤真澄(V00)/野崎佑介(V00)/田中直史(V02)/鵜沢寛太郎(V02)/小島周(V02)/椎谷徳子(V02)/太田真由子(V04)/郷土有希乃(V05)/諸井未来(V06)/鈴木明芽(V07

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2008年5月1日木曜日

お便り-三浦愛(V00卒)


ハノイ在住の三浦愛さんより、編集部にお便りが届きました。彼女は、心優しく、アセアン各国の発展の為に、日々、汗を流しています。東京外大を卒業後、夢の実現の為に大学院へ進み、現在、国際協力の最前線で働いています。夢の実現に向けて、コツコツとステップアップしている彼女の努力(過程)が、私にとって、とても刺激的です。お便りを読むと、彼女が国際関係の仕事を目指した動機でもある“幸せ(Happiness)”って何かなぁ~~っと、改めて、考えさせられました。日本は、GNP至上主義で発展を遂げてきましたが、最近、躓きつつあります。一方、アジアの小国ブータンはGNH(Gross National Happiness)という独自指標で経済発展との両立を図ろうと世界の注目を集めています。三浦さんからのお便りから、国の幸せって何かなぁ~、個人の幸せって何かなぁ~、っと考える機会を頂きました。今後も、彼女の活躍をウォッチ要です。(文責.竹山正人)


<三浦愛さんからのお便り>
(写真:後方左端が三浦さん(職場でテトにお寺巡り@バクニン)

私は現在、国際協力銀行(JBIC)ハノイ駐在員事務所で専門調査員をしています。JBICは、日本のODA(円借款)を通じ、途上国のインフラ、電力、教育、医療、環境整備等の支援を行っています。私の仕事は、インフラ整備(道路・橋梁建設)と、専門である教育/人材育成事業(道路維持管理体制確立支援、交通安全、省庁組織改革等)の運営監理です。

1997-98年のハノイ留学中に国際協力に興味を持ち、国際開発系大学院修了後、国際協力機構(JICA)にてベトナム・カンボジア教育案件担当、2004年からカンボジア教育省(日本の文部科学省)で日本政府支援による教育案件(教育政策策定・理数科教育支援等)の形成・監理専門家を2年間しました。

教育専門家を目指したのは、留学時代、ベトナム人に「日本は裕福で、ベトナムは貧しい」とよく言われる一方、日本では神戸小学生殺害事件等、殺伐としたニュースが増え、経済的な豊かさが心の豊かさと必ずしもイコールではないのではないか、ドイモイブームのベトナムで経済発展と心の幸せを満たすにはどうすればよいか、「自ら考え、選ぶ力」を身につける教育が重要だと感じたからです。

援助依存度の強いカンボジアと比べ、ベトナムは一度決定が下されると物事が進むスピードは速く、自分の国は自分達で作る、という意識が非常に高い国です。ベトナムの実力・潜在能力を見極め、いつまでに、どのように成長することが望ましいか、相手と共に議論を積み重ね、実を結び、喜びを共有出来た時に、この仕事の面白さを強く感じます。専門家とは現状を適格に判断し、共に考え、時に適切な情報とアドバイスを与え、その国に一番合った仕組みを作れる人のことだと思います。私はまだ一緒に学びながら考えている段階です。

久々のベトナムで驚いたのは、物凄い勢いで進むインフラ整備。留学時の通学路と同じ場所?と驚くこともしばしば。インフラネットワーク開発(道路・橋梁・港湾等)による工業団地の進出、地域経済の活性化を目の当たりにします。ただ、急速な発展の影で、先進国が時間をかけて積み上げたことを短期間で達成しようとしているため、制度・法律整備面で課題が多く、長期的・包括的な人材育成が必要です。
私が順調にキャリアを積めたのは、偏にベトナムのお陰です。自分は拘りませんでしたが、実際はベトナム語専攻ということで関心を持ってもらえたことが多かったです。「ベトナムにちょっと詳しい」だけでは不十分ですが、「分野だけ」でも人と差がつかないのだと思います。

今後は、活動範囲を拡大、地域や組織を超えてグローバルに活動する専門家になり、多くのチャンスをくれたベトナムへの恩返しのため、修行を積み、もっと強力になって戻ってきたいと思っています。





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お便り-鵜沢寛太郎(V02卒)


ハノイで奮闘する鵜沢君よりお便り届きました。彼がベトナム語を話している姿を見たことありませんが、「モッ、ハイ、バーァー!」っと大声を発する彼を目撃したことはあります。先日、たまたま国際電話で会話した際も、彼は、呂律が回っていませんでした。「こいつ、大丈夫か?」って心配しましたが、さすが、ベト科遺伝子を継承している。泥臭いドブ板周りの営業も臆することなく、それを楽しんでいるかのように振舞う。出張が多いようで、ダナン、ホーチミンっとベトナム国内を走り回っているようです。当然、府中キャンパスでの宇根先生パーティーにもハノイから駆けつける。そのフットワークの軽さが彼の魅力。話せば話すほど、彼の知られざる魅力は無限に沸いてくるかも・・・。彼は、確実に、「モッ、ハイ、バァー」対決から逃げない。自信ある現役(Young)は、挑む価値あるかもね・・・(文責竹山正人)

<鵜沢寛太郎さんからのお便り> (写真中央が鵜沢君)
2002年卒業の鵜沢寛太郎です。現在、INAXという会社でハノイに駐在して3年になります。仕事は、トイレ・タイルなどを国内向けに売る営業で、ベトナムにより良く快適な住環境の提案をする仕事をしています。日本人がベトナムで駐在してする仕事は、会社・業種・職種によっていろいろと違いますが、私のようにベトナム現地にドップリはまって仕事をしている日本人は、なかなか少ないかと思います。

と言うのも、私の仕事はベトナム国内市場での営業です。ベトナム人のお客さんを相手に、どんな商品が喜んでもらえるのか?どうやったら買ってもらえるのか?どうやったらベトナム人のウケがとれるのか?と、常にベトナム人とベッタリ触れ合いながら考える仕事なのです。ベトナム人と同じ目線で話をして、同じ飯を食べ、一緒に酒を飲み、ベトナム人になりきった気分で物事を考えるのです。

さて、ここで大学時代に修得した、私の2つの武器が力を発揮するのです。

1つ目は、言わずもがな、ベトナム語ですね。でも、私は大学時代あまり勉強をしませんでしたので、ベトナムに来た当初はかなり苦労をしたものです。仕事が終わってから、ベトナム語の学校に通うなど、なかなか涙ぐましい努力をしたものです。「ああ、学生時代にもっと勉強しとけばよかったなぁ・・・」と思っても後の祭りですね。現役生の皆さん、学生のうちにしっかりと勉強しておきましょう!

2つ目は、これは私の大の得意技、ビールの一気飲みです。こちらは、大学時代に非常によく頑張りました。ベトナム人のお客さんはお酒を飲むのが大好きで、毎日のように一緒にビールを飲みに行くのですが、そこで必ず、私は誰よりも早く、誰よりもたくさん飲むことができるのです。ビール大好きのベトナム人から、いつも賞賛のまなざしで見られます。そして、これがきっかけで深い付き合いになっていくお客さんも、いっぱいいるのです。飲みニケーションも、ベトナムでは非常に大事な仕事の一つなのです。

こんな感じで、いつも半分酔っ払いながら、なんちゃってベトナム語を話しながら、ベトナム人とのビジネスをしているのです。ベトナム語は相変わらずまだまだですが、ベトナム人の心をつかむ術だけは、かなり身につけられたと思います。今後もこの強みを活かして、ベトナムの住空間をさらに快適で住み心地の良いものにしていくよう、仕事に取り組もうと思っています。

あと何年かはこちらにいる予定ですので、みなさまベトナムにお越しの際は、ぜひご一報を!一緒にビール一気飲みに行きましょう!また、なにか最近のベトナム事情で知りたいことがあったら、何でも聞いてくださいね。酔っ払っていない限り、お答えいたします・・・。



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お便り-中嶋良和(V06卒)


私(竹山)が、卒業した1998年頃は、バブル崩壊後の空白の10年真っ只中であり、住専不良債権の焦げ付きに公的資金を導入するか?っが、村山内閣での悩みの種でした。世間では、金融ビックバーンの再編の嵐。シティーやトラストバンクが日本本土に進出し始め、北海道拓殖銀行(97)、山一證券(98)が破綻したのが橋本内閣の時でした。97年には、バンコク発のアセアン通貨危機が始まっていましたから、都市銀行の中には、アセアン拠点を引き上げる大手もありました。金融業を取り巻く環境はまさに、大嵐の時代だったかと思います。当時も今も、根強く都市銀行に就職したベト科卒業生が大勢します。今回は、入行3年目の中嶋君(V06)の生き様を特集します。ナカシマ君、寝てる場合じゃないですよ!彼は、荒波から脱出できるのか?その予感ありです。(文責.竹山正人)


<中嶋良和さんからのお便り>
皆さん、こんにちは。2006年卒の中嶋良和と申します。現在は、みずほ銀行に勤務しています。成果も上がらず、辛いなぁと悩んでいた社会人生活も早くも3年目となりました。

昔から海外への「憧れ」があり外語大へ入学した訳ですが、学生時代は極めて不真面目な学生で、かなりの時間を酔っ払って過ごしていました。1年間のホーチミン留学を経て、就職活動を開始し、当時は商社やメーカー、海運業界を志望していて、金融機関で働きたいとはあまり感じていませんでした。それではなぜ今、銀行で働いているのか。銀行の窓口は3時になれば閉まってしまいますし、預金や融資以外には銀行が(銀行員が)どんな仕事をしているのか、当時はほとんど何も知りませんでしたが、プロジェクトファイナンスに携わっている先輩銀行員の話を聞いて、金融の大きな可能性を感じたことが銀行で働くことになった決め手です。

当初は海外でプロジェクトファイナンスに携わることを夢見てみずほ銀行に入りましたが、現在は中堅中小企業RM(Relationship Management)として活動しています。融資はもちろん、デリバティブにインターネットバンキング、取引先の従業員向けに住宅ローン・運用商品のセールス、ジャンボ宝くじだってセールスします。出来ることはなんでもする、いわば「何でも屋さん」です。

つい最近まで朝1時間、昼30分、夜1時間、課長の隣で毎日叱られ、先輩に怒鳴られて泣いてしまい、またある時は取引先の部長の前で泣いてしまうという冴えない毎日を過ごしていましたが、この頃は取引先で「一生懸命やってくれたね」なんて褒めてもらえるようにもなりました。

今は日本国内で中堅中小企業RMとして働いていますが、昔からの海外への「憧れ」やベトナムで仕事をしたいという思いが無くなった訳ではありません。それどころか、思いは強まる一方です。どんな国、何をするにも金融の仕組みは不可欠!将来は金融の仕組みで、ベトナムの発展に貢献できるような仕事をしたいと思っています。それが近い将来であれば文句無しですね。今年度で3年目に入りました。今までは、確かに、効率悪く叱られる場面もありましたが、石の上にも3年!の格言通り、そろそろ軌道に乗ってきましたしので、次は、テイクオフしたいと思っています。運が良いことに、4月に着任された支店長は、ハノイ支店の元支店長です。自分も、そのようなキャリアを積める様に、がんばりたい!と思っています。

就職活動中のみなさんは面接のピークを迎えた頃かもしれませんね。がんばってください。卒業生の皆さん、先輩方には日本で、ベトナムで、お会いできればと思います!その時は、決して叱らず、褒めて下さいね!



これが、記者が見た 3.8ドキュメント!


1984年卒業の数土修さんが、3月8日の宇根先生パーティーの写真を、越南ネット編集部へ届けてくれました。みなさん、既に、数土さんは、ご存知ですよね?パーティーへ参加された方は、あの青空の下での全体写真の際に、デジタル一眼レフカメラにてバシッっとシャッターを押してくれた方です。あの時、若僧どもは、小さなデジカメで分割撮影に必死でしたが、数土さんが一眼レフを抱えて前の現れ、ドシッと構えた瞬間の「おぉ~~ぉ」のみなさんの歓声は、タイガーウッズのドライバーショットを生で見た観客の歓声以上でした。

数土さんは、現在、札幌にお住まいで、北海道新聞社に勤務されています。要するに、メディア業界に従事されており、新聞記者としてのプロであります。私としても、素人ながら、勝手に、越南ネット編集長と名乗っているのが恥ずかしいですが、優しく見つめてくれている数土先輩は大好きです。

今回、40枚ほどの写真をアップしていますが、解明度、アングル、光の量、シャッター速度すべてパーフェクトであります。既に、前回の若僧撮影写真の中から、お気に入り写真をプリントアウトして額縁に入れて玄関に飾っている人は、申し訳ないですが、数土先輩の写真を再度、カラープリント→高額額縁に保存のほど、よろしくお願い致します。見所は、全体写真&竹琴演奏シーンでの引き、宇根先生を見つめる奥様のショットは、いずれも涙モノです。

では、“プロが見た3.8ドキュメント”のフィルムをご覧下さい。

次のリンクをクリック下さい。⇒⇒⇒ 
(文責.竹山正人)
【注意】越南ネットに掲載した写真は、参加したみなさんからお寄せいただいたものです。ダウンロードして、個人の記念としてプリントアウトするのはご自由ですが、他のウェブサイトに転載、出版物への掲載、多量のプリントアウトを配布、あるいは販売するといった行為はご遠慮ください。著作権並びに肖像権に関する問題が発生する場合があります。問題発生時は、直ちに、掲載写真をCLOSE致します。(竹山正人V98)

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2008年4月1日火曜日

お便り-内山夕輝(V98卒)


編集部が今回、取材を敢行しましたのは、私と同じ静岡県浜松市出身で、しかも、ベトナム語学科に同期入学&同期卒業の内山夕輝(V98卒)さんです。取材日は、3月15日(土)に、オフィスを訪問し、彼女の所属する団体が取り組んでいるイベント(企画)について、聞き込みを実施致しました。あまりにも素晴らしい企画である為、今回、多忙にも拘らず、無理を言って原稿を書いてもらう運びとなりました。アポなしの職場訪問に、笑顔で対応頂き、同行した我が息子は、チョコまで頂いてホクホクでした。彼女の心温まる近況報告から、日本における幼少教育を取り囲む環境変化を知ることができ、子を持つ親としてジーンとくるコメントが多いです。僕達が、大学生だった時に、こういった公的機関の仕事があることも知らず、私なんかは民間企業に潜り込みましたが、内山さんのミッションは、やりがいあるかもね・・・(文責竹山)

<内山夕輝さんからのお便り>
19,490人。これは浜松市に住むブラジル国籍登録者数です。浜松市の総人口約82万人に対し4.04%の割合を占め、全国でも指折りの外国人集住都市です。私が勤務する(財)浜松国際交流協会http://www.hi-hice.jp/)では、“日本人も外国人も同じ浜松市民として仲良く暮らそうよ!”と、多文化共生社会を目指した様々な事業を行っています。多文化共生社会と一言で言っても市が抱えている課題は、医療、防災、教育等多岐にわたり、その中でも、急激な国際化の波による影響は、子ども達を取り巻く教育現場で必至です。

平成元年では浜松市内の公立小中学校で32人だった外国籍児童数が、平成19年度は1,558人(約49倍)と年々増加しています。ちなみに私の母校には77人(9.2%)の外国籍の児童が現在通っています。もちろん、私が在籍していた20年前には0人だったので、教育現場における国際化が確実に広がっているのがわかります。外国籍児童を取り巻く環境は多様・複雑で、言葉の壁や文化・生活様式の違いで、日本の学校への適応が困難な児童もおります。非公式ですが、実際には不就学の子どもも存在していると言われています。また、母国語、日本語が両方とも中途半端な子ども(ダブルリミテッド)は、学力の問題、親子間のコミュニケーションなど、様々な問題を抱えています。こういった問題を少しでも解決するために、当協会では今年で3回目となる外国籍児童就学前学校体験教室「ぴよぴよクラス」を開催しており、この場をお借りしてこの事業を紹介させていただきたいと思います。

ぴよぴよクラスとは、簡単に言えばプレスクールのようなもの。外国人学校の幼稚園に通っていた子供達や、幼稚園・保育園に通っていなかった子供達が、日本の小学校入学前に、集団生活や学校生活を体験し不就学を防ぐという目的で企画されました。また、このクラスでの先生役は、現役大学生のボランティアによって実施され、これも草の根活動を広げていく目的の一つでもあります。大学生に異文化コミュニケーションの難しさ、また、実際の教育現場の抱える課題を体験してもらい、そこから感じとったものを今後の人生に役立ててもらいたいとも考えています。

今年は公募で6人の大学生が集まり1ヶ月前くらいから小学校へ補助支援員として、授業の進め方を学び、自分達の手で様々な場面を想定してカリキュラムを考え準備をしました。一方、子供達の募集は、入学説明会での呼びかけの他、家庭訪問等で集めましたが、当日、本当に来てくれるのか不安で一杯でした。

初日は、大学生も子供達もガチガチで、授業もいまいち盛り上がりませんでした。そんなピヨピヨちゃんたちが劇的に変化したのは二日目から。初日は、ポルトガル語以外いっさい反応を見せなかった女の子が、二日目からは、日本語での問いかけにうなずき、首を振る等の反応を見せ始めました。この子は、1月に日本に来たばかりで幼稚園にも通っておらず、日本語にも不慣れ、かつ、友達もいないという状態でしたが、最終日には友達もでき走り回っていました。お母さんからも、「家の中で日本語を話していた。」っとうれしい報告もありました。中には、人とのコミュニケーションのとり方がわからず、不安そうにキョロキョロしていた男の子もいましたが、最終日には友達もできて一緒に遊ぶことができました!

エピソードを紹介し始めたら3日はかかる(!?)ので割愛しますが、最終日は、涙&ハグの嵐で、見学にこられた保護者や小学校教頭先生からも大学生に対して感謝のお言葉を頂きました。さらに教育委員会にもこの事業の必要性を高く評価していただき、成功を収めて無事修了することができました。子ども達のたくましさは人生に対する希望を、大学生の成長は日本の将来の明るさを実感することができ、本当に充実した3日間でした。今後は、このクラスを基盤とし、市内に広げていけたらと思っています。

また、浜松市には969名のベトナム国籍の方々が在住しており、子供達へのベトナム語(母語)教室が開かれていたり、またベトナム人の子供達への学習支援を行っている大学生サークルもあります。なにかコラボレーションできたらなとヒシヒシっと野望を抱いています。興味をお持ちの方、お気軽にお問い合わせ下さい!!毎日が楽しいですよ!!

(財)浜松国際交流協会(HICEハイス)http://www.hi-hice.jp/ 
内山夕輝(V98卒)



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お便り-渡邊大輔(V06卒)


入社2年目での大決断。今回、お便りをくれたのは、ベト科を卒業して物流関係の仕事に携わる渡邊さんです。僕なんか、What are you? って聞かれた場合、即答できずにズルズル人生を過ごしてしまいました。っが、渡邊君は、大きな組織に属しても甘えることなく自分を見失わず、逆に、本当に自分のやりたい事が見つかった。っと語っています。輝かしい転職に成功した一人です。私含めたOBOGの中には、転職したくても、その決断の勇気が無かったりしますよね。物流会社は、当然、モノを運びますが、人の思いってのも運ぶんでしょうね。頼むぞ、大輔!越南ねっとの思いってのもハノイを拠点にガンガン運んでくれ!(文責竹山)


<渡邊大輔くんからのお便り>
こんにちは、06年卒業の渡邉大輔と申します。私は今、日本ロジテム㈱という物流会社で働いています。ロジテムというのはベトナムを中心にインドシナ地域の物流に力を入れている会社です。私も4月からはハノイへ赴任予定で、現地法人の運営をしていくことになっています。実は以前は某大手物流会社に勤めていたのですが、転職という形で08年1月に入社しました。なぜわざわざ大手を辞めてまでロジテムなんて名も知られていない会社に入ったかというと、キーワードはやはり「ベトナム」でした。
学生時代の就職活動当時、私は「幅広く世界と関われそうな会社」というのをひとつの基準に置いており、特にベトナムにこだわりを持ってはいませんでした。むしろ、ベトナム以外の国と関わりを持つことで、見識を広めていきたいというのが当時の思いで、前の会社を選びました。前の会社では航空貨物の輸出手配の仕事をしていました。大手顧客の担当になり、仕事もそれなりに任されてはいたのですが、働くうちに、「なぜ自分はこの仕事をしているのか」という事への答えが分からなくなってしまっていました。そして、仕事に対するモチベーションが上がらず、与えられた仕事を単にこなすだけ、という状態に陥ってしまっていました。
「自分が本当にやりたいのは何なのか」と自問するうちにたどりついたのが「ベトナム」でした。現在、東西回廊や南北回廊の開通で、ベトナムの物流インフラは飛躍的に発展しています。そのような状況の中、自分もベトナムでの物流を発展させていきたいと思うようになったのです。実は、転職を考え始めた頃、前の会社もインドシナ地域の物流には力を入れ始めていました。実際、待っていればベトナム関係の部署に移れたかもしれません。そんな中、なぜ転職したかというと、自分の仕事は自分で決めたい!と思ったからです。
大企業で働くうちに、人事異動次第で自分がどんな仕事をすることになるのか分からない、というのがどうしても納得できなくなってしまいました。もちろん、「組織にいる以上は、我慢は必要だ」ということは頭では分かっていました。しかし、私自身は組織の為に尽くすよりも自分が成長していける事を第一に考えるようになりました。自分でキャリアプランを考え、高いモチベーションを持って仕事をしていくことが自分のためになるのではないかと思うようになったのです。そして、自分が希望している仕事を任せてもらえる今の会社へ入社を決意しました。実際、今は非常に高いモチベーションを持てており、正しい選択であったと思っています。
今後、ベトナムのインフラが発展するにつれ、道路、空港、港湾、鉄道等も整備されていくと思われます。それにあわせ、トータルな物流サービスを提供できるように開発していくことが今後の目標です。先程も言いましたが、4月からはハノイに駐在予定です。ハノイへ来る事があれば是非ご一報下さい。それでは Hen gap lai o Viet Namということで。




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宇根先生パーティーの収支報告

3月8日(土)開催の宇根先生Partyに関し、事務局として会計収支報告を怠っておりました。皆様より頂きました会費は、左側貼付の内容にて、有効に使わせて頂きましたので、ここに報告致します。

収入 = 598,000円
支出 = 598,000円
残金 = ゼロ

卒業生からは5,000円、現役生からは1,000円の会費にて今回運営致しました。最終講義、パーティー終了後の残金は、2次会、3次会に参加したYoungにて有効に使用させて頂きました。2次会へ参加できなかった方もおられますので、皆様の出資を、このような形で使用しましたことを御理解頂けましたら幸いです。 Fromパーティー事務局(野村、江守、会川、池田、竹山)

3次会終了後、残金4,754円となりました。引き取り手のいない6名にて吉祥寺に移動し、朝までカラオケの代金一部として、残金を使わせて頂きました。誠に申し訳ございません。待っていてくれる人がいないので終電を逃しました。皆様から頂いた会費の一部を使ってしまいましたが、、僕達、ベト科先輩含めたネットワークの温かさを感じながら、男6名にてグッスリ眠れました。本当に、申し訳ございませんでした。ありがとうございました。From引き取り手のいない男6名(樋川、小島、鵜沢、中嶋、渡邊、竹山) 文責-竹山

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2008年3月17日月曜日

速報!これが、越文読解の模範解答だぁ!


宇根先生の最終講義では、4問の越文読解問題が出され、講義の中で、一部解説ございましたが、「やっぱし、日本語訳を読まないとシックリこない!耳から入った情報はすぐ忘れてしまう!」という私含めた劣等OBOGには朗報です。ここに、完全模範解答を速報掲載致します。
改めて日本語訳を精読してみますと、幸せってなにかなぁ?なんで、仕事をするのかなぁ?何のために人は生きるのかなぁ?をじっくり考えさせられる哲学的な問題文であり、これは、宇根先生が僕達に教師として、先輩として語り掛けたかったもののひとつなんだろう。。。って勝手に解釈しています。その証拠に、問1のアフリカ人、アメリカ人、インド人のHappiness価値感の文章は、僕が学生時代であった13年前の授業でも習った記憶があり、日本語訳を見て初めて気付きました。これを習ったから、僕は脇道に外れる事なく今まで来れたのかなぁ~。


長文読解問題(越文) ⇒⇒⇒
模範解答(日本語訳) ⇒⇒⇒
模範解答寄稿者は、宇根祥夫先生(V68卒)でした。。。


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お便り from 宇根先生パーティー事務局


2008年3月8日(土)に開催されました宇根祥夫先生の最終講義&御退官パーティーに、多くの卒業生&現役生が、ご多忙の中、また、ご遠方より御参加いただきまして、誠に、ありがとうございました。都合により、御出席頂けなかった卒業生からも多くのメッセージを宇根先生宛てに頂き、事務局としても準備する上で、先生に対する皆様の熱い思いをヒシヒシと感じ、非常に、やりがいある企画運営ができました。
当日は、遠くはドイツ、ベトナム、北海道から御参加いただいた卒業生もおり、総勢150名ジャスト!が参加した大きなイベントとなりました。最終講義では、宇根先生から「ベトナム語と私」に関する60分の講義を頂き、最後は、現役授業さながらの越文読解講義も含まれており、遠い昔の学生時代を思い出させて頂きました。その後のパーティーは、先生を囲み、参加者全員の笑顔が飛び交う盛大なパーティーを開催することができました。
パーティーを終え、宇根先生からも、「教師をしていて良かった。今日は、良き一日となった。ありがとう!」っとお言葉頂けましたので、皆様のお陰で、大成功を収める事ができました。これは、宇根先生のお人柄、それに共感する皆様の御協力の賜物です。ここに、宇根先生パーティー事務局を解散致しますが、最後に、当日の皆さんの満面の笑み(ウッシシシスマイル)写真をどうぞ!どうも、みなさん、ありがとうございました。 from 宇根先生パーティー事務局一同
写真のリンクは右の矢印をクリック下さい ⇒⇒⇒
【注意】越南ネットに掲載した写真は、参加したみなさんからお寄せいただいたものです。ダウンロードして、個人の記念としてプリントアウトするのはご自由ですが、他のウェブサイトに転載、出版物への掲載、多量のプリントアウトを配布、あるいは販売するといった行為はご遠慮ください。著作権並びに肖像権に関する問題が発生する場合があります。問題発生時は、直ちに、掲載写真をCLOSE致します。(竹山正人V98)

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